火山が噴火したあとで
(既発表の著作、島村英紀著『地震は妖怪 騙された学者たち』から)



第30節:地球を汚すのは誰

 ジェット旅客機の操縦席のガラスがいくらするものか、知っているだろうか。1枚で200万円以上というほどの高価なものだ。

 それぞれの航空会社は操縦席の窓ガラスを交換した記録を残している。多くの人命を預かる操縦席の前の窓ガラスだけに、傷や汚れが着いたら、早め早めに交換しなければならない。ちょっとでも見えにくかったら、起こさなくてもいい事故を起こしてしまうかも知れないからだ。

 ある航空会社の統計によれば、世界中を飛び回っている全部の飛行機を合わせても、以前は月に数枚の交換だった。これは自然損耗ともいうべき交換だった。1982年までは、10年以上もの間、窓ガラスは、定期的な交換だけですんでいたのだ。

 ところが、1982年の後半から一、二年の間は、突然、窓ガラスが傷むようになり、交換枚数が跳ね上がった。その航空会社だけで月に40〜50枚もの交換になってしまったという。他の航空会社でも同じ事件が起きていた。全世界では大変な数の窓ガラスがダメになっていたのだ。かなりの被害である。

 ガラスがダメになるのは特定の場所を飛んだときではなかった。世界のどこを飛んでいても、操縦席の窓ガラスに、ヤスリをかけたように、細かいスリ傷がつくようになってしまったのだ。

 原因は火山の噴火だった。メキシコにあるエルチチョン火山(1350メートル)が1982年の春に大噴火して、地元では数百人、一説には千人が死ぬなど、大きな被害が出た。ほとんど無名の火山だったが、いきなり大噴火したのだ。その火山灰が20〜30キロメートルの高さにまで舞い上がり、風に乗って世界を取り巻いた。

 やがて数カ月して、舞い上がった火山灰は、ゆっくり舞い降りてきて、ちょうどジェット機が飛ぶ10キロほどの高さで、地球全体を包んでしまったのだ。

 グリーンランドの氷を掘り下げていったときに、18世紀に浅間山が噴火して出た火山灰が、見つかったこともある。地球を半周したわけだ。火山灰をはさんでいた氷の年代と、火山灰の種類から浅間山のものだと分かったのだ。このように、火山灰は世界をめぐることが珍しくはない。

 火山灰とは、つまり岩の粉だ。これが、ガラス窓にヤスリをかけたように傷めてしまった犯人なのである。

 火山の大きな噴火は世界の気候さえも変えてしまう。1833年にはインドネシアのクラカタウ火山が大噴火をした。噴火は火山島ひとつが吹き飛んでしまったほどのすさまじいもので、地元の死者は36000人にものぼった。噴火による気圧の変動は、地球を七まわりしたものさえ記録されているほどの噴火だった。

 噴火後5年間にもわたって、太陽が異常に赤っぽく見えたり、ビショップの環が見えたりした。噴火で舞い上がった火山灰は、そんな長い間、漂っていたのだ。

 「核の冬」と同じように、舞い上がった火山灰は世界の気候を変え、冷夏を招き、農作物の不作をひき起こした。

 ハワイの火山も、よく噴火を起こす。ハワイ島にあるキラウェア火山は、この10年もの間、続けて噴火している。

 ハワイの火山から出て来る溶岩は、日本の溶岩と違ってサラサラしている。溶岩の粘性が低いのである。このため、日本やインドネシアやメキシコの火山のようにドカーンという爆発はしないから、噴水のように吹き上がるオレンジ色の溶岩を目の前に眺めながら、ホテルで食事をすることが出来るのだ。

 立派な観光資源? たしかにそうだ。

 しかし、ハワイの火山を研究している研究者には、厳しい雇用契約が待っている。それは、火山観測所勤めは2年に限る、という契約だ。2年を越えて研究を続けようと思ったら、研究者は別の契約、つまり健康を損ねても雇用者である政府は責任を負わない、という契約にサインしなければならない。

 これは火山から出て来ている水銀の蒸気のせいだ。研究者は、自分の研究と自分や家族の健康とを天秤にかけて、ハムレットのように悩むのである。

 噴火に見とれている観光客も、もちろんこの水銀蒸気を吸い込んでいることになる。日本でも、鹿児島湾の底からは、火山起源の水銀が出て来ている。

 火山から出て来る有毒なものは水銀だけではない。硫化水素も、亜硫酸ガスも、ヒ素も、二酸化炭素もメタンも大量に出て来ているのである。

 気候変動の元凶である火山灰も、火山から出て来る有毒物質も、もしある国や企業が出したとしたら、世界中から糾弾されるほどの量である。しかも、一回きりではない。

 地球を汚しているのは、火山、つまり地球自身なのだろうか。

 でも、ちょっと考えてほしい。気候が変動して困るのは人類やある種の生物だけなのだ。地球から出て来る物質が有害か無害かを決めているのも、人間の勝手なのである。

 人間にとっての「有毒」物質でも他の生物にとっては、そうではないことがある。深海底には、人間が食べたら死んでしまう重金属だけを栄養分にして生きている生物もいるのだ。

 地球は人間だけのためにあるのではないはずである。

【追記】浅間山と同じ年の1873年に噴火したアイスランドのラキ火山から舞い上がった火山灰は、世界の気候を変えてしまった。そして、それによる飢饉は1789年に起きたフランス革命の一つの原因になった。


 島村英紀「ジェット機の敵は火山」

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