島村英紀『長周新聞』2015年12月23日(水曜)号。4面。(その記事は)

科学者にとっての軍事研究

 2015年12月、米軍の資金が日本各地の大学などに提供されていたことを共同通信が報じた。2000年以降、少なくとも日本国内の12の大学と機関の研究者に2億円を超える研究資金を提供していたことが分かったのである。

 米政府は、日本国内の26の大学や研究所の研究者に計150万ドル(現在のレートで約1億8千万円)超を提供したとしている。また在日米軍司令部は「日本の大学や研究機関に数十年にわたって資金提供している」とコメントした。

 資金を受けとった日本側では、26のうち12の大学と研究所が、公表されていなかった資金を含めて受け入れを認め、その総額は2億3000万円となった。だが、米国側で発表した残り14の大学や研究所は「文書の保管期限が切れており確認できない」「該当はない」などと回答を避けた。

 資金を受けとった額が抜群に多いのが東京工業大だった。同大は05年以降、計87万ドル(約1億1000万円)の提供を受けた。今回判明した総額の半分にもなる。資金は炭素繊維複合材などに関連する11件の研究に使われたという。

 そのほか理化学研究所も2000〜2010年に2件で計約5000万円の資金を提供された。これは非破壊検査などに関連する技術とレーザー加工技術の基礎研究だったという。

 かつて日本の大学では、米軍の資金による研究はたびたび問題になって、大きな反対運動を巻き起こしてきた。

 その運動の結果、たとえば東大は1959年に大学の最高意思決定機関である評議会で「軍事研究はもちろん、軍事研究として疑われるものも行わない」と決めている。また1967年には当時の大河内一男学長が「外国も含めて軍関係からは研究援助を受けない」とした。

 こうした確認事項を根拠に東大当局の公式見解は「現在でも全学部で軍事研究の禁止を続けている」となっている。東大に限らず、日本の学術界は第二次大戦の反省から軍事研究に反対の立場をとってきている。

 北海道大学でも、かつて軍事研究がやり玉に挙がって学内が大騒ぎになったことがある。それは1960年代のことで、理学部地球物理学教室の科学者が米軍の資金を貰って千歳空港の霧を消すための研究だった。米軍、軍事研究と聞いただけで鋭く反応する学生や職員が科学者をつるし上げた。

 千歳空港は北海道の太平洋岸近くにあり、とくに初夏には寒流である親潮が流れる太平洋上の気温が陸上の気温よりも低いために霧が発生しやすいので、飛行機の発着の妨げになるのが問題になっていた。軍民共用の北海道の玄関口の重要な空港だった。

 研究結果としては単純なものだった。霧を一時的にでも薄くするためには、空気を暖めるしかなかった。つまり大量のプロパンガスを滑走路の近くで燃して空気を暖めるのが唯一の解決だったのであった。

 この科学者にとっては、この研究は米軍のためだけではなかった。民間航空にとっても大いに役立つ研究のはずであった。科学者の意識としては、もし日本の研究費が潤沢にあれば、当然、そちらの資金を使ったはずの研究だったのだ。

 つまり、科学者としてはこの研究は必要だ、研究をやりたい、という意識があって、その研究のための資金の出所は二の次だったのであろう。

 じつはこの科学者は戦時中の1944年に日本陸軍が主導していた軍事研究「千島, 北海道の霧の研究」に従事したことがあった。千歳空港と同じ図式で霧が出やすい地域一帯の研究にずっと取り組んできた科学者なのである。この研究では陸軍の大型気球に搭乗して海霧の物理的性質の研究を進めた。この戦時中の研究も、軍だけではなくて民間にも「役立つ」という意識だったにちがいない。

 もちろん、軍事技術にはたとえば兵器の殺傷能力を高めるといった、いかにも軍事技術というものがある。しかし、北海道大学の例に限らず、軍事技術と民生用の技術の境目があいまいなことが多い。研究資金の出所だけで研究そのものが違うというのは科学者以外の人の「思い込み」であることが多い。いかにも軍事技術ではない研究に軍事研究のための資金が出資されたり、他方、民生用として開発された技術が軍事技術として使われることも多い。

 そのうえ、科学者をいつも悩ませている研究費不足がある。科学者にとって研究費がなければ研究はできない。しかも、近年は研究のための設備に、昔とは違って巨大な費用がかかるようになっている。その設備がなければ、なんの研究もできないばかりか、設備を持つ他の科学者に負けてしまうことも明らかなのである。

 安倍政権は「防衛力」を高めるため、第一級の科学者に協力を仰ぐ必要があることを繰り返し表明し、このための政策の方針転換を後押ししてきた。国会は防衛省から大学に直接支給される研究基金制度案を承認した。戦後初めてのことだ。これは安倍政権が着手した、民間研究と軍事研究を分ける境界線をあいまいにする政策のひとつだ。

 2015年度には防衛省が「安全保障技術研究推進制度」という公募研究を始めている。一方、米軍関係者はロボット工学や電子工学などでの日本の専門技術の活用をかねてから切望している。

 そして科学者側もこの情勢に呼応して、日本の公募に応じはじめたり、以前よりは大っぴらに米軍の資金を貰うようになっている。

 東大でも2014年12月、大学院の情報理工学系研究科は、「一切の例外なく禁止」という文言をガイドラインから削除した。東大でも一部の教授はこうした軍事費から研究費が支給されるプロジェクトに協力しはじめているし、そのほかの大学や科学研究機関でもこういった教授にいままでとは違った自由裁量を与えている。

 私の持論によれば、最前線の科学者は孤独な戦士である。科学者とは、外から見れば研究の成果というエサを追って車輪を廻し続けるハツカネズミにすぎない。研究を推進するためなら資金の出所を問わず、研究費を調達することが大事である可能性が高い。

 たぶん兵器を開発している科学者も同じだろう。開発している兵器の威力を大きくすることが「科学者としての生き甲斐」になる。

 しかし、兵器開発に限らず、学問の最前線というものは、それを担っている孤独な戦士たち、つまり研究者たちの人間じみた競争や足の引っ張り合いなどのドラマが演じられている世界なのである。私は著書(たとえば『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』など)に何回か書いたことがある。そして、そういった競争の末に作られるものは、癌の特効薬かも知れないし、地震や火山噴火の完全な予知かも知れないし、また、新しい核爆弾のような恐ろしいものかも知れない。

 じつは、そのどれを研究している「ハツカネズミ」も、同じような顔をして、同じように車輪を廻し続けているのだ。「小保方問題」で話題になった理化学研究所の科学者も同じだろう。科学とは、そのようなものなのである。

 科学者は、国家という見えない巨大な掌の上で踊ることがますます増えてきている。その大きな掌から見れば、科学者とは、悪く言えば使い捨ての消耗品にしかすぎない。「良心的な」科学者がある種の研究を断っても、代わりはすぐにでも見つけられるのである。

 だが、たとえ掌の中の研究とはいえ、その中で生き甲斐を見いださざるを得ないのが科学者というものなのである。

 日本人研究者を囲い込むのが米軍や日本の軍事研究の狙いだろう。そして、言うまでもなく資金提供は軍事研究や秘密研究につながり、学問から自由を奪う恐れがある。

 資金の出所や研究の成果の行方については、もちろん科学者一人一人が考えるべき問題ではある。しかし、ともに考えたり、それを助けるために、広い意味の文化があるのだと思う。広い意味の文化には哲学や、宗教や、科学が含まれる。それぞれの役割も影響も違うはずだが、ともに考えることが大事なのであろう。

 科学は、たとえば芸術と同じように、それを理解し支えてくれる社会の一部、つまり広範で総合的な文化の不可分の一部のはずである。一般の人も科学者も、科学と文化、科学と社会についてはもっと考えるべきであろう。

 科学者は、それぞれの専門の領域では専門家だが、科学の成果の意義を考えるのは科学者だけの役割ではない。科学者は全能ではない。科学者の役割や科学の役割について考えるのは、科学者以外の人たち、広く言えば文化の役割なのである。それが人類の知恵の広がりをつくるものだし、ひるがえって学問の底辺を広げることによって、学問自身にも役立つものだと思う。

 共同通信の記事に挙げられた米軍資金が群を抜いて多かった東京工業大は、戦前の蔵前高専から大学になった工学部系の単科大学だから、科学者以外からのフィードバックがもっとも少ない大学のひとつだ。また二位の理化学研究所は、もともと科学技術庁配下の国策研究の先兵として大きくなってきた研究所である。それぞれに「群を抜いた」理由があるのであろう。


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