魂の詩・アフリカの仮面・その2
「仮面の頭上には、なにが載っているのだろう」+アフリカ以外の仮面
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1-1:ガボンのプーヌー部族の木製の「東洋人の面」の頭上

「魂の詩・アフリカの仮面」の3-1のガボンの木製の彩色面の頭上に載っているものはこれだ。本体と同じく、鮮やかな彩りだ。

本体は東洋人を模したものだろうが、鳥はアフリカの鳥に違いない。しかし、ほかのアフリカの仮面によく登場するホロホロ鳥とは、あきらかに形がちがう。

しかし、嘴と頭部は誇張されて大きく、猛禽類の嘴、たとえば古代エジプトのホルス(ハヤブサ)の嘴のようにも見える。

鳥の胴体にはまるで楔型文字のような単純化された模様があり、羽も抽象化されている。


1-2:ヨフレ部族(象牙海岸)の「怒りの面」の頭上

「魂の詩・アフリカの仮面」の2-4のヨフレ部族(象牙海岸)の「怒りの面」の頭上に載っているものはこれだ

じつは、この「怒りの面」は、左の写真のように、とても複雑にできている。面の上にヤギか水牛のような角が生えていて、そのさらに上に、鳥が載っているのである。

鳥はほかのアフリカの仮面によく登場するホロホロ鳥にまちがいない。本体の色鮮やかな色彩とバランスを取るためか、嘴にも派手な色が塗られている。

鳥は正面を向いている。その形は、かなり抽象化されているが、ホロホロ鳥の特徴をよく捉えている。


1-3:グーロ部族(象牙海岸)の「道化の面」の頭上

「魂の詩・アフリカの仮面」の3-1の象牙海岸の南部に住むグーロ部族の「道化の面」の頭上に載っているものはこれだ。

本体とはちがって、まったく地味な色使いだし、形も、目も嘴も、羽も、そして脚さえ判然としないほど、抽象化されている。

この種の具象と抽象の組み合わせは、見事なものである。



1-4:これは私が持っている仮面ではないが、頭上に動物を載せている(フランス・パリの国立アフリカ・オセアニア美術館で)

これはグーロ部族の仮面ではない。しかし、上のような鳥ではなくて、動物、それも角の生えた動物を載せている。

立派な角の動物だ。エランドのような野生の動物なのか、家畜なのかはわからない。いずれにせよ、人間の顔の仮面の上に載っている意味は、ほかの鳥が載っているものと同じようなものなのであろう(1995年3月に撮影)。

なお国立アフリカ・オセアニア美術館は2006年にケ・ブランリ美術館に吸収された。



1-5:セヌーフォ部族(象牙海岸など)の「女性を背負った面」の頭上

「魂の詩・アフリカの仮面」の5-2のセヌーフォ部族(象牙海岸など)の「女性を背負った面」の頭上に載っているものはこの、女性の座像だ。

女性は、頭の上に王冠か飾りのようなものを載せている。顔は細かいところまで、じつに丁寧に彫り込んである。

乳房の上に表現してあるものは皺だろうか。だとしたら、たとえば、オーギュスト・ロダンの「美しかりしオーミエール。Beautiful Heaulmiere」(1885-87年に製作。国立西洋美術館所蔵)のような、相当な老女の像なのだろうか。しかし、ロダンの残酷さは、この像にはないのが救いである。

左の写真は全体像。ずいぶん大きな仮面だ。頭に角のように生えているものや頬に生えているものがなにを意味しているのかは不明だ。

なお、胸は私が買ったときから欠けていた。もっとも、そのために安く買えたのだが。


1-6:日本にも頭に動物を載せた仮面がありました。鎌倉時代の舞楽面「陵王」(国立博物館で)

これは鎌倉時代(1211年制作)の舞楽に使われた「舞楽面(ぶがくめん)」。愛知県の真清田神社が持っていた面だ。

面は木製で彩色されている。あごの部分は、ヒモで吊られて、場面によって動かせるようになっている。 また、目の部分も動くような仕掛けになっている。

仮面自体は中国の故事に倣って作られている。その故事とは、北斉の蘭陵王があまりに美男子だったために、合戦に赴くときにはわざとこのように、顔に深い皺が刻まれた醜い仮面をかぶったというものだという。

この面の場合、頭上に乗っているのは鳥ではなく、龍だ。 こちらも、かなりおどろおどろしく、醜い。

(2013年6月。東京国立博物館の特別陳列「日本の仮面、舞楽面と行道面(ぎょうどうめん)」で撮影。撮影機材は Panasonic DMC-G2, ISO1600, F4.5 1/50s。レンズは、42mm相当)


1-7:カナダ西岸、バンクーバー島の博物館にあった現地の先住民のマスク(など)

カナダ西岸の先住民は米国西岸の先住民と近い人たちで、もともとはユーラシア大陸からアラスカ経由で米大陸まで歩いて来た人たちである。なお、一部の人たちは南米大陸の南端にまで歩いていったことが分かっている。

その先住民の作ったマスクや人面が、バンクーバー島の小さな博物館にある。

左の写真は左側に二つの面、右側には人面をかたどった壺がある。そのほか、奥には長い面がある。目にタカラ貝がはめてあるのは、世界のあちこちの海洋民族のマスクと同じだ。たとえばパプアニューギニアやフィジーの面にも、同じようなものがある。

面は、アフリカの面とは違って毛深い。ロシアの北方民族の人面と同じく、寒い気候に耐えるためにヒゲを伸ばすのが普通だった先住民たちにとっては、この毛深さが普通だったのかもしれない。

このふたつの面の表情はとても穏やかだ。その意味ではアフリカのほとんどの仮面とは違う。すぐ隣に住むいくつもの部族と血で血を洗う闘争を繰り返していたアフリカと、大陸西岸という、緯度のわりに温暖な気候に恵まれ、広い国土でゆったり暮らしていたカナダ西岸の先住民族との違いなのであろう。

そして、壺の人面も、穏やかで、ある意味では愛嬌さえある顔つきである。

右の写真のものは目が複数組あるという意味ではアフリカのタンガニイカ湖畔のベンバ部族のマスクに似ていないわけではない。

しかし、この目の多さはなんということだろう。少なくとも9組の目がある。いろいろな表情を一挙に表現したかったのだろうか。

いずれにせよ、アフリカの仮面とは表情も違い、また作った材料も違う。これが風土なのであろう。

バンクーバー島は大都会バンクーバーから近い島で、船で渡る。太平洋を斜めに横切ってきた暖流、黒潮のおかげで、高緯度のわりには温暖なところである。

(1987年8月。バンクーバー島の博物館で)


2-1:アルゼンチン・コロン劇場の「西洋風に洗練された仮面」

アフリカの素朴で原始的なマスクを、「それなりに学んで」洗練されたのが近代の西洋のマスク(仮面)である。

顔全体を隠すのではなくて、眼のまわりと鼻の一部だけを覆う、というのはなかなかの発明かもしれない。とくに西洋人の場合には東洋人のような「団子鼻」はほとんどなくて、細くて長い鼻が普通だから、その鼻をマスクの延長として表現してしまうという表現だ。その結果、この種の顔の一部だけしか覆わないマスクが、かえって凄みを増している。

なお、このマスクを所蔵しているコロン劇場(左)は、アルゼンチンの黄金時代に建てられた荘厳な建物で、欧州にもめったにないほどの贅を尽くした劇場である。音楽をはじめ、演劇や歌劇にも、多くの歴史を飾ってきた。

(南米アルゼンチンの首都のブエノスアイレスの中心にあるコロン劇場で。2004年9月に撮影)


3-1:ロシア北方民族の面(観光みやげ用)

これは、ロシアの極東地方に住む少数民族が作っている面だ。面のまわりは、下のサーメの面と同じように、トナカイの毛で覆われている。

これは面というよりも、そのミニアチュアだ。全体で名刺くらいの大きさしかない。

ロシアの極東地方に住む少数民族は、モンゴル系で、私たち日本人と似た顔をしている人たちが多い。なかにはアイヌ民族の遠縁にあたる人たちもいる。

(高さ10cm。ロシアの極東地方の集散地、ハバロフスクで、ソ連時代に買った)


4-1:ノルウェー北部の少数民族サーメの面(観光みやげ用)

これは、スカンジナビア半島の北部(ノルウェー、フィンランドなど)に住む少数民族、サーメの面である。

トナカイの毛と蹄(ひづめ)、それに布で作ってある。大きさはLサイズの写真くらいしかない、小さなものだ。

(高さ16cm。ノルウェーの北部、北極圏内の都市、トロムソで、サーメの人から買った)


5-1:アラスカのイヌイットの石でできた「悲しみの面」

これは、冒険家の植村直己さんが1970年代に収集した、アラスカに住む少数民族イヌイットの面だ。

アフリカのマルカ族の「憂いの面」 よりは、もっと直接に悲しみを表している面だ。海水に浸食された石をうまく使い、開いた大きな口を穿ったものだ。口の表情は、上の2-1と似ていなくもない。

そして、この形の素材の石を利用して、この面を彫ろうというアイデアは秀逸である。立派な芸術になっている。

(高さ約15cm。2013年1月、東京・板橋区の植村冒険館「開館20周年記念特別展・植村直己北極圏1万2千キロ」展で)

6-1:昔の日本の仮面:伎楽面と鬼面。8世紀にすでにこんなものが作られていました。

じつは、日本にもこんな仮面があった。といっても、もともとは大陸から渡ってきた劇のための仮面である。

その劇は「伎楽(ぎがく)」という台詞がない無言劇で、仮面舞踏劇のようなものだと考えられている。7〜8世紀ごろ、つまり飛鳥から奈良時代に盛んに行われていたが、のちに大陸から伝わった雅楽などの新しい芸能の伝来によって、鎌倉時代以後はすたれてしまったものだ。

しかし、そのための面は正倉院の百数十面をはじめ合計230あまりもが各社寺に残っている。そのほとんどが8世紀のものだが、法隆寺の宝物館のものだけは、その半数以上が7世紀のもので、日本最古の仮面と考えられている。

写真の面は法隆寺の宝物館が持っている伎楽のための仮面のひとつで、いまは東京の国立博物館(法隆寺宝物館)に飾られている。「力士」と名づけられている重要文化財だ。

材質は桐で、彩色されている。

顔の造作、鼻の高さ、どれをとっても西洋人の顔だ。怖い仮面としては、東洋人の顔では凄みが足りなかったのであろう。

時代が下って、右の写真は1296年(鎌倉時代の永仁4年)に作られたことが分かっている「鬼面」である。こちらも木製だが漆を塗っている。これも法隆寺の宝物館が持っている仮面のひとつで、いまは東京の国立博物館(法隆寺宝物館)にある。

こちらも、上の面に劣らず、怖い。まるで秋田のなまはげのようだ。伎楽については、よくわかっていないが、アフリカの面が神と対峙する神事に使われたのと対照的に、こちらは、娯楽の要素が多かったのかもしれない。

(この二枚の写真は、2012年4月、東京国立博物館で撮影。撮影機材は Panasonic DMC-G2, ISO1600, F5.6 1/6s。レンズは、上の写真は90mm相当、下の写真は56mm相当)。



6-2:昔の日本の狂言の仮面:17-18世紀(江戸時代)の面。鬼は愛嬌のある、憎めない顔です。

日本の仮面にも、いろいろ特色がある。これらは狂言の面。

左の面は狂言の面「雷(神鳴)」。空から落ちてしまった雷が腰を痛めて、医者に鍼を打ってなおしてもらう、という筋書きの狂言ゆえか、恐ろしい鬼ながら、どこかユーモラスな表情も見て取れる面だ。

木製で彩色。江戸時代18世紀の作だ。

もともと、角が生えていたのが、その後、脱落したのではないかと考えられている。

右の写真は、同じく狂言の面「武悪」。江戸時代17世紀のものだ。

こちらは、上の鬼よりも凶悪そうな人相に仕上げられている。

上の鬼も、こちらの武悪も、鼻が低くて丸い、いかにも日本人、という顔つきをしている。アフリカの面とは大いに違うところなのである。

(この2枚の写真は、2012年12月、東京国立博物館で撮影。撮影機材は Panasonic DMC-G2, ISO1600, F5.6 1/20s。レンズは、上の写真は68mm相当、下の写真は78mm相当)。

 

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