島村英紀『私はなぜ逮捕され そこで何を見たか』(講談社文庫)から。
「取調室」と「取り調べ」と「取り調べ・その2」



「取調室」

 その後、看守2人が、突然、独房に呼びに来た。取り調べだった。

 看守の先導で廊下続きの本館3階の取調室へ行く。手錠や捕縄はしない。この後も、拘置所内では手錠をはめられたことはなかった。

 独房の扉から数えると、7ヶ所もの鍵付きの鉄扉を看守の鍵でひとつひとつ、開けていく。このため、どの看守も、多くの鍵を束ねた鍵束を腰に下げている。

 扉が多いのは脱走防止策であろう。これだけの扉を開けて逃げ出すには、結構な時間がかかる。

 他の拘置者や受刑者と決して顔を合わせないよう、本館へ行く廊下で会ったほかの収容者は、廊下の壁を向いて立たせている。

 ところで、拘置所の西館の廊下を歩くときは、ほかの独房の中にいる拘置者や受刑者と目を合わせてはいけない、と注意がある。出所後、なにをされるか分からない、とも言われる。

 つまり、独房を覗き込まず、廊下の真ん中を、まっすぐ前を向いて歩くことが要求される。

 途中のエレベーターでは、エレベーターを呼ぶのも、普通のエレベーターのようにボタンではなく、看守の鍵を差し込んで呼ぶ。先に入らされて、奥の壁を向いて立たされる。例の檻は畳んだままだ。暴れる収容者を運ぶときには檻にするのであろう。

 本館の3階には、廊下に沿って、いくつかの取調室が並んでいた。

 取調室には志村康之検事とG検察事務官の二人がいた。

 看守は、「116番、連行しました。」と声をかけ、返事があってから扉を開けて、私を中に入れた。看守は検事たちに敬礼して、帰る。

 取調室は、大学の教授室の一倍半ほどある大きさだった。

 私が型板ガラスの南西側に向いた窓を背にして座り、志村検事と向かい合わせになる。左側にG検察事務官が座る。

 検察事務官の仕事は、調書の口述筆記、調書のプリントアウト、必要書類のコピー、私がトイレに行くときの付き添いなど。

 検事の持つファイルから必要な部分をコピーして、私に示し、答を聞きだして、そのコピーとともに綴じて調書にするから、コピーの作業は頻繁にある。G検察事務官は、部屋から出て行き、本館のどこかにあるコピー機で複写して帰ってくる。

 机は検事と検察事務官は両袖の机だ。私は引き出しなしの簡単な会議用のデスク。大きさは幅180センチ、奥行き60センチほどだった。

 椅子は3種ある。検事はヘッドレスト付きで肘掛け付きのいちばん豪華で座り心地が良さそうな椅子。検察事務官は肘掛けはあるがヘッドレストなしの椅子だ。

 私だけが、折りたたみの安っぽいパイプ椅子に座らされる。しかも、椅子を振り回せないようにするためだろう、パイプ椅子は短い縄で机の脚に縛ってある。

 そのうえ、ご丁寧なことに、縄は、スプライスというやり方で端末を処理してある。スプライスとは、船乗りがロープを処理するやり方で、端末をロープに織り込んでしまうやり方だ。つまり、ロープワーク専用のスパイキという道具がなければ、指で解くことはできない。

 検事の卓上には赤いランプがついている非常ボタンのスイッチボックスがある。被疑者が暴れたときなどに押せば、看守が飛んでくるのだろう。

 外は雪の季節だが、部屋は十分暖かかった。個別暖房で、志村検事が温度を調節する。上着を脱いでワイシャツでちょうどいい温度にしている。これは、札幌での一般的な習慣だ。

 検事の両袖の机の引き出しには、この事件で集めた資料のファイルが入っている。検事の後の壁際にもデスクがあり、そこにもファイルがたくさん並んでいる。

 フォルダーの横幅の合計は3メートルほどあろうか。この事件の資料は、ほとんどこの取調室に持ってきているらしい。

 検察事務官の机の上には調書の口述筆記とプリントアウト用のノートパソコンと、プリンターがある。

 また、パソコンのディスプレイはもうひとつ、検事の机にもあり、検察事務官のと同じものが表示されている。検察事務官の入力を、検事も確かめられるわけだ。

 調書は、端に朱色の四角い印のついた特殊な調書専用のA4判の罫線付き横書き用紙にプリントアウトされる。横書き。ソフトウェアは「一太郎」を使っている。

 ちなみに、志村検事にその後に聞いたところでは、この調書用紙は、大学の入試問題と同じく、刑務所で受刑者の労働として印刷している。

 また、横書きになったのは5年前からだという。官庁のなかでも遅いほうだったと志村検事は言う。

 それまではB4判の縦書きだった。その後しばらくは、右綴じの縦書き書類と、左綴じの横書き書類が、一緒に綴じられている、という不便な時代が続いたという。

 このほか、検察事務官の机の上には内線電話がある。独房担当の看守に電話をして、取り調べが終わったから連れに来てくれ、といった連絡のためだ。


「取り調べ」

 私のように検察官に逮捕された場合、逮捕後の21日間で、検察庁は、被疑者を起訴するかどうか、決めなければならない。

 このため、逮捕してから21日目までは勾留が続くのが普通で、そのあいだ、毎日のように取り調べが続くことになる。

 じつは、刑事訴訟法では勾留は10日間、と決まっている。そして、裁判官は、「やむを得ない事由があると認めるときは、検察官の請求によって、10日間を限度に勾留期間を延長することができる」ことになっている。これを勾留延長という。

 しかし特捜部や私の場合のように検察庁に逮捕されたときには、実際には、ほとんど100%、10日延長して20日間、これに逮捕による拘束時間(検察の場合は24時間)を足した21日間は拘束されてしまう。これも、法治国家を誇る日本の検察と裁判の制度が形式だけになっているところだ。

 拘置所での最初の取り調べは、逮捕翌日、2月2日だった。この日には、取り調べが午前と午後の二回あった。取り調べ時間は合計で4、5時間だった。

 いつ取り調べるか、いつまで続けるかは、検事が一方的に決める。朝だろうと、夜だろうと、被疑者側が希望や文句を言えるわけではない。

 取り調べは、もっぱら検事が尋ね、それに私が答える形で進む。検事はメモを取り、ときには資料を参照しながら、つぎつぎに質問をぶつけてくる。

 その間、検察事務官は、することがない。東京まで行った疲れか、ときどき居眠りをしていることもある。

 取り調べは私についての質問から始まった。家族の構成、住居、私の経歴、私の教育歴、私の収入、私の年金、印税、著作権使用料、利子収入の有無などを順に聞かれる。

 このようなものは、あればあると答えるし、なければないと答えるしかない。最初の取り調べは淡々と進むことになった。

 つぎに、なぜ地震学を専攻することになったのかを聞かれた。学生やメディアに同じ質問を何度もされてきたが、もちろん、検事に答えるのは初めてだ。

 しかし、検事だからといって、特別な答があるわけではない。相手が理科系の専門家ではないことを念頭におきながら、科学としての地球物理学、災害という自然と社会との接点に興味があったから、という、いつも通りの返事をする。

 検事や警察の捜査官の取り調べとはどんなものか、話には聞いていたが、実際に体験するのは、もちろん初めてだった。

 怒鳴りつける。机を叩く。夜も眠らせない。保釈を餌に釣る。目の前に座っている志村検事が、どんな表情に変化するものか、半ば恐れと半ば期待で、志村検事を見つめていた。

 佐藤優『国家の罠』(新潮社、2005年)では、「特捜流取り調べの常識では、官僚、商社員、大企業社員のようないわゆるエリートは、徹底的に怒鳴りあげ、プライドを傷つけると自供を取りやすい。検察が望むとおりの供述をする自動販売機にする」とある。

 私も、大学教授とか国立研究所長という経歴からいえば、「いわゆるエリート」と思われているに違いない、そうすると、この作戦で来るのだろうか。

 そのうえ、私にはちょっとした負い目もあった。いきなり逮捕、連行されて、着たきりの服しかないので、着るものがないだろうと、拘置所から「官衣(かんい)」を貸与されて、それを着ていたのである。

 官衣として借りたものは縦縞の囚人パジャマ上下、灰色の囚人服上下、パンツ2、ステテコ1、長袖下着1、黒靴下2だった。借り賃は無償だが、いずれも何十回以上も洗濯したもので、とてもくたびれた、よれよれの洗いざらしである。靴下の足首のゴムは伸びきっている。もちろん、アイロンはかけていない。

 この灰色の囚人服を着て、取り調べに臨んだのである。下は、例の青灰色の安物のサンダルだ。私は着るものにこだわらないほうだからよかった。身なりを気にする紳士だったら、この恰好をさせられただけで、落ち込んでしまうに違いない。

 しかし、私の取り調べは、意外に淡々と始まった。いささか拍子抜けであった。

 だが、取り調べが進むに連れて違ってきた。

 志村検事は、ときどき感情を私にたたきつけ、ときに涙を拭い、ときにため息をつくようになったのである。また、目をしょぼしょぼさせたり、メガネを外して目を閉じたり、「お疲れ」の様子も、垣間見ることができた。

 考えてみれば、被疑者を怒鳴りつけるのも、じっくり話を聞くのも、どちらも検事のテクニックなのである。相手により使い分けるのであろう。たとえば暴力団関係者だと前者が有効に違いない。


「取り調べ・その2」

 拘置所での最初の取り調べが逮捕翌日の2月2日。翌日は札幌地裁に勾留質問手続のために行ったから、次の取り調べは翌2月4日だった、これから、ほとんど連日、取り調べが続くことになった。

 2月4日、土曜の取り調べは13時から20時までの7時間だった。土日は弁護士とは会えないから、検事は手ぐすねをひいて待っている日なのである。

 夕食時だけは中断があった。私は看守に付き添われて独房へ帰り、聞いたら、検事たちはコンビニ弁当を食べたという。

 2月5日。日曜。取り調べはやはり13時から20時までの7時間だった。同じように夕食時だけは中断があった。じつは前日の話では午前中から取り調べ、ということだったが、午後からだけだった。

 検察庁内の検事の打ち合わせのためか、別の関係者の調べか、疲れたのか。私からあとで聞いた弁護士は「朝、起きられなかったのだろう」と毒づいていた。

 取り調べ中にも、志村検事は目をしょぼしょぼさせたり、メガネを外して目を閉じたり、「お疲れ」の様子も見える。

 取り調べ中に「雑談」をすることがある。私のカメラの趣味の話が出た。志村検事は、私のホームページを見たという。

 しかし雑談にも魂胆が隠れていることがある。

 高価なカメラはない、私が趣味で集めているいちばん高いカメラは欧州の中古カメラ屋で買った69000円、カメラのほとんどはずっと昔から持っていた、ということも聞き出される。容疑の詐欺罪の金の流れの尻尾を掴もうとしたのであろう。

 翌2月6日。月曜。取り調べは取調室の壁の時計で14時20分から17時20分のわずか3時間。しかも夕食の中断もあった。実質2時間の調べだ。

 2月7日。火曜。この日の取り調べも15時50分から16時15分のたった25分だけと、意外に短かかった。じつは16時15分は夕食の時間だ。夕食中断後、毎日16時55分にある点呼のときには独房にいなくていいから取り調べ、と通知してきたが、すぐあとで取り消しという通知が独房に来る。

 この2日間の調べの短さは異常だった。ノルウェーの新聞記事が北海道新聞に報道されたために、善後策で忙しくなったに違いない。

 弁護士によれば、ノルウェー・ベルゲンの新聞に、ベルゲン大学の研究所長が「詐欺にあった覚えはない」と明言し、それが北海道新聞に出たという。もともとは共同通信が私の逮捕を各国に報じて、それを受けてのノルウェー側の反応だった。

 各地の検察庁では、毎日、次席検事が記者会見をするのが習わしになっている。札幌地検でも、毎日16時半に、次席検事が定例記者会見をしている。

 その次席検事の威勢が急に悪くなったと、弁護士は聞いてきたのである。

 この記者会見は、検察情報、取り調べ情報、容疑者の様子などを発表するものだ。被疑者が手足を縛られて、つまり勾留されていてなにも言えないし、弁護士も立場上言えないときに、検察側に有利な情報だけを、一方的に、勝手に、垂れ流している。こうして、被疑者が悪者だという世論を作っていくのである。

 記者クラブに属する司法記者たちも、検察にたてついてニュースを貰えなくなると困るので、そのまま垂れ流す慣習になっている。これも、日本の司法制度と記者クラブ制の悪弊のひとつだろう。

(続く)


この「取調室」と「取り調べ」と「取り調べ・その2」は2007年10月刊行の講談社文庫『私はなぜ逮捕され そこで何を見たか』の一部です。

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