島村英紀『「地震予知」はウソだらけ』講談社文庫の解説
辻村達哉 (共同通信編集委員)

 これは日本の科学の最も暗い部分を告発した本である。日本に科学ジャーナリズムがあるなら、やるべき仕事だったが、地震学者に先を越されてしまった。もっとも、 こんな闇の世界の地図を描くことは、島村さんでなければ難しかっただろう。日本の科学史に残る本だと思う。阪神・淡路大震災を受けて、地震予知計画の見直し作業が 進んでいたころ、私もこの世界をさまよったことがある。作業にかかわる人たちの口は重く、途方に暮れることばかりで、気が晴れるのはまともな地震学の研究について記事を書くときだけだった。あのころ、こんなガイドブックがあればずいぶん楽だったろうに、と思う。

 地震予知計画は、異常な科学プロジェクトだ。始まったときはそうでもなかった。日本の陸地や陸地に近い海底で起こる大きめの地震の予知を目指し、研究期間も10年という、まあ普通のプロジェクトだった。普通でないのは、10年たっても予知実現のめどは全く立たなかったのに、そこでやめられず、名前が変わったにせよ、いまだに続いているという点だ。予知計画の見直しのため、地震学以外の分野から招かれた科学者は「せめて1980年ごろ、研究の現状はこうですと正直に社会に説明して軌道修正していればよかったのだが」とため息をついていた。

 やめられないのは予知計画が「重い」からだ。重い物体が動いているのを止めたり、その動く方向を変えたりするのは難しい。それと同じだ。予知計画で実際にやってきたことは主に地震観測網づくりだ。多くの大学や役所がぶら下がり、人も金も絡んでいる。公共事業みたいなもので、10年も続けば、簡単にはやめられないわけだ。地震はなかなか起こらないから観測を継続すべきだという人もいるが、だからと言っていつまでも続けていいわけがない。私たちは時間もお金も有限な世界で生きているのだ。

 この公共事業を維持するために、科学にひずみも生まれた。厳しい評価をすると計画を続けられなくなるので、当然、評価は甘くなる。逆に予知には関係ないが、地震の理解には役立つという成果を挙げても、何しろ目標は予知なので、いい評価はもらえない。「建て前にしろ、自分たちが地震予知の実現を目標に掲げているために、いいかげんな予知研究を批判できなくなってしまった」という告白も聞いた。

 今はさすがになくなったと思うが、予知計画の見直しが進んでいたころ、高校の地学教科書の一部には、地震予知が今にもできるような記述をしているものもあった。文部省の教科調査官に聞くと、特に問題だとは思わないという答えが返ってきた。自分たちは地震学者ではないのでそこまでチェックできないし、いちおう科学者が書いているのだからという言い分だった。いいかげんな話だが、考えようによってはそういう教科書の方が教育的かもしれない。

 地震予知計画は2009年度から火山噴火予知計画と合体した計画になる見通しだ。ますます重くなり、いよいよ異形の科学プロジェクトになってきた。火山研究の予算が削られていることや、噴火予知研究の新たな方向性が見えなくなったことが理由だそうだが、それをこんな形で解消するというのも異常だ。うまくいかなかった場合、誰がどう責任を取るのかも依然としてあいまいだ。

 今やるべきことは、何でもかんでも合体して膨らませることではなくて、逆に小分けにして正常な科学プロジェクトに戻すことではないだろうか。

 地震観測よりも、活断層のない場所でも、まあだいたい岩手・宮城内陸地震くらいの直下型地震が来るというふうに最悪のケースを大ざっぱに設定して、それに備えて耐震化などの研究や対策に税金をつぎ込んだ方が、人命を守るのにはるかに役立ち、ずっと安く上がるかも知れない。地震予知は防災に役立つから続けるというなら、そういう別の研究と同じ土俵に上がって競争すべきだろう。

 地震予知計画だけをやり玉に挙げているわけではない。実はこういう公共事業のような科学プロジェクトはほかにもある。南極観測、宇宙開発、最近だと地球深部探査船「ちきゅう」か。プロジェクトが重すぎて見直しができない。例えば南極観測船は北半球の夏は使わない。高い砕氷能力があるのだから、地球温暖化との絡みで注目されている北極の研究に使えばいいのに、できない。なぜかというと船は自衛隊の持ち物で、夏は訓練に使うからだ。乗組員を入れ替えて使えば無駄がない。南極への人員や物資の輸送も、もっと空輸を利用して効率化すればいい。

 「ちきゅう」についても、その前に国際共同研究に使われていた深海掘削研究船「ジョイデス・レゾリューション」の二番せんじで、大した科学的成果は見込めないという批判が同業の地球科学者たちから出ている。船の建造を請け負った企業は潤っただろう。文部省と合体する前の科学技術庁が始めたものだが、同庁のプロジェクトの多くは原子力、宇宙・航空、海洋と、いずれも大企業と結び付いた公共事業のようなものだった。巨額の金が流れ、人が群がる。金額に見合うだけの成果は出ただろうか。

 誰も彼もがあてどなく流されている。それに苦言を呈する科学者はほとんどいない欧米のような科学アカデミーがあればいいのだが、日本には存在しない。こういう状況が続けば、政府が掲げる「科学技術創造立国」はそのうち挫折し、「科学技術亡国」になりかねない。

 その兆しは見えている。科学者がこんなふうだと、間違った政策がまかり通るようになる。1978年にできた大規模地震対策特別措置法(大震法)がそうだ。大震法は地震予知計画とともに長い間、「地震は予知できる」という誤解を日本社会に与え続けてきた。政府の中央防災会議は2003年、東海地震対策大綱を作り、予知できなかった場合の被害想定を初めて盛り込んだ。 

 予知に対する誤解を与えてきたのを是正するためだったというのだが、それで誤解が消えたわけではない。いまだに大震法は「ほかの地震は予知できないが、東海地震だけは例外だ」という誤解を広げている。地震への関心が高いはずの静岡県民ですら3割の人が「予知できるかもしれない」と思っている。

 大震法ですら生き延びているので、科学的に間違った政策は後を絶たない。例えば2008年4月に始まった「メタボ健診」もその一つだ。

 メタボリックシンドロームは病気の名前ではない。中性脂肪や血圧などの数値で定義された、ある状態のことで、それを外れた場合に運動や食事などの生活習慣を改善すれば、心筋梗塞や糖尿病を予防できるかも知れないという目安にすぎない。

 この目安が本当に予防に役立つかどうかはよく分かっていない。証拠がないのだ。だから大々的に医療に使おうという国は日本以外にはない。特にメタボかどうかを判定する腹囲など日本のメタボ基準については、その妥当性が内外の専門家から厳しい批判を浴びている。少なくとも基準の見直しは必至の情勢だ。

  どう考えても厚生労働省の役人の単なる思い付きとしか思えない。医療費抑制のためだという。しかし中性脂肪や血圧を下げるのに薬を使えば、逆に医療費が増える可能性だってある。役立たなかったら、いったい誰がどう責任を取るのか。

 では、どうすればよかったか。メタボ基準なるものが、生活習慣病予防に役立つかどうかを研究すればよかった。メタボ健診を批判する大..陽一・東海大医学部教授によると、数年で効果を見極めるためには数十万人を対象にした調査が必要だという。役立つことが分かってから導入する、こんな当たり前のことがなぜできないのか不思
議だ。

 地球温暖化対策も、科学的に間違っている可能性がある。産業活動が出す二酸化炭素が温暖化の主犯かどうか、まだよく分からないのだ。米アラスカ大の赤祖父俊一名誉教授は、氷河の後退が19世紀から始まっていたことを根拠に挙げ、今は「小氷河期」から暖かい気候に向かう途中であって、人間の影響は全体の6分の1で、大部分は自然変動だと主張している。だとすれば6分の1をいくらか減らすことに、どんな意味があるのだろう。

 上空の雲の形成に、電気を帯びた粒子である「宇宙線」がかかわっていると主張する科学者も少なくない。地球に降り注ぐ宇宙線の量は大きく変化する。その影響で雲の量が地球規模で変化するならば、大きな気候変動が起こり得る。そこで欧州では宇宙線が雲に及ぼす影響を、地上の加速器を使った実験で調べようという計画が進んでいる。

  脱炭素社会を主張する前に、日本はなぜこういう研究をしないのか。真理を知りたくないのだろうか。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の報告書があれば、それで十分なのか。その報告書だって、二酸化炭素が主犯だと言い切っているわけではない。本当かどうかよく分からないものに、これから莫大な税金をつぎ込もうとしているのだが、そんな投げやりな姿勢でいいのだろうか。優等生らしく国際社会に対してきまじめな約束ばかりして、それで国が滅びることはないだろうか。

 インドの科学者に対して外務省がとにかくビザを出さないというのもあった。核不拡散のために核開発にかかわっている科学者を日本の研究施設に入れない、という「外交政策」だったらしいのだが、核とは無縁の天文学者や素粒子物理学者にもビザを出さなかった。理由は単純で、外務省には違いが分からなかったのだ。インド人科学者は誇りを傷つけられ、優れた学者のいるインドとの交流に力を入れたい日本の研究者は大迷惑をこうむった。

 物理学者の国際組織である国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)からは「科学者の自由な交流を阻害している」と批判された。外務省内の良識派からも軌道修正すべきだという声が強まり、ようやく方針転換がなされたが、「外務省は科学オンチ」という事実は世界に広まったことだろう。この間違った政策は2005年に大っぴらになったのだが、そのころ外務省は核不拡散絡みで、国内にあるいろいろな加速器のスペックを調べていた。ところが調査項目がまるで的外れな上に、純粋科学にしか使えない加速器までも調べていた。全くご苦労なことだ。

 つまりは無責任体制なのだ。政治家も役人もそれにかかわる科学者も、誰も責任を問われないから、科学的におかしな政策や科学公共事業が始まってしまい、なれ合いが続いて、いつまでたっても終わらないのだ。社会に対しても無責任だし、そんな科学はいずれひずんでしまうことを思えば、科学に対しても無責任だ。

 政治家は科学者ではない。政策をつくるときには、必要に応じて科学者に意見を聞いた上で、議論して決めればいい。役人は科学者ではないし、役人の組織する審議会や委員会も役人の筋書き通りに事を運ぶだけで責任は取らないので、頼りにならない。数年前には、ある医療関係の審議会が役人のふっかける無理難題に応じなかったので、
役人の言うことを聞く別の審議会で物事を決めるという事態も起こった。

 米国のブッシュ大統領でさえ、温暖化問題への対応を決めるときは、科学者の意見を聞いた。米国の連邦議会も頻繁に科学者の意見を聞く。社会の要請に応えるのも科学者の仕事だと思う。そういう仕組みをつくるには政府から独立した科学アカデミーが必要だ。日本学術会議の今の低調な活動ぶりでは、そんな仕事はとても無理だろう。

 このままでは、日本社会は崩壊してしまうのではないかと私は不安に思っている。崩壊を食い止めるには、おかしなことはやめて、健全なものをつくっていかねばならない。それには、居心地の良いなれ合いから抜け出す勇気が必要だし、新しい方向については皆で十分に議論する必要もある。

 科学公共事業の一翼を担う国立極地研究所の所長に島村さんが就任したとき、私は閉塞状況がいくらか変わるのではないかと期待した。島村さんは勇気のある科学者だと知っていたし、国際共同研究を引っ張ってきた実行力の持ち主だ。所長にと望んだ極地研の関係者たちも、そこに期待していた。だが、しばらくして島村さんが何とも奇妙な事件に巻き込まれてしまい、希望は失われた。

 北海道大教授だったとき、島村さんは共同研究をするノルウェー・ベルゲン大から海底地震計を売ってほしいと求められた。地震計は開発した島村さんがいないと操作できないので、買っても自分たちだけでは使えない。しかしベルゲン大は研究を支援する企業から、自前の海底地震計を持つように強く求められていた。

 結局、島村さんは頼みをのんだが、北大からは、外国の小切手は受け取れないと拒否された。代金は個人口座に振り込まれて共同研究に使われ、地震計は島村さんらが管理し続けた。それが業務上横領に当たるとして北大は極地研所長となった島村さんを告訴した。 

 ところが捜査段階で何と被害者をベルゲン大とする詐欺事件に変わった。ベルゲン大教授は「だまされたとは思っていない」と証言したが、札幌地裁は有罪判決を言い渡した。島村さんは控訴せず、この世の汚濁を一人でのみこんだ。

 島村さんのやったようなことは国際共同研究ではよくあることだ。普通は関係する人たちが知恵を出して丸く収めている。それがなぜ事件になったのか。ある人は地震予知批判との関連を示唆する。「北大教授が批判するのはいい。しかし極地研所長が批判することは許されない」

 闇は深く、そこは魑魅魍魎の世界のようだ。


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