『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)から。223-233頁
(すでに拙著をお読みになった方には、再録で申し訳ありません)

島村英紀が書いた最初のフィクション・その2

「警戒宣言」3日目の朝-----「判定会」委員のもっとも長い一日

 東海地震が来るかどうか、その予知を判定する判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)の会議室は東京・千代田区大手町のお堀端にある気象庁の8階建てのビルの2階にある。築40年にもなる古いビルだ。すぐ隣に近年新築された東京消防庁の、どんな大地震にも耐えそうな頑丈な建物に比べると、一段とみすぼらしく見える。

 委員会室は窓のない大きな部屋で、中央にある大きなテーブルを囲んで、各委員の座る場所が決まっている。質素な気象庁の部屋の中でも、ここだけは壁が白くはなく、木目の合板が貼ってある。テーブルは両端が丸い陸上競技のトラックの形になっている。6名の委員と気象庁の職員は緊張の面もちで、席に座っていた。

 委員会室のすぐ隣、つまり委員会室と廊下との間が、委員たちの仮眠室になっている。判定会が実際に招集されたのは、判定会が作られてから四半世紀も経ったがこれが初めてだった。それゆえ、委員にとっては、ここに泊まるのも初めてのことだった。ソファーベッドに毛布で寝る程度の相部屋で、それぞれの間は貧弱な衝立で仕切ってあるだけだから、もともと快適な部屋ではない。

 一昨日の早朝、東海地方の体積歪計のうちの3台が異常なデータを示したということで、気象庁からの連絡で起こされて自宅から招集されて以来、もう2日も、足止め状態が続いている。一昨日朝の会議で地震予知の警戒宣言を出してからも、1日何回もの会議が続いた。

 夜になってようやく寝る時間になっても、気象庁の職員はしょっちゅう出入りするし、部屋の前の廊下に詰めていて、出入りする委員のコメントをとろうとしたり、せめて委員の表情でも窺おうとするテレビ各局のニュースカメラの気配が部屋の中まで伝わってきて、緊張を高めている。いつ東海地震が起きるのか、生まれて初めての重責をいまさらのように感じる。委員たちは、緊張や不安で寝られないのであった。

 今日の午後も、午後3時から、判定会が始まった。今朝から3回目の会議である。各委員の机の上には、分厚い資料のほか、それぞれディスプレイが置かれていて、東海地方に置かれた体積歪計からのデータがリアルタイムで示されている。各委員がキーボードを操作することによって、地震計のデータや、大学など外部の機関が記録したデータも見られるようになっている。

 データは、昨日の夕方から、ほとんどなにも変わっていなかった。判定会の招集基準だった3地点の体積歪計のデータは、一昨日朝に警戒宣言を出してから、その日の夕方、4地点に増えたものの、昨日の夕方から再び3地点に戻ったまま、ほとんど変化がなかった。地震活動も、電磁気の観測データも、昨日からは、なにも新しいことが起きていないようだった。

 不思議だ、とすべての委員が思っていた。もしプレスリップが起きているとすれば、地震断層の滑りは、どんどん加速して、早ければ数時間以内にも、東海地震に至るはずであった。そしてプレスリップが加速すれば、3地点だった体積歪計の異変は、すぐにも5地点になり、7地点へと増えて、間もなく東海地震が起きるというシナリオだった。それなのに、警戒宣言を出してから2日も膠着状態が続いているのである。

 急遽、現地の四地点へ派遣した係員からは、体積歪計の観測装置には異常はない、また、付近で土木工事も行われていないし井戸の掘削も行われていない、つまり観測データに影響するような人工的な原因はない、という報告が届けられていた。

 しかし、地下100メートルから200メートルの深い井戸の底にセメントで永久的に固定してある体積歪計そのものを点検するわけにはいかない。報告は、たんに、地下のセンサーから送ってきたデータを整えて気象庁に送る役割をする、地上にある電子機器が正常に働いている、というだけの意味しかなかった。

 センサーが悪いのか、センサーは正常に働いているのだが、プレスリップではない現象が起きているのか、せめて、すぐ近くに同じような観測器が置かれていれば比べることもできるのだが、あいにくと気象庁の予算では1地点に一つの観測器だけしか設置できなかった。これは気象衛星『ひまわり』に気象庁全体の予算をとられてしまって、気象庁の中では弱小部門である地震火山部 の予算が限られていたせいであった。つまり、機器の異常かどうかは判断しようもなかったのだ。

 委員たちが思い出していたのは、2003年4月に浜名湖の北に設置してあった三ヶ日の体積歪計が異常なデータの変化を示したことだった。あの異常は、次の日から変化が一段と急になり、あれよあれよという間に、判定会の招集基準とされていたレベルを超えてしまった。その日の午後になっても変化は続いたが、やがて少しずつ変化は鈍くなっていって、10日ほどしてから、自然に収まってしまった。結局、あの異常は大地震とは関係がなかった。

 あのときは幸い異常が1点だけだったから、判定会も招集されず、固唾を呑んで推移を見守っている間に、収まってくれた。

 気象庁は「プレート境界のすべりによるものではなく、体積歪計のごく近くの地盤のずれや地下水の移動など、何らかの局所的原因によって引き起こされたもの」という記者発表をして終結させた。記者会見では、では実際に何が起きていたのか、これからも起きることなのか、と突っ込まれたが、冷や汗をかきながらも、分からないと突っぱねるしかなかった。

 しかし、あれと同じことがたまたま3カ所か4カ所で起きたのではないか、一昨日から記録されている異常は大地震の前兆ではなかったのではないかという疑念が、時間が経つにつれて、委員の頭の中に鎌首をもたげてきていた。そもそも、プレスリップを過去に経験した委員は誰もいない。世界でも初の、ぶっつけ本番の地震予知をしようというのである。どれが信号で、どれが雑音なのか、見分けられる確証は、どの委員も持っていなかった。

 気象庁の長官からは、首相官邸の意向が伝えられた。警戒宣言をいつまで続けるのか、見通しを明らかにしてくれ、という要望だった。警戒宣言を出すのも、解除するのも長官の報告を受けた総理大臣がやることになっている。

  だが、実際には総理大臣が判断できるわけはないから、結局は、警戒宣言を出すときも、また、解除するときにも、判定会の結論がそのまま政府の発表になるのである。

 新聞もテレビも、止まって2日目の朝を迎え、足掛け3日目に入ろうとしている新幹線や東名高速道路による交通の混乱や、首都圏に生鮮食料品が入らなくなった大混乱や、日本経済への深刻な打撃を伝えている。

 静岡県内や愛知県東部の工場も止まってしまったから、もちろん東海地震の地元の混乱は大きいが、報道は、地元の混乱よりは、首都圏や関西圏の経済への打撃を大きく伝えていた。地元の静岡市用宗に住む久保田真吉の心配どおり、早くも地元は、中央からは忘れられようとしていたのである。

 委員たちも、額に脂汗がにじむような、追いつめられた気持ちだった。何年か前、委員を引き受けたときには、こんなことになるとは想定もしていなかった。委員の皆が前兆だと判断すれば、その日にも東海地震が起きる。大地震を予知した学識経験者として、後世に名が残るはずだった。

 委員は東京近辺に住む地震学者のうち、パトカーの先導で自宅から1時間以内に気象庁に来られるという条件にかなった科学者が選ばれていた。そのうちの1人として地震予知を専門としている地震学者はいなかった。しかし、明確なプレスリップという前兆が捕まりさえすれば、地震予知ぐらいはできる、と委員のそれぞれは、心の底では、たかをくくっていたのであった。

 誤解のないように言えば、地震予知を専門とする地震学者というのは、そもそも日本にはいないのである。たぶん世界にもほとんどいない。地震予知は学問体系にはなっていない経験的な科学、それもいままでに経験したことがない、ぶっつけ本番の科学なのである。

 3カ所の体積歪計の異常が5カ所、7カ所にと増えてくれ、と委員たちは祈るような気持ちだった。しかし、データは非情にも、1日間だけ3カ所が4カ所に増えたものの、また3カ所に戻った状態のまま、早くも3日目を迎えてしまっていた。

 このまま長引いたら、民間の試算では1日7200億円もの経済損失が続く。今日、解除できなかったら2兆円の損失を超える。

 もし、このまま東海地震が起きなかったら、政府は民間の企業に損失補填を訴えられかねない。テレビや新聞にも叩かれるだろう。官邸も焦っていた。こんな中途半端な状態が続くという可能性なぞ聞いていなかった! と官房長官が、説明に訪れた気象庁長官を怒鳴りつけた、という噂が拡がっていた。

 しかし、気象庁長官といえ、事情は同じだった。ずっと気象畑を歩いてきて、気象畑のトップである予報部長から長官になるという、気象庁のエリートコースに順調に乗ってきた長官にとっても、この事態は予想外だった。

 気象庁の組織には局はなくて部しかないから、予報部長とは、気象予報の最高責任者のことである。気象庁の中では、地震と火山を合わせてもたった一つの部にしかすぎず、気象や海洋の部のほうが圧倒的に多い。気象庁の実権を握っているのは気象や海洋であり、地震と火山は、いつも隅っこで小さくなっているのが実状だった。

 元予報部長の頭の中には、天気予報のように数値的に解けるものではない地震予知が、あんなもので大丈夫なのだろうか、と部下のレクチャーを聞いたときに思った懸念が再び蘇ってきていたのである。

 3時からの判定会でも、すべてのデータが示されていた。だが、正午に開かれた前回の会議と同じで、それぞれのデータは微妙に変動してはいるものの、確定的なことが言える、なんのデータも付け加わらなかった。窓がない会議室だけに、空気が淀んでいるのが、いっそう息苦しかった。

 静岡市用宗の久保田真吉は蒸し暑さにうだっていたが、これは台風崩れの熱帯性低気圧が、3日ほど前に静岡を通り、大雨を降らせた湿気が残っていたせいもあった。それまでは、乾いた暑さの日照りの夏だった。ようやく雨が降ったので、農業関係者は喜んでいた矢先の、この突然の警戒宣言だった。

 じつは、この大雨が、体積歪計のデータに影響したのではないか、というのが委員たちの密かな不安でもあった。もともと、雨も気圧も、データに影響する。気象庁は20年以上にわたる観測の経験から、雨などの気象要素が影響しないよう、リアルタイム(実時間)補正を完璧に行っている、とは主張してきた。

 しかし、体積歪計のような地殻変動の観測には地下水の量や流れが影響することは避けられず、日照りが続いたあとに突然降った大雨が、次第に地中にしみ込んでいく効果まではリアルタイム補正ができない恐れがあった。

 もしかしたら、体積歪計の異常データは、大雨のせいだったのではないか、雨量がとくに多かった静岡県西部の体積歪計のデータが異常なことも、心配を増幅した。しかし、もちろん、本当の異常である可能性は捨てられない。会議の議論は、いつまでたっても堂々巡りだった。


 判定会では、どの委員も言い出しにくいことがあった。国民の不安を鎮め、経済的な損失をくい止めるために、警戒宣言を解除する、という提案である。じつは、いったん出した警戒宣言を解除する基準というのは、そもそも決まっていないのである。

 警戒宣言を出すときには基準がある。3地点以上の体積歪計が異常を示したら、という基準である。気象庁が定量化した、と胸を張っている基準だ。

 しかし、これは科学的な基準というよりは政治的な判断であった。つまり、モデル的なプレスリップが十分な大きさで起きたとしても、1地点だけのデータでは、機械の故障かも知れないし、その地点だけの局地的な現象かも知れない。2地点に変化が出たとしたら、機械が同時に故障するということはないだろうが、東海地震ではなくて、その2地点の地下だけで起きる小さな地震に関連した現象かも知れない。

 他方、四つや五つの地点で明確なデータの変動が出るまで待っていると、プレスリップがどんどん進んでしまって地震予知が間に合わなくなるかも知れない。こういった案配から3地点ということになったのである。

 つまり二つならば正しくなくて、四つでも正しくない、三つでなければならないという科学的な根拠は、そもそもないのである。

 一方、解除するにあたっての基準は、もともと決まっていなかった、それは、警戒宣言を解除する科学的な根拠は、警戒宣言を出すときよりも、さらに薄弱だからである。東海地震が起きてしまえば解除はできるだろう。しかし、いくつかの、あるいは、たとえ1台の体積歪計だけでも、データが異常を示したままで解除できるかどうかは、判定会の委員が、その場で「判断」するしかない、つまり”勘”で判断するしかない。委員たちには、異常が続いている状態で警戒宣言を解除してしまってから、地震が来るか来ないかは、正直なところ、分からないのである。

 また、中国の海城地震の前のように、前震活動が収まって半日近く経ってから大地震が起きたことさえある。いったん異常だったデータが元へ戻ったからといって、安心とは限らない。委員たちは、輝かしい地震予知の成功例だったはずの海城地震の、もう一つの事実を否応なしに思い出していた。

 そもそも地震予知は、すでに知られている法則があって、その法則にデータを当てはめれば、結果が出る、というものではないのである。

 委員たちは、この事情と責任は、痛いほど分かっていた。もし3点のデータが異常を示したままデータの変動がないというだけの理由で解除してしまって、その後東海地震が起きてしまったとしたら……。判定会の委員も、政府も、面目は丸つぶれである。いままで、法律を作り、四半世紀も維持してきた、日本の地震予知体制も政府への信頼も、根底から瓦解してしまう。

 判定会室にはテレビもある。記者会見での官房長官の顔が映る。「専門家が鋭意、検討中です」という曖昧な答えを繰り返しながら、顔が引きつっている。これが委員たちに強いプレッシャーになっている。

 「警告解除、裏目に」という、解除後に地震が起きてしまったときの新聞各紙の政府批判の大見出しが瞼に浮かぶ。不意打ちなら被害も大きくなる可能性は高い。

 だが一方では、解除しなければ、地震の地元だけではなくて、日本中、ときには世界経済にまで影響が拡がる。明確な根拠がなく、所詮、”勘”だけが頼りだった東海地震の予知が、こんな局面になるとは、委員を引き受けたときには、誰の頭にも浮かばなかったに違いない。

 解除するのも地獄、警戒宣言を続けるのも地獄だ。委員の胃が裂けるような緊張の時間が過ぎていく。国民が待ちきれなくなる期限がひしひしと迫ってきているのを、委員の誰もが感じ始めている。

 委員会室に着席している気象庁長官の携帯電話が鳴った。長官の携帯電話の番号を知っている者は、ごく限られている。秘書室長と、部長のうちの何人かだけだ。長官の電話が鳴ったのを見るのも、その場に居合わせた全員にとって初めてだった。

 電話をとった長官の顔から、みるみる血の気が引いていく。静岡市内、静岡駅のすぐ南の住宅街にある静岡地方気象台の台長の官舎に石が投げ込まれた、という知らせである。

 台長の官舎は、気象台と同じ敷地にあり、正門を入ってすぐ左手にある。外を通る道からは庁舎よりも近い。古ぼけて質素な木造の平屋の建物だが、石でガラスが割れたという。幸い、台長にも家族にも、怪我はなかった。

 だれが、なんのために石を投げたのだろう。地元はそこまで追いつめられているのだろうか。委員会室の緊張は一気に高まった。

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