『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2000年8月1日夕刊〔No.273〕

群発地震と椿の花

 伊豆諸島の三宅島で(2000年)6月にはじまった群発地震は幸い大噴火には至らなかったものの、その後三宅島から離れた西の海底下に移動して、いまだに続いている。神津島、新島、式根島は、ときには震度6弱にも達する強い揺れに毎日のように襲われている。

 ところで、地震学では群発地震は、もっとも先を予測しにくい厄介な現象なのである。

 かって函館の沖で群発地震が起きたことがある。1978年10月に函館山の数キロ南方沖で始まった群発地震は、翌年に入ってさらに活発化し、震源も東の湯の川沖に広がり、大きめの地震も混じるようになった。

  活動は消長を繰り返したが、その夏に最大級の地震が起きた後には、しだいに収まっていった。この間、どの段階でも、気象庁も地震学者も、今後どう推移するのか、まったく予測できなかった。誰でもが終わったと思ってからも、5年目の1982年になって、まだ残り火のような群発地震さえ起きた。

 つまり、私たち地震学者は、群発地震のときに地下でいったいなにが起きているのかを知る手段を、まだ持っていないのだ。

  マグマが上がってきているのかも知れないし、あるいはいままで岩に溜まっていた歪み(ひずみ)が、何かの理由で少しずつ解放されているのかも知れない。最新の医療機器で人体の中を見るようには、地球の中を見ることはまだ不可能なのである。

 かって寺田寅彦は、1930年に起きた伊豆半島伊東沖の群発地震の回数が、日毎に落ちる椿の花の数と似ているという論文を書いたことがある。

もしかしたら、植物学者は明日落ちる椿の花が分かるようになっているのではないか、進歩していないのは私たち地震学者だけではないかと、私は恐れているのである。

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