『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2001年9月27日夕刊〔No.284〕

地球物理学者の別れ

 毎年、11月中旬に南極輸送船が東京港を出て南極へ向かう。

 その前夜に大パーティがあり、当日は隊員の名前を大書した幟やら垂れ幕やらをうち立てて別れを惜しむ。妻や子。恋人。友人。先輩や後輩。越冬隊ともなると一年半もの長い別れになるから、恒例の盛大な見送りが毎年繰り返されている。

 出航した船が南極に着くのは年の瀬になる。この一ヶ月半もの長い航海中、文字通り「同じ釜の飯を食う」ことが、隊の結束と観測の成功のためにはなくてはならないものだと考えられてきた。

 しかし時代は変わり、世代交代も進んだ。長い航海も、鍛錬や親睦というよりは、苦痛や無駄だと感じる隊員が増えた。

 かくて、今年からは仕組みが変わった。隊員は成田空港から定期便の旅客機でオーストラリア西岸へ飛び、そこで輸送船に追いついて乗り移ることになったのだ。南極での滞在期間は同じだが、日本出発を二週間ほど遅らせられる。忙しい科学者にはありがたいことだ。

 しかし、別れの儀式をどうするのかは決まっていない。成田空港の屋上に幟や垂れ幕を持っていったとしても、船出のときの感じは出まい。テープが切れるまで船と陸の間で延ばしていったり、ちぎれるほど手を振る姿がだんだん遠ざかっていったりする風景は船だけのものだ。顔も見えず、轟音とともにあっという間に飛び去ってしまうジェット旅客機には、船で出航する情緒はない。

 今年南極へ向かう隊員たちは、今までの年とは違って無味乾燥になってしまった感慨を噛みしめながら飛び立つことになる。

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