『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2002年3月19日夕刊〔No.289〕

地球物理学者のニンジン

 今年の南極観測隊員は不運を嘆いているだろう。南極を出て帰路についてから、また何かが起きるとは思っても見なかったに違いない。

 そもそも、南極の昭和基地への往路が大変だった。オーストラリアを出てから、あの大きな南極観測船が左右に50度ずつも揺れたのだ。南極海はいつも荒れるとはいえ、これだけの揺れは異例だった。

 船は帰路、基地を出てから、南極海で海洋観測をして帰る。今年の海洋観測はもう1隻の観測船をニュージーランドからチャーターして2隻で行う大規模なものだった。観測が終われば、オーストラリアに寄港し、観測隊員はそこから空路、日本へ飛ぶことになっていた。

 ところが、船員に病人が出た。海洋観測をする前に、病人をオーストラリアまで運ぶことになった。飛行機で行けるわずかの南極基地は別にして、南極では助けを呼ぶわけにはいかない。

 こうして二月二六日、船はオーストラリアの港に緊急入港した。病人は助かった。しかし、病人を下ろしてすぐ、誰も下ろさないまま、船は再び南極海の観測に向かったのである。

 短い隊員でも3ヶ月、越冬隊員では1年半ぶりの港であった。船に長く乗ったことのない人には、港に入ることがどんなに愛おしいものか、分からないかも知れない。見飽きてしまった仲間でない他人を見ること、歓楽街の赤い灯青い灯。それだけが楽しみで、長い航海を耐えることさえあるのだ。

 また、吠える南極海に帰らなければならない。目の前にぶら下げたニンジンが消えてしまった馬のようなものだ。再びオーストラリアの港に帰ってくるまでの一ヶ月間は、隊員にとっては、ことさら長い日々なのである。

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