『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2003年8月29日夕刊〔No.306〕

地球物理学者の調査

 1923年9月1日に関東大震災が起きた。それから80年もたった最近、当時の謎がひとつ解けた。

 震災は14万人を超える日本史上最大の死者行方不明者を出した。また流言飛語による在日外国人への迫害や、警察による社会主義者の惨殺など「人災」も含めて忘れがたい災害だった。

 この地震の人的な被害の大部分は、地震で出火した火が東京中に拡がった大火による焼死である。

 ところがこの地震では、どこで、どのくらいの家が倒れたのか、詳しくは知られていなかった。地震で倒れなくても焼けてしまった家が多かったからだ。この倒壊率の調査はなかなか大変だった。その調査がようやくまとまったのである。

 それによれば、たとえば、東京・神田の神保町の交差点を境にして、西のほうが圧倒的に倒壊率が高い。交差点のまわりは平地が拡がっているのに、こんなに違うのは意外だった。

 カギは、江戸幕府による川の改修だった。江戸城を洪水から守り、江戸の港が土砂で埋まるのを防ぐために、川を切り替える土木工事が行われた。その切り替え前の河原で震度がとくに大きかったのである。しかし関東大震災当時には、昔のなんの痕跡も地上には残ってはいなかった。

 治水には見事に成功したというべきだろう。しかし、300年も後に、こんな形で地震被害が現れるとは、いかに名君でも、想像も出来なかったに違いない。

 いや、地盤が固かろうが軟弱だろうが、見境なく住み着いて住宅密集地にしてしまった後世の人々のせい、というべきであろうか。危ないから住むな、と言える権限を地球物理学者が持っていないことを悔やむ。

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