『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、 2005年3月15日夕刊 〔No.322〕

氷河の中の一生

 南米でも、中国奥地でも、氷河の上に小さな虫がいることがある。蚊から羽根を取ったような、みっともない形の虫だ。

 これらの虫は、氷河のまわりにある山林から風に飛ばされて、たまたま氷河の上に来たものだと思われていた。

 しかし、じつは、この虫は氷河の中で一生を送っていたことが分かった。

 この虫を掌に載せると、暑さで動けなくなってしまう。一方、零下16度でも元気に動き回る。つまり身体の仕組みがほかの生物よりも、ずっと寒い方に適応しているのだ。食べるものは氷河に生えているコケやカビだ。

 この虫の雄は氷河の上に出てくることはない。氷河の表面の下数十センチのところで雌と交尾したあと、すぐにその一生を終える。

 他方、雌は、交尾のあと氷河の表面に出てきて、氷河の上を歩き続ける。それも、氷河の上に向かって、一週間ほど登り続けるのだ。

 その雌も、卵を産み付けると一生を終える。雌が必死に登り続ける理由は、氷河が下端から溶けてなくなっていくからだ。同じところに生き続けていたら、氷河の下端から押し出されてしまう。そこでは暑くて動けなくなってしまうからにちがいない。

 日本語ではユスリカの仲間の名前が付けられ、英語では羽根のない蠅と名付けられている。

 他の生物と競合しない環境で、他の生物が食べないものを食べて生きていくために特化した、この世で最も弱い生物なのである。

 なんと可哀想な虫だろう。ニッチ産業という言葉がある。これはニッチ人生というべきだろうか。寿命が短い雄の一生は、とくに身につまされる。

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