『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、1999年6月18日夕刊〔No.260〕

逃げた地震

 地震学者が地震に逃げられてしまったことがある。

 昨年8月、観光地として有名な長野県の上高地で群発地震が始まった。観光客のピークの時期だった。ここでは1903年にマグニチュード5.5の地震が起きて、山や道路が崩れたことがある。

 しかも、震源は東西に帯状に伸びていて、そのすぐ西には焼岳があった。焼岳は1962年に噴火した活火山だ。この群発地震は大きな地震の前震かもしれないばかりではなく、噴火の前兆かもしれない。地元に緊張が走った。

 急遽、研究者が上高地に向かい、この地震活動を解明するために、いくつかの地震計を置きはじめた。

 彼らの到着が遅かったわけではない。群発地震が始まって6日目には、地震計の設置を始めていたのだ。群発地震の震源を正確に決め、地下で何が起きているかを解明するためだった。

 しかし、地震計を置き終わる直前に、群発地震の震源は、上高地を離れて、北にある穂高連峰槍が岳の地下へ移動してしまった。距離にして10キロあまり動いたことになる。そのうえ、鬼ごっこでもするように、その活動域のいちばん北で、それまでの群発地震で最大の地震が起きた。置いた地震計からはもっとも遠い場所であった。

 それだけではなかった。9月に入ると震源はさらに北上して富山県境を越えた。上高地からは20キロ以上も北上したのである。そして、秋になると、群発地震は県境で消えてしまった。

 私が1年もたってこの文章を書いているのにはわけがある。地震学者は地下でなにが起きたかを知りたい。「被害の出ない程度に小さな地震」の震源が地震計のまわりに帰ってくるのを、その後もひたすら待ち続けていたのだ。

 地震学者は逃げた地震に未練が残っているのである。

[本文は十二字×五八行]

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