『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、1999年11月17日夕刊〔No.265〕

原発事故と地震学者:誰かが危険地に行かなければならないとき

 茨城・東海村での臨界事故(註)は私の友人であるロシアの地震学者Nさんを思い出させた。

 Nさんはチェルノブイリの大事故が起きたあと、すぐ現地に赴き、事故を起こした原子炉のすぐ隣の部屋に地震計を置いて、その後二週間の観測を続けた人だ。

 これはもっとも恐れられているメルトダウン(炉心溶融)の監視のためだ。高感度の振動測定ができる地震計は、壁や土台のひび割れの進行を知るためにもっとも効果的な手段なのだ。

 Nさんは、当時、モスクワにある科学アカデミー地球物理学研究所の地震観測の部長だった。この研究所は全土の地震観測に責任を負っている。地震計を扱える技術を持った責任者として、危険を覚悟で現地へ行ったのである。事故から9日目。もちろん、周辺の住民がバスで一斉に避難した後の現地入りであった。

 当時50歳を超えたばかりだったNさんは、いまでも幸い特別な症状は出ていない。しかし、近くで働いていた人々のかなりは亡くなった。あるいはNさんも、時限爆弾を体内に抱えているようなものかも知れない。

 ソ連、そしていまのロシアの政府は、Nさんにふたつのことを報いた。Nさんは、普通の科学者よりも税金が安い。またNさんは、普通の労働者よりも有給休暇の日数が10日ばかり多い。

 しかし、公務員の給料がごく安いうえに何カ月も遅配している国では、税金も知れている。また、これも私たち科学者の常として、普通の有給休暇さえ消化しないで研究をしている科学者にとっては、休暇が増えることは大した特典にはならないのだ。

 もしNさんが天寿を全うできなかったら、私たちは、あれ以上の悲劇をくい止めた人々の一人として、彼のことを忘れることはないだろう。

註)東海村JCO臨界事故:1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村で、住友金属鉱山の子会社JCO(株式会社ジェー・シー・オー)の核燃料加工施設がずさんな工程で起こした臨界事故。日本で初めて被曝による死者2名を出した、それまでで日本最悪の原子力事故になった。

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