『花時計』(読売新聞・道内社会面)、1993年12月16日夕刊〔No.24〕

倉庫の夢

 私は、ある絵描きの仕事ぶりを心配している。

 それは大作を描くときだ。部屋が狭いので、大きなキャンバスを広げる場所がないので、巻紙の手紙を書くときのように、両側を丸めておいて、その間の部分、少しずつを描いていくのだという。

 絵でも音楽でも詩でも、全体を見ながらでないと作り進められないはずだ。こんな描きかたで、満足のいく絵が仕上がるのかしら、というのが私の心配なのである。

 いや、仕事場が狭いのは、この画家には限らない。私たち大学人にとっても、深刻な問題なのである。

 理学部のK先生は、研究に必要な機械を新しく買うたびに、別の研究のための機械を捨てなければならないと嘆く。新しい機械をひとつたりとも置く場所がないのである。

 実験データやグラフやフィルムといった研究資料も部屋の狭さの犠牲になる。研究資料は科学者にとっては命だ。しかし、将来の研究のために残して置きたい資料でも、新しい研究資料の置き場を作るためには捨てざるを得ないのが実状なのである。

 部屋の狭さゆえに学者としての信用を損ないかけたことさえある。追試のために外国から原資料を照会されたのに送れなかったから、実験の信憑性を疑われたのである。論文を発表してから何年も後だったので、もう捨ててしまっていたのだ。

 大学の構内でなくてもいい、車で置きに行けるくらいの所に安い倉庫でもありませんかねえ、というのがK先生の当面の夢なのである。

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