留萌市民文化誌『波灯』(第17号、2004年5月20日発行。連載その8)

世界でいちばんたくましい国

1:■道の上のセメント

 その国で、ちょっとした田舎の町を車で通りかかったことがある。

 運転手は、突然、スピードを緩めて、反対側の車線に出た。私は後部座席に乗っていたから、何が起きたか分からなくて、伸び上がってまわりを見回した。事故だろうか。道路工事だろうか。

 その国道の上で、驚くべきことが行われていた。その道は二車線の舗装道路だったが、その上で、近くの住民たちが、セメントをこねていたのである。直径にして三メートルほどだろうか、骨材といわれる砂や砂利と、セメントとを混ぜ合わせて、水を加えて練っている。その作業は、片側の車線を完全に塞いでいた。

 事故でも、道路工事でもなかった。道路脇の家の建築工事をやっていたのである。

 セメントをこねるためには、水がしみ込まない、固くて平らな板が必要である。土の上ではこねられない。日本だと、普通は鉄板を用意して始めるところだ。

 しかし、この国では、どうも、鉄板を用意しないで始めるらしい。

 考えてみれば、道路は、それが道路であるということ以外は、セメントをこねるには理想的な条件だ。固くて平らだし、十分大きいから、セメントや砂が板から溢れることもない。なるほど、使わない手はないのである。

 しかも、セメントをこね終わって、建築に使ったあとで、幾分残った材料が道路にこびりついて乾くから、道路を補強することにもなる。道路の穴も埋まる。つまり、こねている間にたまたま通りかかる車がちょっと不便をする以外には、悪いことはひとつもないのである。

 法律?たぶん、働いている男たちは、誰も気にしていないにちがいない。ほかの町でも誰かがやっていた。これからも別の家を造るときは、同じことをやるだろう。もし、警察官が来て文句でも言ったら、それから、警察官と交渉や取引を始めればいいことなのである。

 この国では、家から家へ渡っている電線にも、堂々と洗濯物が干してある。二階の窓から手が届くところに強い線が水平に張ってあるのだから、使わない手はない。電線はビニールで被覆してあるから、感電することはない。

 この国の電力会社も、洗濯物が吊されることをあらかじめ計算して、太めの線を強く張っているにちがいない。住民に文句を言ってもやめてくれるような習慣ではないし、もし文句を言ったとしても、鳥がとまってもいいのに、洗濯物はどうして悪いんだい、と言われかねないのである。

 もし線が切れたら、電力会社にとって余分な手間になるし、停電中の電力料金の収入も減ってしまう。つまり、電力会社が損をすることになる。それを、住民はちゃんと知っていて、毎日、洗濯物を干しているのである。

2:■市営バスと民間バス

 この国の人たちの仕事への積極性は、私たちが道徳とか恥じらいとか呼ぶ、日本で感じている社会的な規制を超えるたくましさを持っている。

 このたくましさは、セメントや洗濯物だけではない。

 市内には市営バスが走っている。5駅までが0.1通貨単位、10駅までが0.5単位という料金である。

 しかし、これに対抗すべく、民間のバスも走っている。こちらはマイクロバスだ。小型だが市営バスよりもずっと本数が多いし、市営バスとちがって盛り場同士を直接つないでいるから、大抵の客にとっては、こちらの方が便利で速い。

 この民間バスは個人営業なので、サービスは断然いい。大きな荷物を持ち込んでも、市営バスのように肩身の狭い思いをすることもない。値段は0.5単位からで、市営バスよりもちょっと高めだが、便利さとサービスを考えれば、市営バスといい勝負になる。

 この国の人々の積極性は、このようなときにとくに発揮される。

 バスの客寄せが盛んなことである。始発や終点だけではなくて、途中のバスの停留所の周りには、たくさんの客引きがたむろしている。私は歩いているだけで、腕をつかんでマイクロバスに引っ張り込まれそうになったことが何度もある。

 客がどこへ行こうとしているかどうか聞く前に、いや、そもそもその客がどこかへ行こうとしているかどうかに関係なく、バスに引っ張り込んでしまうというのは、大いなる積極性というべきだろう。

 なお、市営バスに限らず、この国の自動車では、運転席にある速度計も回転計といったメーター類も動いていないのが普通だ。

 しかし、運転手たちは、この仕事で飯を食っている。いやしくもプロだ。速度は周りの景色の流れ具合で分かるし、エンジンの回転は、なにもメーターで読まなくても、エンジンのうなり具合で、それと知れる。

 つまり、車を休ませて高い金をかけて直すよりも、今日の稼ぎのほうが大事なのである。

 市営バスでは、夏には運転手の頭上だけで扇風機が回っている。しかも、その扇風機は運転手に向けて固定されている。

 考えてみれば、バスの中で運転手が一番大事な仕事をしているのであり、客は、運転手に比べれば、乗っているだけで大した仕事をしているわけではない。

 運転手には車内で最高の待遇を与えて、少しでも余計に働いてもらわないと、バス会社の未来はないのである。事故など起こされたら、バスは走れなくなるし、あとの処理が大変だ。そのためにも、運転手の待遇は、乗客の快適さに優先するのである。

 この国の人のたくましさは、どんな商売をやるときにも絶対の強みを発揮する。

 私がある観光地に行ったときに、一番景色がよく見える場所のあちこちに、白くて細いヒモがV字型に張ってあった。つまり、一般の観光客は、それぞれのヒモの領域には入れなくなっていたのである。観光客がひっきりなしに通るところだから、大いなる通行の邪魔である。

 そのヒモは、そこのそれぞれで商売をしている観光写真屋が勝手に張ったものであった。写真屋が客を捕まえたときには、そのヒモの中に客を立たせて写真を撮るのが、彼の商売、というわけなのである。こうして、客は、その観光地ではいちばん良い背景の前で、一生の記念になるいい写真を撮ってもらえることになる。その写真には、もちろん、他の観光客など、邪魔なものは写っていない。

 日本の観光地の写真屋にも、目立つところに団体が整列するためのお立ち台を勝手に置いていることはあるが、勝手にヒモを張ってしまうほど、たくましくはあるまい。

 この国の写真屋は、小さな椅子をちゃんと持ってきていて、縄張りの中にぽつねんと座っている。まるで、蜘蛛が巣を張って獲物を狙っているような風景であった。

3:■国内線の飛行機

 そうそう、国内線の飛行機に乗るときにも、ちょっとした注意がいる。私が乗ったときには、昼時だったので、紙箱入りの軽食が出た。

 ジャムパンと、鶏の足が一本だった。これに、甘い菓子と塩味の干し鱈が付く。私たち日本人にとっては、この食品の組み合わせはかなりへんだが、ほかに食べるものがないから、これを食べるしかない。

 そして、私が驚いたことは、床に落とした食物も平気で配っていることだった。飛行機は完全に満席だった。乗客の数だけしか食事を積んでいないにちがいない。だから、落としてしまったものでも配らないと、誰かが食事にありつけないことになるのである。

 床のホコリには、大腸菌のようなちょっとした細菌くらいはいるし、乗客の鼻くそやフケくらいは落ちているかもしれないが、命に別状があるほどの毒が付いていることは、まずないだろう。

 すでにご存知かもしれないが、日本をはじめ国際線を運航している飛行機会社では、たとえばビジネスクラスやファーストクラスの客には、牛肉や鶏肉や魚など、複数の食事を用意して、飛行機の中で選ばせている。つまり、乗客の数の少なくとも三倍もの食事を積んでから出発しているのである。11時間とか16時間の飛行時間だから、残った食事は、当然、無駄になる。高級食材を使った豪華な料理が、すべてゴミになるのである。なんという浪費であろうか。

 一方、この国はちがう。無駄な食事や荷物は積まない、というのは合理的な思考の結果として生み出された、この国らしい方式なのである。

 合理的、といえば、ホテルのレストランも、大変「合理的に」運営されている。私がたまたま行った高級なレストランでは、ウェイトレスが手を洗ったあと、食卓にかけてあるテーブルクロスの端で堂々と手を拭いている。

 なるほど、こうすれば、別にウェイトレス用に手拭きのタオルを用意したり、そのタオルを洗濯したりすることはない。

 そもそもテーブルクロスとは「机の上にある部分」だけが必要なもので、「机から垂れている端」は飾りのようなものである。少しくらい汚れていても、気にさえしなければ、なんの実害もないものなのである。

 高級レストランだから、テーブルクロスは、客が変わるたびに洗濯したものと敷き替える。ウェイトレスの手の跡がたまたま残ったとしても、次の客のときには消えている、というわけなのである。

 この合理性さえ理解すれば、手を拭いているウェイトレスの動作が、なんとも手慣れていて、しかも堂々としていて悪びれていないことに納得がいくだろう。

4:■夜の町

 どの国にも、特有の文化がある。日本と比べてちがうところがあるのは当たり前だ。そこで毎日暮らす人々のことを思えば、もちろん、たまたまの外来者が、自分の習慣とちがうからといって、文句を言っても始まらないのである。

 しかし、この国には、なかなか慣れないことがあった。

 町の中心部では、歩いて道を横断するのは、異邦人である私にとっては、命がけだったことである。

 横断歩道を渡っていても、車が警笛を鳴らしながら、遠慮なく突っ込んでくる。こちら側の車を体をかわして避けても、反対側の車が、徐行しながらも、私の背中を擦りながら動いていくのである。

 それぞれの車は、理由があって急いでいるのだろう。このたくましい国では、横断歩道を渡っている歩行者を轢いてしまわないかぎりは、車の側では、遠慮する理由はないのである。

 じつは、そのくらいで驚いてはいけない。

 私は車に乗っていて、渋滞に巻き込まれたことがある。すると、この国の人々の車は、当然のように歩道に上って、歩道の上を疾駆していくのであった。もちろん、この国では、歩道の上を歩いている歩行者のほうが、その車を避けなければいけないのである。

 ポルトガルで、救急車が歩道に上がって、歩道の並木の間をスキーのスラロームのように縫っていくのを見たことがある。これはこれで、搬送している怪我人の人命がかかっているし、その鮮やかな運転は、なかなかの芸でもあった。しかし、この国では、一般の車が、それをしているのである。


 驚きは続く。なんと夜の町が暗いことか。荷物を満載して疾走するトラックが、ヘッドライトを消したまま、スモールランプ(補助灯)しかつけていないのが多い。それゆえ、運転手のほうで歩行者や自転車を見て、避けてもらうことはほとんど期待できないから、こちらで避けるしかない。

 もっとも、英国でも、比較的最近までは、都会では、夜にヘッドライトを点けないで、スモールランプだけで走るのが普通だった。相手に注意を促すときだけに、瞬間的にヘッドライトを光らせる。それがとても凄みがあった。

 そもそも、英国では蒸気機関車の時代から、汽車に前照灯というものは付いていなかった。線路の上に「異物」があったら、そちらの方で汽車に気が付いて避けてもらうべきだ、というのが、英国の鉄道の伝統的な考え方なのである。

 さすがに最近の電車では前照灯を付けてはいるが、昔からの伝統はまだ残っていて、ほとんど申し訳程度のものが前方を照らしているにすぎない。重い汽車や電車が、非常停止をしようと思っても500メートルかそこらも走ってからようやく止まることを思えば、今の時代の前照灯も、所詮は気休めのようなものなのかも知れない。

 さて、この国の話に戻ろう。

 この国では、バスも同じだ。ヘッドライトはもちろん、車内灯も真っ暗なものがほとんどなのである。たまたま車内灯があるバスでも、車内にたったひとつしかない。もちろん暗くて、物を読むどころではない。

 街路灯もごく限られているから、歩道も真っ暗なことが多い。しかも電信柱を支えるために、電信柱の高いところから四方にワイヤーが張ってあって、その四方の地面に杭を打って支えている。

 つまり張ったワイヤーが歩道を斜めに横切っているのである。これは危ない。ワイヤーは黒くて細いので、よほど目を凝らしても見えないことが多い。この国の夜の歩き方は、電信柱が見えてきたら、ワイヤーが四方に張ってあることを想定しながら避ける、というのが正しい歩き方なのである。

5:■デパート

 デパートも、十分に暗い。

 デパートは、日本のデパートとまったくちがう。まず、入り口に厚い黒いビニールのカーテンが天井から床まで下りている。私は初めてデパートに行ったときには、外から見て真っ暗だったから、店が閉まっているのかと思ったほどだ。

 客は、この厚いカーテンをかき分けてデパートに入るのである。この入り口の厚いカーテンは、店内の空気が逃げ出すのを防ぐには効果的だから、暖房の効率もよくなるだろう。
 日本のデパートは、たしかに明るすぎるかもしれない。あれほど明るくなくても、商品も店員も十分に見える。

 しかし、その私にさえ、このデパートは暗すぎる。ショーウィンドウの中の商品は、何が並べてあるかは見えるものの、商品に付いている正札の数字は、とても読めない。いや、商品の色を見分けるのさえ、難しいほどの暗さなのである。

 そのうえ、階段などは鼻をつままれても分からないほどの闇だ。

 あるいは、私には見えないだけで、この国の人たちは、暗くても十分見えているのではないか、とも思う。

 げんに、私がパプアニューギニアに滞在したときには、夜、真っ暗になってからバスケットボールに興じる子供たちがいた。私にはボールも、興じている人たちも、ほとんど見えない暗さだった。人の顔が分からないくらい暗くなった野外市場でも、ちゃんと売買が行われ、念入りに品定めがされ、お札が数えられていた。

 つまり、私たち日本人の眼は、私たちが文明と呼んでいるもののせいで、すでに退化してしまったのかもしれないのである。

6:■旅行者への忠告

 この国では、食事は一人で食べるものではないらしい。私が滞在したときは、仕事の上の単独旅行だったこともあり、昼食はホテルに帰って一人ですませることが何度かあった。そのたびに閉口したものだ。

 食事の注文の単位が、日本とはまるでちがうのである。あるとき、魚を頼んだら長さ30センチもあって、しかも丸々と太った魚が、丸ごと、大きな皿に載って現れた。しかもその皿には蒸した魚だけしか載っていない。付け合わせの野菜もない。

 それで、野菜を頼もうと、ほうれん草炒めを頼む。すると、これも20センチを超える大皿に、山盛りのほうれん草炒めが、テーブルに届くのである。

 もっとも、量には閉口したが、味はなかなかのものだ。つまり、賑やかに多くの人と一緒に食べるのが、この国の食事というものなのである。

 しかし、量が多すぎる以外にも、この国の食事には、問題がないわけではない。

 じつは、料理には、よく石が入っているのである。ときには5ミリもある石が入っている。うっかり力まかせに噛むと、歯が欠ける危険が高い。

 つまり、まず、そうっと噛んでみて、大丈夫そうだったら、食べ物を動かさずに、同じところを力を入れて噛むという、二段構えが必要なのである。しかし、そんなことには慣れていないし、おいしいものを食べているときには、よくこの注意を忘れてしまう。

 この国にこれから行こうという人は、出国前から練習を重ねて、この特別な二段構えの噛み方を習慣にしておいたほうがいいだろう。歯が欠けてしまうと、美容上からも好ましくないことが多いし、そもそも、「修理代」が高くつく。

7:■スイカの食べ方

 この国は食べ物が豊富だ。たとえば夏はスイカが豊富に出回る。直径が30センチのものは普通で、なかには40センチもある大きなスイカを道端でよく売っている。

 スイカはもちろん、日本のように、買ってから家へ持って帰って食べてもいい。しかし、この国では、その場で食べる人のほうが多い。

 豪快な食べ方である。買ったスイカを地面に打ちつけて割る。そして、中身を手ですくい出して食べる。包丁で薄く切って食べる私たち日本人のやり方とは全くちがう食べ方なのである。

 スイカの種は、ペッペッとその辺に吐き出す。道端で半日も商売をしていると、露天商の前の道路には、スイカの黒い種がおびただしく散らばることになる。

 夕方になって店を閉める時間になると、その露天商は、やおら箒を取り出して、その種を掃き集めはじめた。

 私は、はじめ、掃除をしているのかと思った。客の不始末を店主が掃除をしてから店を畳む。なかなかの美談である。

 しかし、ちがった。

 その男は、掃き集めたものから、ゴミを取り除き、種だけを集めて、別の容器に入れ始めたのである。

 そして、ようやく私は理解した。一日、路上で乾かしたスイカの種は、明日は別の商品になるのだ。つまり、別の金を稼げるのである。

 乾いた種を歯で割ると、中身を食べられる。カボチャの種や松の種のような舌触りで、それらとは味がちがう。なかなか香ばしい嗜好品になるのである。

 いったんは他人の口に入ったものとはいえ、強い日射しで一日、日光消毒をしてある。もし、それが気になる人がいるのなら、買って食べなければいいだけなのである。なんと無駄がない仕組みだろう。

8:■食肉の貯蔵法

 無駄がないといえば、この国の船に乗ったときのことを思い出す。私が乗ったのはかなり大きな海洋観測船だったが、乗ってみたら甲板をブタやニワトリが走り回っていたのである。
 はじめは、変わったペットかと思った。しかし、ちがった。これらの動物は船に乗っている人たちの食糧だったのである。

 船には食事の材料や食べ残しの残飯が出る。海が荒れて、食べる人が減れば、余計たくさんの残飯が出る。ジャガイモの皮やキャベツの芯や大根の葉も出る。

 船で出るその残飯や食材の残りを食べて、ブタもニワトリも、出港時よりは太る。他方、冷蔵庫や冷凍庫で肉を保存しておいても、もちろん増えるわけではない。それどころか、味も落ちる一方だ。

 それに比べて放し飼いにされたブタやニワトリたちは、日がたつほどに量が増える。そして、必要なときにはいつでも、新鮮なまま、手に入るのである。

 そのうえ、日本で食べる食肉のように、まるで工場のような狭い檻に一生を閉じこめられて、早く太れるだけ太らされて出荷される水っぽい肉とは味がちがう。船の揺れで足腰も鍛えられ、運動が十分に足りて水っぽくない肉なのである。私は、こんなうまいブタやニワトリの肉を久しぶりに食べた。なんと合理的な仕掛けだろう。

 毎日、見ていると情が移るって?

 それはそうかもしれない。しかし、自分では手を汚さずに、ブタやニワトリを見えないところで誰かに処分してもらって、発泡スチロールの白い皿に載った、まるで工業製品のような肉を素知らぬ顔で買ってきて食べるよりは、よほど正直でいさぎよいやり方なのではないだろうか。

 船の上でなければ、この国の人々は、ブタやニワトリを絞めて捌くのを、子供たちにも見せながらやっている。私たち人類が何を犠牲にして生きているのか、その仕組みを身体で覚え、仕組みと成り立ちを考えさせるうえで、子供の教育にも、こんな大事なことはない。

 私たち人類は、他の生物を食べることによって生き延びている。その事実の認識や感謝なしに、私たちの生活がなりたつわけは、そもそも、あり得ないのである。

9:■全国統一入試

 合理的といえば、この国の大学の制度もそうだ。この国で大学に入るのは、なかなか大変だ。私の知り合いの娘さんは高校生だったが、毎日夜十一時まで受験勉強に励んでいた。日本並みである

 この国は、日本のような全国統一の入試がある。

 しかし、日本とちがうことは、この統一入試だけが、入試のすべてだということだ。つまり、この統一入試の結果だけで、第一希望の大学に入れるのか、第二希望なのか、それともだめか、が決まってしまうのである。日本のように、大学別に2回目の試験をすることはない。この統一入試の試験科目は9科目ある。

 日本と大いにちがうことは、もしも、第二希望もだめだったら、この国では浪人して勉強だけをすることは許されていないことだ。次の入試まで、働かなければならないのである。あるいは入試を諦めればずっと働くことになる。

 浪人が受験勉強に専念できないのは、つらいだろう。しかし、この国の社会全体からいえば、浪人というのは社会の無駄なのである。大学に行きたければ、必ず入る、それなりの大学を選択してもらう。そうでなければ、社会の一員として社会のために働いてもらう、というのが合理性なのであろう。

 この合理性には裏付けもある。数年前に日本の東京大学が入学後の学生の成績を追跡調査したことがある。浪人を繰り返してから入った学生は、たとえ入試の成績がよくても、その後の伸びがないことが分かったと言われている。

 浪人中の受験勉強で、受験の「技術」にはたけても、本人の基本的な学力や能力が上がるわけではない、というのが東大の結論であった。この国の人たちは、この調査の結果もちゃんと調べていたのである。

10:■大学院に行きたければ

 ところで、めでたく学生になってからも、関門がある。学部を卒業してから、たとえば外国の大学の大学院に留学したくても、すぐに外国の大学の大学院には入れないのである。たとえ、その外国の大学が受け入れてくれることが決まっていても、同じである。

 この国の学生は、外国の大学院に行く前に、この国で5年間、働かなければならないのだ。なぜ、このようなルールがあるのか、私には教えてくれなかった。

 将来の国を背負うエリートになるためには、庶民の生活や労働を知っておくべきだ、という親心かもしれない。日本で近頃目立つ世襲の二世議員のように、為政者が庶民を知らなければ、いい政治が出来るわけはないのであろう。

 ところで、このルールには例外がある。もしどうしても、外国へ留学したければ、その5年分の「労働賃」として2500単位のお金を政府に払えばいいのである。しかし、これは大変なお金だ。労働者や大学の先生の給料の一年分以上になる。親としては、とても払える額ではない。

 この例外のルールがなぜあるのか、私にはわからない。これだけの多額の金が政府に入るのなら、一人の学生に世の中を見せるよりは政府の財政全体が潤うほうが大事だ、という合理性なのだろうか。

 言い忘れていた。この例外のルールは、誰にでも適用されるものではなかった。

 外国に親戚がいる学生だけが、この恩恵に浴することが出来るのである。なるほど、外国に暮らし、その国で収入を上げている親戚がいれば、そこから多額の金をふんだくる。それは、この国の政府にとっては、合理的に収入を得る道にちがいない。

11:■この国の給料

 給料といえば、この国の給料も、なかなか合理的に出来ている。額に汗して働く人々は、頭だけを使って働く人よりは高い給料を貰っているのである。

 たとえば、私が訪問した研究所では、その研究所付きの運転手は、その研究所の科学者の二倍の給料をもらっている。

 いや、私が行ったのが地球物理学などという地味な学問の研究所だというせいではない。この国の科学者は「宇宙科学者よりも、道端でタマゴを売っている露天商の方が収入が高い」と言って嘆くが、なに、給料が安くていやならば、もっと収入が高い職業に、商売替えをすればいいのである。つまりこの国は、科学者とは好きなことをやっている職業、とちゃんと見とおしているのである。

 じつは、同じ職業を続けていても給料が上がる仕組みも、ちゃんと用意されている。

 それは、首都ではなくて地方の都市へ、あるいは地方の都市からもっと田舎へ行くことである。同じ科学者、同じ仕事でも、給料が劇的に高くなるのである。

 これもなかなか合理的だ。日本も過疎に悩む前に、大都市で暮らせば貧乏になって暮らしにくい仕組みにすれば、人々は争って過疎を解消するにちがいない。

 いまは崩壊してしまったが、旧ソ連では、似たような仕組みがあった。モスクワで働くよりはサハリンで働く方が高収入になる。千島列島やシベリアの奥地ならば、もっと高収入になったのであった。

 この国で定年になる年齢は、男が60歳、女は55歳である。この男女のちがいは、男女差別というよりは、出産や育児で苦労した女性に、ご苦労さま、という感じらしい。

 というのは定年後に受け取れる年金は、最後の給料の80パーセントと手厚くなっているからだ。ノルウェーのような高福祉国家でも60パーセントだから、ずっと高い。つまり、定年後もあくせく働かなくても、年金だけで、十分暮らせるのである。

 それに比べて、私たちの日本は何というていたらくだろう。戦後の焼け跡から日本をここまでに持ってきたのは私たちの働きだというのに、年金は、もっとも条件が良いときでさえ、50パーセントよりも低くなろうとしている。

 中途採用など、ちょっとでも条件が悪ければ30パーセントということも珍しくない。日本は、庶民にお金を返さない仕組みが、当たり前のようにまかり通る国になってしまったのである。

 この国では、普通の労働者や科学者の給料には、所得税はかからない。また奥さんが働いていても、給料の合算をして課税されることもない。つまり普通の共稼ぎならば、二人とも無税なのである。米国や日本のような金持ち優遇税制や大企業優遇税制は、この国とは無縁なのだ。

 どうだろう。なかなかたくましくて合理的な国ではないだろうか。

12:■モノを大事にする国

 この国を訪れるまえに、ひとつだけ、困ったことがあった。その国にファクシミリを送ろうとしても、なかなか送れなかったのである。確かめたが、私がダイアルしている番号がちがうわけではない。向こうの機械が壊れているわけでもない。向こうからはちゃんとファクシミリを送ってくるのである。

 このナゾは、私がその研究所に行ってみて、初めて解けた。

 研究所にあったそのファクシミリは、ビロードの布カバーをかけて、うやうやしく、ガラスの戸棚の中に置いてあったのである。

 ファクシミリは、いつも使うものではない。使うときだけは戸棚から出してビロードのカバーを外して、電話線に接続し、終わったらまた、しまいこんでしまう。日本のように、デスクの上でホコリだらけになっていたら、寿命も短いかもしれない。モノを大事にする国なのである。


 さて、この国は・・。

 じつは、いまは、その良さを失ってしまって、現存しない国なのかもしれない。あるいは、いまでも、そのままの形で残っているかも知れない。私には、どちらかわからない。

 10年前の中国なのである。


 その国は、食事をするときには、ちょっとした注意がいる。

 町のレストランで注文した食事を食べるときには、まず、自分で、紙ナプキンでコップや茶碗や箸を拭く必要がある。人々は、ごく当然のように、この動作を行ってから、おもむろに食べ始めるのである。なんと衛生観念が発達しているのであろう。

 もう少し田舎に行って食べるときには、また別の儀式がいる。

 郷にいれば郷に従え、である。習い憶えたように、私が紙ナプキンで拭き始めようとしたら、同行していたその国の人が、私の手を押しとどめた。

 そして、彼は持っていたナイフで、私の箸の表面を削ってくれたのであった。

 考えてみれば、これは、なかなかいい習慣だ。紙ナプキンでは取りきれない、しみ込んだ汚れというものがもしあるとすれば、それは、この食事前の作法で、見事に除去されるはずだからである。

 この国の人々は、客人の知らないことについて、痒いところに手が届くように気を遣ってくれる。礼の国でもある。

【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
■:地震学者が大地震に遭ったとき-----関東大震災から二ヶ月間の今村明恒の日記・注釈付きの現代語訳 『波灯』第23号(2010年6月発行)、連載その11{400字で約100枚}
■:世界でいちばん人口が減った島 『波灯』第20号(2007年6月発行)、連載その10{400字で約50枚}
■:ウサギの言い分 『波灯』第19号(2006年5月発行)、連載その9{400字で約35枚}
■:世界でいちばん雨が多い国 『波灯』第16号(2003年5月発行)、連載その7{400字で約33枚}
■:世界でいちばん危ない国 『波灯』第14号(2001年5月30日発行)、92-114頁、連載その6{400百字で約62枚}
■:世界でいちばんケチな国 『波灯』第8号(1995年6月10日発行)、16-24頁、連載その5{400字で約23枚}
■:流浪の科学者 『波灯』第7号(1994年5月20日発行)、13-19頁、連載その4{400字で約19枚}
■:世界でいちばん楽天的な国 『波灯』第6号(1993年5月10日発行)、100-112頁、連載その3{400字で約35枚}
■:世界でいちばん過疎の国 『波灯』第5号(1992年4月発行)、24-32頁、連載その2{400字で25枚}
■:オトギの国で過ごした夏 『波灯』第4号(1991年4月発行)、172-181頁、連載その1{400字で25枚}

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