留萌市民文化誌『波灯』(第20号、2007年6月発行。連載その10)

世界でいちばん人口が減った島

 1:■海岸へ行けば宝石が拾える島

 この国の海岸に行くと、いまでも、宝石がゴロゴロしている。いくらでも見つかるのだ。

 この宝石はペリドット。黄緑色をした透明な石で、アクセサリーにも使われる。

 ペリドットは、別名カンラン石ともいい、8月の誕生石にもなっているから、知っている人も多いだろう。すでに古代オリエントでも宝石として珍重されていた宝石だ。

 海岸に行ってみると、海岸一面に拡がっている、ごつごつした黒っぽい火山岩の表面のあちこちに、豆粒ほどの大きさのペリドットが挟まっている。岩の表面を叩いたり、岩を砕くと、ペリドットだけが取り出せる。

 私が日本から連れて行った私の大学院生は、夢中になって、このペリドットを集めていた。

 このペリドットは、この島にマグマが上がってきたときに、そのマグマが、地下深くから運んできたものだ。

 この島にはダイアモンドはない。しかし、南アフリカやロシアにあるダイアモンドも、やはり地下深くから、同じように、マグマが運びあげてきたものなのである。

 ダイアモンドのなかには地下400キロよりも、もっと深いところから出てきたという、地球物理学的な証拠をもっているものもある。

 北海道の炭坑は深部採炭で有名だったが、それでも深さは1キロあまりだった。世界でいちばん深い鉱山は、南アフリカにある金鉱山で、その深さは約3.5キロだ。

 つまり、ダイアモンドは、人類が到底到達できない深さから運ばれてきたことになる。

 ルビーも、サファイアも、深いところから運ばれてきた、という同じメカニズムゆえに、私たちが手に入れることが出来るのである。

 そう、地球の中は、宝石の宝庫なのだ。宝石は、天から隕石のように降ってきたものでもなく、世界各地の、いま掘り出されている場所で、過去に作られたものでもない。

 宝石とは、マグマが、地下深くではありふれた岩の一部を、たまたま運びあげてきたもので、しかも、偶然にも人間の手に触れるくらいの浅いところにあったから、私たちが手にすることが出来る「宝石」になったものなのである。

 ところで、地表によくある花崗岩や玄武岩は光を通さない。しかし、地下数十キロから下から始まって、地下2900キロまで拡がっている「マントル」という部分では、岩は光を通すのである。

 このマントルを作っている岩のほとんどはカンラン岩である。「橄欖岩」という、難しい漢字で書かれる岩だ。地表に持ってきたカンラン岩は、光を通さない、黒っぽくてなんとも見栄えのしない石に変身してしまうが、地球の中の高い温度と圧力のもとでは、光を通す、美しい石なのだ。

 カンラン岩をつくっている主な鉱物は、この島に出てくるカンラン石(ペリドット)だ。カンラン岩は「岩」としての名前で、一般に岩の中にはいろいろの「鉱物」が含まれているが、その鉱物の中でカンラン石という鉱物がたくさん入っている、というわけだ。

 またカンラン岩の中には、透明で赤いざくろ石(ガーネット)という鉱物も、かなり含まれている。ガーネットは1月の誕生石だ。

 地表に普通にある他の岩とちがって、緑にせよ赤にせよ、きれいな宝石が含まれているのがカンラン岩なのである。

 しかし、このカンラン岩も、温度が上がれば、全体が光を通すようになる。溶鉱炉から出てくる熔けた鉄がオレンジ色に輝いているように、すべてのものは温度が上がれば光りかがやく。鉄でも銅でも、同じ温度なら同じ色で輝く。

 その光がガラスのように岩の中を通るわけだから、つまり地球の中は宝石に満ちた、まぶしいくらい輝いている世界なのである。

 人類の手の届かないところから地球が持ってきてくれたもの。それが宝石なのだ。

 2:■世界でいちばん人口が減った島

 世界でいちばん、国を離れた人が多い国はどこだろう。私は、それを知らない。

 しかし、これからお話しする国が、世界でも有数の国であることは確かだ。

 この「国」では、現在住んでいる人口の4倍もが、離れていってしまった。日本にたとえれば、海外に暮らす日本人が4億人もいることになる。途方もない数だ。

 私は日本人が、いったい何人、海外で暮らしているかは知らない。日本が貧しかったころ、移民として、南米や中米に万単位の日本人が移住していったのは知っている。たしか最後の移民船がブラジルを目指して日本を出ていったのが、1973年だった。

 そして、それらの人々が、異国でどれだけ大変な思いをしたかも、ある程度は知っている。

 日本から南米への移民としてはブラジルが有名だが、アルゼンチンも多い。私はブラジルへは行ったことはないが、アルゼンチンには何度か行ったことがある。

 アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスには「東京屋」という看板を掲げたクリーニング店が目立つ。どれも、裏通りにある。小さくて地味な店だ。

 これらのクリーニング店をやっているのは、店の名前から分かるとおり、日本人だ。だが、東京から来た人とは限らない。アルゼンチンの人々が知っている数少ない日本語として、首都である東京の名前が使われたのである。

 では、なぜ、クリーニング店をやっているのだろう。

 それは、言葉がほとんど要らない職業だから、そして、勤勉でなければつとまらない仕事だから、である。日本から移住した、我慢強い働き者、しかしスペイン語はほとんど話せない人たちが、大都会の隅で働いて生きていくためには最適の職業だったのである。

 日本からアルゼンチンへの移民は、都会で暮らしているだけではない。開拓民として、田舎で農業に携わっている人たちも多い。

 この人たちも、人には言えない苦労を重ねてきた。アルゼンチンで一般的な大規模農業や牧畜業ではなくて、園芸業で成功した日本人が多い。

 これも、やはり、勤勉でこまめな性質を持ち、そしてスペイン語が得意でない日本人向けの職業なのである。

 ところで、移民として日本から出て行った日本人は、いまと違って、当時は人口過剰に悩んでいた日本にとって、出て行ってくれる、つまり口減らしをしてくれる、ありがたい人たちだった。悪く言えば棄民である。

 このため、日本政府は、行く先の国々の事情をろくろく調べもせず、あるいは現地の事情が悪いのを承知で、移民を送り出した。どの国でも大なり小なり、この種の問題を抱えていた。

 たとえばアルゼンチンの隣国、パラグアイでは、掘っても掘っても石ころだらけの荒れ地に農業移民を送り出し、移住した人たちに塗炭の苦しみをなめさせた。貧しさ。病気。干ばつ。人々を悩ませた厄災は多い。

 移民の人たちやその子孫の強い抗議で、最近ようやく、日本政府は落ち度を認めたが、この責任を、いまだ、日本政府は、きちんと取ろうとしていない。

 3:■人々を故郷から追い立てたもの

 どんなに多く見積もっても、日本を離れて移住していった日本人の数は、100万人は超えないだろう。大変な人数だが、それでも、日本の総人口の1割には、遠く及ばないはずだ。しかし、この国では現在の人口の4倍が出ていってしまったのである。

 この国の人たちが出ていった先は、米国やカナダが多かった。なかでも米国が多い。

 この国と同じように、自国よりは米国に多くの人々がいる国にはノルウェーやポーランドもある。アイルランドもそれに近い。

 ノルウェー人やポーランド人などを故国から追い出したのは、冷害と不作であった。

 ヨーロッパでも北のほうにあるこれらの国々では、農作物は、生育できるぎりぎりの寒冷な気候のところで栽培されている。

 文明が進み、人口が増え、必要な食糧が増えたとしても、ちょっとした気候の変化で、作物の収穫量が上下する。

 冷夏が来るたびに飢饉が繰り返された。多くの悲劇が伝えられている。なかでも18世紀にはたびたび冷害が襲い、おびただしい餓死者が出た。多くの人たちが、土地を離れざるを得なかった。

 じつは、気候学的な理由はいまだに分かっていないのだが、このころはヨーロッパだけではなくて、当時江戸時代だった日本でも、冷害や飢饉が多かった。食べていけなくなった農民が立ち上がった百姓一揆が各地で頻発したのも、この時代である。

 ノルウェーでは、農業を捨てて米国に移民する一家を描いたグスタフ・ヴェンツェルの絵「移民」(註)がよく知られている。精一杯の晴れ着を着て、僅かしかない家財道具を馬車に乗せて、一生の見納めになるに違いない、しかし美しいノルウェーの山河を後にする一家の絵だ。

 子供だけが荷車の端に腰掛け、大人たちはもの思うことが多いのだろう、正装をしながらも、うつむいて、そのまわりを歩いている。

 これから、何十日という長い船旅のはてに、見知らぬ国、米国へ開拓民として赴く、胸の詰まる光景である。

 この絵は1900年に描かれた。じつは彼らを追い出したこの時代の気候の変化には、普通の寒暖の変化だけではなかった。

 一八世紀末から一九世紀にかけて続いたインドネシアや、アイスランドや、ニカラグアなどの火山の大噴火も寄与していたのである。

 地震の災害がその土地から外に及ぶことはほとんどない。だが、火山の大きな噴火は世界の気候さえも変えてしまうのである。

 たとえば1883年にはインドネシアのクラカタウ火山が大噴火をした。噴火は火山島ひとつが吹き飛んでなくなってしまったほどのすさまじいもので、地元の死者は36000人にものぼった。

 大噴火をして世界の気候を変えてしまったのはクラカタウ火山だけではない。同じインドネシアにあるタンボラ火山は1815年に、もっと大きな噴火をしている。地元では噴火後の食料枯渇のための餓死を含めて、92000人もの死者を生んだ。

 これらの噴火後、五年間にもわたって、世界各地で太陽が異常に赤っぽく見えたり、太陽のまわりに大きな輪が出現する「ビショップの環」が見えたりした。噴火で舞い上がった火山灰は、そんなに長い間、世界中の空を漂っていたのである。

 つまり核戦争のあとで起きると言われている「核の冬」と同じように、舞い上がった火山灰は世界の気候を変え、地球に降り注ぐ太陽熱を遮ってしまったのだった。

 そのため、その後何年にもわたって冷害を招き、農作物の不作をひき起こした。18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパから米国に多くの移民が流出した大きな原因には、火山の噴火もあったのである。

 4:■故郷を離れた人たちを迎え入れた国

 ノルウェー、ポーランド、アイルランド。これらの国々から来た移民は米国には多い。暗殺されたケネディ元大統領はアイルランドの、またかつての駐日大使だったモンデールはノルウェーの、またかつての大統領特別補佐官のブレジンスキーはポーランドの、それぞれ移民の末裔である。

 このほかにも、私の専門から言えば、米国の地震学会を牛耳っているのはポーランドから小学生の年に移住してきた地震学者である。

 移民の子としてさまざまな不利に耐え、歯をくいしばってがんばったことの成果でもあるのだろう、米国には、移民の子孫である著名人が数え切れないほどいるのだ。

 一方、米国のほうから言えば、米国の活力は、各国から来たこういった移民が支えていたことになる。冷害や、戦争や、宗教的な迫害や、民族紛争や、ときには地震や噴火が、地球規模で人々を逃げまどわせてきた。国を追われて米国に逃れてきた移民の活力を、政治にも、経済にも、学問にも生かせたのが米国なのであった。

 しかし、近年は様変わりした。

 米国は、移民や移住者に対して、門戸を固く閉ざすようになってしまった。とくにニューヨークの貿易センタービルなどへ乗っ取られた旅客機が突っ込んだ自殺飛行事件以来のことだ。

 米国は、それらの事件を招いた自分の責任を棚に上げて、世界各地で無謀でひとりよがりな、彼らが言う「対テロ戦争」を仕掛けるようになった。

 それとともに、とくにイスラム教徒など、他国人に対して、入国や就労を厳しく制限するようになった。かつて米国の最大の問題だった黒人の差別問題が下火になっていた人種差別も、こんどはイスラム系や中南米系の人を対象に、一段と強まっている。

 つまり、米国は、その活力を支えてきた、よき伝統をかなぐり捨ててしまったのである。

 5:■アジサイが溢れる島

 この国は大きな大洋の真ん中にある、絶海の孤島だ。
 
  正確に言えば、九つの島からなる群島だ。どれも火山島である。

 中でもP島は、まるで富士山のような、整った形の火山ひとつが島になっている美しい島である。高さ2300メートルあまりと富士山よりも低いが、その形は十分匹敵するくらい美しい。

 じつは、この山は富士山よりもずっと大きいのである。それは、この島が立っている深海底からの高さを考えれば、富士山よりもずっと高い山の、胸から上だけが見えていることになるからだ。

 しかし、この山が富士山のように雪に覆われることはない。

 この島の緯度は日本と同じくらいだ。しかし夏が暑い日本とちがって、夏でも気温は22℃を越えない。一方、冬でも気温は13℃より下がらない。

 一年中、暖房も冷房もいらないという天国のような島なのである。これは島の近くを流れている海流の影響のためだ。

 夏も冬も、あまり気温が変わらないかわり、一日のうちに四季がある、と地元では言う。たとえば、夏でも、朝晩は上着を着ないと寒いほどだし、昼間はTシャツでちょうどいい気候になる。つまり、夏の札幌で天気がいい日が一年中続くようなものなのである。

 どの島も深い緑に覆われている。

 「小笠原高気圧」というものがある。ご存知の人も多いだろう。日本列島の千キロほど南にある小笠原諸島に居座る高気圧で、台風は、その高気圧を避けるようにまわりを回ってくれる。

 じつは、この島にもこの島の名前を冠したxx高気圧というものが居座っていて、低気圧も台風もハリケーンもサイクロンも、めったにこの島を襲わない。つまり、この島は、ずっといい天気が続くという、恵まれたところなのだ。

 温暖で雨も適当に降る気候が日本と似ているせいか、初夏にはアジサイが島中に咲き誇っている。しかも、ひと房のアジサイが30センチもあるような巨大なアジサイである。

 アジサイはもともと日本のもので、日本では持ち出しを禁止していた。だが、シーボルトがやったのだろうか、その禁を破って、日本の江戸時代に、ヨーロッパに持ち込まれて広まったものだ。

 いまでは、たとえばパリ郊外の住宅の庭にも、ごく普通に見られる植木になった。しかし、日本の多くの場所と違って、土地の酸性度に敏感なアジサイの性質のせいで、彼の国のアジサイは、青くはない。ほとんど赤と言ってもいいくらいの赤紫の色である。

 そして、そのアジサイは、ヨーロッパからこの島に渡ってきた。島をぐるっと回る道路には、少しの切れ目なくアジサイの花が続いている。これは見事なものだ。日本のどのアジサイも、これほど規模が大きくはないだろう。

 この島には杉林も多い。杉は日本の特産品だということはご存知だろうか。じつはこの杉も、日本から運ばれてきたものなのだ。百年あまり前のことだという。

 早く大きくなって、しかも有用な材木になる、ということで日本から運ばれてきた杉は、期待にそむかずに、大きな杉の木になっている。

 これも気候がうまく合ったのだろう。日本からこんな遠くで、日本から来た杉の立派な林が育っていようとは思わなかった。

 花粉症?いや、そんなものはこの島にはない。花粉症は杉の花粉だけあれば発症するものではなく、大気汚染との複合作用なのだ。

 また、コンクリートに覆われた都会の地面に落ちた杉の花粉は、裸の土に落ちた花粉と違って、いつまでも生き残る。それが花粉症を激増させた大きな原因なのである。2000年前のハスの実が芽を出したように、花粉や植物の実は、乾いた状態に何年でも耐える強さを持っている。

 それゆえ、大気汚染のないこの島では、杉をいくらたくさん育てても、花粉症は生まれない。そもそも、日本でも、昔から杉は大量に育てられていたが、かつては花粉症など、なかったのだ。

 じつは、この島の人々には、日本人を見たことがある人はほとんどいない。私もずいぶん珍しがられた。人々はアジサイや杉を通して日本を知っている。そして、日本びいきなのである。

 この国は九つの島からなる。それぞれ小さな火山島で、平地は海岸沿いにしかないから、大きな町はすべて港町だ。そこには、古い港町の風情を残した、落ち着いた美しい町並みが続いている。

 この島に人が住みはじめたのは15世紀からだ。先住民はいなかった。町の中はその当時から石造りの家並がつづき、車がやっとすれちがえるくらいの石畳を敷き詰めた狭い道が町の中を走っている。

 道はもともと馬車を通すために作られたものだから、自動車には狭すぎる。歩道はあるが、50センチほどの幅しかない。何百年か歴史が止まったような町なのである。

 これらの島は、どれも火山島である。どれもが、深海底から立ち上がった火山の頂上近くだけが海より高くなって、島になったものだ。

 それゆえ、それぞれの島にある山の頂には、火口がある。雨が多い島だから、その火口には火口湖がある。緑青色の水をたたえた美しい火口湖である。

 なかには、2つの湖が接していて、片方が鮮やかな青色、もう片方が深い緑色、と色が違うのもある。このため現地では、「青い湖」と「緑の湖」と言われている。

 この色の違いは、火山ガスが混じった水の成分の違いと、湖の深さの違いからくるものだ。アジサイに縁取られた2つの色。見ていて飽きない、不思議な景色である。

 また、地下にはマグマがあるから、この島では地熱発電も行われている。原子力発電所のような後の世代につけをまわす核のゴミを出すわけでもなく、火力発電のように地球温暖化の元凶である二酸化炭素を新たに出すわけでもない。限られた資源である化石燃料を食いつぶしているわけでもない発電である。

 島のあちこちでは地熱が高くて、にえたぎった水が噴き出している。

 ここには地熱料理というのがある。地熱の高いところに穴を掘って、肉や野菜をいれた金属の大きなナベを地面に埋めておく。

 3時間ほどして取り出すと、よく煮えて味が滲みた料理が出来あがり、というわけだ。日本の温泉地で作って売っている温泉タマゴの規模を大きくしたようなものだ。私が食べたのは豚肉とキャベツを煮込んだものだった。とてもおいしかった。

 島では、温帯にあって雨が多いので、農業も牧畜も盛んだ。牧場では柵の代わりにアジサイの生け垣が続いている。

 また、この島は、マグロをはじめ、海の幸も豊かなところだ。

 いまでは、この島に上がったマグロの多くは、遠く日本まで運ばれる。いちばん高く買ってくれるのは日本だからである。

 日本近海でマグロをほとんど取り尽くしてしまったから、私たちが食べているマグロは、世界中から集められているのだ。近頃は、世界的に、資源の枯渇が心配されている。

 6:■大洋の真ん中のオアシス

 大洋を人が渡るのは大変である。太平洋などは、そのさしわたしが1万キロもある。地球をぐるっと一回りすると4万キロだから、その4分の1も移動しなければならないのである。

 たとえば、日本で国内線を飛んでいるすべての旅客機は、太平洋を渡れない。燃料をいっぱいに積んでも、せいぜい4000キロほどしか飛べないのである。ジャンボ機のように、国際線を飛んでいるのとまったく同じ形の飛行機でも、国内線用は燃料タンクの大きさが違うからだ。

 太平洋をひと飛び出来る長距離旅客機は、機体と人間と貨物すべての合計の重量よりは、じつは、もっとずっと重い大量の航空燃料を積んで飛び立つ。

 だから、離陸後に不具合があったとしても、そのままでは着陸出来ない。飛行機の脚は、離陸は出来ても、これだけの重さの飛行機が着陸する衝撃を支えきれないからだ。

 私がいつか乗った米国から日本までの飛行機は、故障で引き返すことになったが、離陸直後だったので、低空でぐるぐる旋回しながら、主翼の端から、燃料を海上に壮大に捨ててから、ようやく出発地の空港に戻った。これは普通に行われていることだ。無駄。大気と海洋の汚染。またも人類が地球を痛めつけることになったのである。

 ところで、昔はどの飛行機も、大洋をひと飛びでは越えられなかった。

 この島は、その地理的な位置から、古くはこの大洋を横断する飛行機のオアシスだった。長距離飛行機時代の幕開け、大洋横断が大型の水上飛行艇だった時代だった。

 飛行艇とは、飛行機の車輪の代わりに、小さなボートのような浮きを持っている飛行機のことだ。水上で離発着が出来る。しかし、浮きは、もちろん、車輪のように畳んで機体に格納してしまうことは出来ない。このため、機体は重くなり、また、空気抵抗は大きく、車輪を畳み込んでしまう飛行機ほどの性能は出ない。

 飛行機には車輪が着いているのが普通だが、車輪を持っていない飛行機にもいろいろの種類があり、私が見たものには、巨大なスキーを履いた大型の輸送機もあった。これは南極へ観測隊員や資材を運ぶための南極観測支援の専用機だった。このスキーも、機体には仕舞えない。

 当時の水上飛行艇は航続距離が限られていたから、この島は、大洋横断のためには、なくてはならない重要な途中寄港地であった。

 いまは世界中の海底を這っている電信や電話の海底電線のうち、世界最初の海底電線も、この島を通って2つの大陸を結んだ歴史もある。つまりこの島は、大洋を横断する交通や通信の要衝だったのである。

 かつてモナコの皇太子は、学問の振興に熱心だった。当時の金としては巨費を投じて、他国であるこの島に気象観測所を作った。この島の気象観測は、島の人たちばかりではなく、大洋を渡る飛行機や船にとって重要なものになった。

 この観測所は、いまでも残っている。白い、瀟洒な石造りの建物で、オレンジ色の瓦が美しい。また、窓や扉についている金属の装飾がとても凝って贅沢に出来ている。屋上に上がると、屋根の縁に着いている各種の気象観測器の向こうに港町が見渡せ、その先には、青くて澄んだ海がどこまでも拡がっている。

 この島はかつての水上飛行艇にとってもかけがえのないオアシスだっただけではなく、いまでも、この大洋を横断するヨットが必ず立ち寄る島でもある。

 島の港の岸壁は、この島を訪れた世界中のヨットがコンクリートの護岸の上に残した思い思いの色とりどりの絵や、各国語の文章や詩で埋め尽くされている。なかには過去に訪れた四回分の年号を誇らしげに掲げているものもある。でも、さすがに、日本語はない。

 この島は九つの島からなっている。いちばん大きい島は沖縄本島くらい。九つの島を全部合わせても面積は2300平方キロメートル。東京都くらいの面積しかない。北海道の面積に比べれば40分の1しかない。

 しかし、島は広く散らばっていて、東西には700キロメートル、東京・青森間も離れた島々からなっている。

 こんなに島どうしが離れているから、島どうしの交流は簡単ではない。いまは、どの島にも空港があるが、船しかない時代は、とくにたいへんだった。

 それゆえ、それぞれの島には固有の文化があり、同じ言語ながら、言葉や話し方も微妙に違っている。

 A島の人々は話し方がのろまで仕事も遅い、とB島の人たちが言えば、B島の人々はせかせかして嫌だ、とA島の人々は言う。

 島どうしの意地の張り合いも相当なもので、支庁や、官庁の支所や、大学をどの島に持ってくるか、は常に政争の具になってきた。

 長野と松本と木曽福島が官庁や大学を取り合った長野県に似ているのである。

 四国の四県の県庁所在地、高松と松山と高知と徳島でも同じようなことがあった。裁判所や気象庁の四国の中心は高松にあり、郵政省の出店は松山に出来て、それゆえ、郵政省の監督下にあるNHKも松山に四国の本部がある。

 NHKの放送で、「次は松山からです」と言ったあとに「高知では・・・」というニュースがあるのは、公営放送たるお役人体質の現れであろう。一般の視聴者にとっては、高知からのニュース、と言ってくれたほうが、よほど、素直でわかりがいい。どこに四国の本部があろうと、そんなことは視聴者には関係がないことなのである。

 ちなみに、高知はすべての競争に負けて、四国の中心になるものは何もない。

 静岡市に出来るはずの県で最初の医科大学が、浜松市に政治力でもっていかれてしまったこともある。

 いや、世界のどこでも、大なり小なり、同じようなことはあるに違いない。

 7:■深海底から生えた「標高4000メートル」の島

 この島に、母国と米国、二つの旗を庭先に翻している家があった。一家は元島民だったが、いまは米国籍だ。親子孫、3世代の一家で、夏休みを故郷の家で過ごしているところであった。眼の前に大洋を臨む、なんとも風光明媚なところである。海から来る風が爽やかだ。

 いまの島の人口は全部の島をあわせて25万人。やはり大洋の真ん中にある絶海の孤島であるアイスランドとほぼ同じくらいの人口がある。

 しかし、この人口の4倍もが、異国で暮らしているという意味では、アイスランドよりはずっと人口の多い、あるいは多かった、島なのである。

 米国だけで100万人ものこの島系の米国人が住んでいる。これは現在の島民数の4倍にもなる。つまりここは移民の島なのだ。島では食えなくて、米国へ流出した人々がいかに多かったかを、この数字は物語っている。

 なぜ、こんなに気候も良く、農業も漁業も盛んで、しかも風光明媚なこの島では暮らせなかったのだろう。

 じつは、島の人々を追い立てたのは地震と火山であった。この島には地震も噴火も多いのである。

 なかでも、半世紀前、1957年から続いた激しい地震と、その直後に起きたすさまじい噴火のせいで、多くの人は島に見切りをつけざるを得なかった。燈台も噴火で崩落してしまった。

 島が大きければ、火山から離れたところに住処を移すことが出来る。しかし、九つの島全部を合わせても東京都よりも狭い、という、それぞれが小さな島では、逃げ場がなかったのであった。

 あれから半世紀がたった。

 噴火も地震も収まった今は、夏を過ごすには、これほど良いところはあるまい。

 しかし、所詮は火山島。いつまた火山噴火や地震が頻発しないとも限らない。この島は火の上にある島なのである。いまの地球物理学のレベルでは、あと何年は大丈夫だ、とかあと何年で危ない、ということは分からない。不意打ちを食らう可能性は決して小さくはないのである。

 日本の南方海上、八丈島と小笠原諸島の間にある鳥島では、かつて、激しい火山噴火が起きたあと、住民全員が死んでいたのが発見されたことがある。小さな島の噴火は、かくも恐ろしい。

 島の地下にある火とは、マグマだ。専門的に言えば、大洋中央海嶺(海嶺=かいれい)というものだ。海嶺とは地球深くからマグマが上がってくるところで、上がってきて海水で冷やされたマグマは固い火山岩になり、次々に新しいプレートになっていく。つまり、ここはプレートが作られていく最前線なのである。

 海嶺は、世界中の大洋の海底を這っている。深海底から盛り上がっている、世界最長の山脈である。しかもすべてが活火山で出来ている。

 その全長は、75000キロメートルにも達する。地球、ほぼ2まわり分である。長さから言えば、アンデス山脈もロッキー山脈もかなわない。その部分部分が、その両側に別々の、つまり二つのプレートを生み出していっている。

 この島は海嶺が、たまたま、海上に顔を出している島だ。深海底から立ち上がった標高4000メートル、富士山よりも高い山の山頂部分だけが島になっているのである。

 このように海嶺の山頂が顔を出した島は、世界でも、ほかにはアイスランドか、ヤン・マイアン島くらいしかない。珍しい島なのである。

 ヤン・マイアン島は、ノルウェーの西北の北大西洋にある絶海の孤島だ。一本の木も生えていない、とても寂しい小さな島だ。北極圏内で、一年中寒くて、濃い霧に包まれることが多い。噴火があったら逃げ場所がないという危険もあり、人は住めないが、ノルウェーの軍隊だけが少人数で駐留している小さな火山島なのである。

 ところで、いままで「この国」と言ったり「この島」と言ってきた。じつは、この島は、ずっと前はいざ知らず、中世以後は、ある大陸の国に属している。

 しかし同時に、本国からは2000キロメートル以上も離れた、絶海の孤島でもある。フランスで言えば海外県、たとえばカリブ海に浮かぶマルチニーク島や、その近くに浮かぶ、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が一時暮らしたグアドループ島のようなものなのだ。あまりにも本国から遠く、人種は同じだが、歴史も文化も異なっている。

 この島の人々が、なぜ本国ではなく、より遠い西の米国に出て行かざるを得なかったについては説明がいるだろう。

 この国の母国は、かって栄華を誇った王国で、世界中に植民地が広がっていた。

 だが、その繁栄の時代と違って、近年の母国は貧しい国に成り下がってしまった。いま母国は、大陸の各国で働く出稼ぎ労働者の大きな供給源になっている。同じ大陸にある別の豊かな国で、朝、道路を掃除していたり、工場で下積みの労働に従事している人たちに、この国の出身者が多い。

 母国は、この島の島民にとっては不幸なことに、我が子である「難民」を援助することさえ出来ない、頼りがいのない親に成り下がってしまっていたのである。

 行く先で食えなければ、行く価値はない。より豊かな米国に逃げ出した、というのはこういった理由からなのである。

 もちろん、移民した先の道が平坦だったわけではない。この島の人々は人種差別さえ受けたという。この島の人々は白人だ。アジア人やアラブ人だったら、もっとひどい目に遭っていただろう。しかし白人でも、貧しい島から来たゆえに差別を受けたのであった。

 この島から移住した人々は、米国のカリフォルニア州に六割、ボストン近辺の東海岸に四割が住んでいる。

 彼らの移民生活は、日本から南米に移住した人たちよりは、幾分、マシだったかも知れない。だが彼らも、肩を寄せ合って暮しながら歯を食いしばって働き、ようやく米国社会にとけ込んでいった。その苦しい歴史を、どの移民も胸に秘めているのである。

 8:■島の暮らし

 もちろん、島に残った人々にとっても、活火山と地震の島に住み続けることは、地獄の日々でもあった。

 チェルノブイリの原子力発電所の大事故のあと、残留放射能で極めて危険だ、と警告されている村で住み続けている人たちがいる。ほとんどが老人たちだ。移住する気力も体力も、そして財力もない人たちが、死を覚悟して残る。それは、この島にかつて起きたことと、とてもよく似ている。

 島の人々の暮らしは、地震や火山の活動が収まって、落ち着きを取り戻した今でも、つましいものだ。

 ワインを皆で飲む。そのときに、最後のグラスに配り終えて、ひとしきりの歓談が進んだあと、この島の人々は、もう空になってしまったワインの瓶を、もう一度、逆さまにするのが習わしになっている。

 瓶からは、ワインの滴がしたたり落ちる。この島の人々は、これを「最後の7滴」、という言い方をする。なくなってしまったワインの最後を味わうための7滴である。

 たしかに、ワインの残りの七滴には、そのワインの香りと味が、去りゆくものとして、哀愁とともに感じられる。

 日本酒や焼酎で、これを真似したら、どうなるかは分からない。しかし、アルコールがとても高価で貴重だった時代を感じるための儀式として、日本の私たちも、試みてみる価値はあるのかも知れない。

 ところで、気をつけないと、つましい暮らしが行き過ぎることがある。

 島村さん、気をつけなさい、と言われたことがある。この島で作られる安いワインには、メチルアルコールが混ざっていることがあるのだという。運が悪いと目をやられる。いまでも、それほど裕福ではない暮らし、だが、ワインがなければ暮らせない文化の副産物である。

 この島は全島が火山島だから、この島には、黒っぽい岩しかない。本国によくあるような白い岩、たとえば石灰石や大理石はない。

 このため、モナコ皇太子が作ってくれた白くて瀟洒な気象観測所をはじめ、道路の石畳に埋め込んである一方通行や左折禁止を示している白っぽい石は、すべて本国から、わざわざ持ってきたものだ。

 石畳の構造をご存知だろうか。石畳は、大きさはまちまちだが、平均すると名刺よりやや大きな大きさの石を、丁寧にはめ込んで組み合わせたものだ。それぞれの石の上面の大きさよりは、深さの方が大きい、つまり、柱を縦に並べたような仕組みである。

 しっかり組んであるから、何世紀もの年月に耐える。

 その柱の中に、白い石の柱をはさんでいって、結果として、一方通行を表す矢印を作っているのである。よく見れば、ギザギザの矢印なのだが、遠くから見れば、ちゃんとした矢印に見える。

 いいことは、ペンキで描いた普通の道路標識とは違って、すり減っても白は白のまま、つまり矢印は消えてしまうことはないということだ。この島にはスパイクタイヤはないが、たとえあったとしても、この標識は消えることはない。

 島には小さいながら大学もあった。一九七五年に設立されたもので、1200人の学生がいた。じつは、これも2つの学部が2つの島に別れているタコ足大学だ。島どうしで取り合ったのである。

 島にはテレビ局は一つだけしかない。朝には放送がない。昼休みの二時間と夜だけに放送している。日本のように、見ても見なくてもいいようなお手軽番組を一日中垂れ流しているわけではない。ある意味では健全なものだ。

 この島の人たちは、風土と気候に合った暮らしを続けてきている。温帯。多雨。緑に囲まれた農業と酪農。海の幸。

 魚では、マグロでも1キロ600円、なんと100グラムで60円と安く、そのほか、市場ではサバ、カツオ、イセエビ、太刀魚、キンメダイ、ウツボ、エイを売っていた。日本では見ない珍しい魚もあった。

 マーケットは活気がある。野菜も豊富だ。日本にある野菜や果物はほとんど、なんでもある。特産品はパイナップル。バナナもある。

 でもビワは、近年、日本から入って栽培されるようになったばかりだ。この島の人々にとって、日本とは不思議な国に違いない。

 珍しい植物の国。安いが壊れないクルマを作っている国。しかし、国民や政府が何を考えているのか、全然伝わってこない国なのである。ノルウェーの政府が中東和平やクラスター爆弾の国際的な禁止に貢献したような、いい意味での日本の貢献がないのは、私にとっても残念なことである。

 ノルウェーは北海道よりも人口が少ない。日本でやってやれないことはないはずなのである。

 一方、ホウズキを食べものとして売っているのは、私には珍しかった。

 この島の生活は、大きな工場も、派手な商業施設もないが、つましい、しかしそれなりに満ち足りた生活である。

 島には都会にあるような娯楽はない。だが、島にしかない日曜日の楽しみがある。それは島をまわる道路で行われる馬の競争だ。

 馬に乗るのは地元の青年だ。村中の大人と子供の声援を受けて、馬が駆け抜けていく。

 馬はもちろん競争馬ではなくて、ふだん農業や馬車に使っている馬だ。しかもハダカ馬だ。

 鞍(くら)も馬蹄もないから、馴れていないと、乗るのはむつかしい。

 火山島だから、けわしい登り道で競争が行われていた。

 この島には観光客はめったに来ない。鬼面人を驚かす景色があるわけではなく、穏やかな山河と海が拡がっているだけで、それ以上の観光資源はないからだ。それに、いちばん近い大陸からも2000キロ以上と、遠い。

 この島の幸いなことは、観光に頼らなくても、生きていけることだ。

 日本では、昨今、北海道をはじめ、都会以外のどこでも、農業も、漁業も、炭坑もだめになって、観光だけが、唯一、地方が生き延びられるという期待を背負わされている。

 しかし、底が浅くて薄っぺらい観光客に来てもらって、いくばくかの金を落としてもらうことがそんなにいいことなのだろうか。ゴミや騒音や、観光客の無責任で失礼な振る舞いにも目をつぶろう、というのは、私から見ると、じつに惨めな人寄せパンダを演じることになっているのではないか。

 もっと「正業」で、暮らしが成り立つことこそが大事なのではないか。農業や漁業が正業として成り立つ国はうらやましい。私がこの島を訪れるたびに感じることだ。


 さて、この島はどこだろう。

 いままでの私のこのシリーズと違って、名前を聞いても知らない人が多いところだ。

 それは大西洋の真ん中にぽつんと浮かんでいるアゾレス諸島。現地の発音ではアルファベットにはないから、アソールになる。ヨーロッパから2000キロメートル、米国東海岸から3000キロ、大西洋のまん中にぽつんと浮かんでいる絶海の孤島である。

 私たち日本人も、英国人も、島国の人間とは言いながら、隣の国まで泳いでいくレースがあるくらいの距離しか離れていないところに隣国がある。2000キロ、とは、ノルウェーからスペインまでにも匹敵する距離なのである。

 この島の母国とは、ポルトガルだ。

 国営ポルトガル航空の大西洋横断路線は、ポルトガル・アゾレス諸島・米国という途中寄港のルートを取っている。現代の飛行機の能力からいえばアゾレス諸島に立ち寄らない直航は可能なのだが、無着陸の直行便はない。

 ヨーロッパの大抵の国の航空会社は大西洋横断路線を持っているが、このように必ず途中で必ず着陸するものは、ごく珍しい。私が知っている限りは、あとはアイスランド航空だけである。

 これは、アゾレス諸島では先祖の故郷を懐かしんで里帰りする人が絶えない、つまり無着陸の飛行よりはたくさんの客が期待出来るからである。かつて国を捨てた人たちにとって、故郷はやはり、かけがえのないものなのである。


註)この絵は、Gustav Wentzel 作、Utvandrerne (The Emigrants) (題名)、1900年製です。

文中に書いてある、白い石を埋め込んだ道路標識はこちらへ

(イラストは、イラストレーターの奈和浩子さんに描いていただいたものです)

【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
■:地震学者が大地震に遭ったとき-----関東大震災から二ヶ月間の今村明恒の日記・注釈付きの現代語訳 『波灯』第23号(2010年6月発行)、連載その11{400字で約100枚}
■:ウサギの言い分 『波灯』第19号(2006年5月発行)、連載その9{400字で約35枚}
■:世界でいちばんたくましい国 『波灯』第17号(2004年5月発行)、連載その8{400字で約35枚}
■:世界でいちばん雨が多い国 『波灯』第16号(2003年5月発行)、連載その7{400字で約33枚}
■:世界でいちばん危ない国 『波灯』第14号(2001年5月30日発行)、92-114頁、連載その6{400百字で約62枚}
■:世界でいちばんケチな国 『波灯』第8号(1995年6月10日発行)、16-24頁、連載その5{400字で約23枚}
■:流浪の科学者 『波灯』第7号(1994年5月20日発行)、13-19頁、連載その4{400字で約19枚}
■:世界でいちばん楽天的な国 『波灯』第6号(1993年5月10日発行)、100-112頁、連載その3{400字で約35枚}
■:世界でいちばん過疎の国 『波灯』第5号(1992年4月発行)、24-32頁、連載その2{400字で25枚}
■:オトギの国で過ごした夏 『波灯』第4号(1991年4月発行)、172-181頁、連載その1{400字で25枚}

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