留萌市民文化誌『波灯』(第8号、1995年6月10日発行。連載その5。原文に一部加筆)

世界でいちばんケチな国

 世界でいちばんケチな国はどこだろう。

 私には、その国がどこかはわからない。しかし、一番ではないにしても、それに近い国には暮らしたことがある。

 一:ホテル

 ポーターが部屋まで荷物を運んでくれるような高級なホテルは別だが、私が泊まるその国のホテルはどこでも、廊下も階段も真っ暗で、電灯が灯っていない。

はじめはあわてた。大きな荷物を持って真っ暗な階段や廊下を歩いて、自分の部屋までたどり着くのは容易ではない。

 やがて知ったことは、真っ暗な階段や廊下にそれぞれ一ケ所だけ、蝋燭よりもはるかに暗い、だいだい色に光るごく小さなスイッチが付いているのである。そのスイッチを押せば、廊下の天井の電気は点く。

 つまり、必要がないときには節電のために照明が消えている仕組みなのである。もちろん、二、三分経てば天井の電気は自動的に消えて、廊下はまた、もとの真っ暗闇に戻ってしまうのである。

 空港や一流ホテルの前には客待ちのタクシーが並んでいるのが普通だ。どこでも、このタクシーの列は、なかなか動かない。何分かに一度、ちょっと動いては、また何分かは止っていることが多い。

 その国のホテルで朝食をとっていた私は、この客待ちのタクシーを見るともなく眺めていて、ある光景に眼を剥いた。

 タクシーの運転手が車から降りてきて、車を肩で押しているのである。

 ニューヨークなどでは、三分間以上車を停止しているときには、エンジンを掛けっぱなしにすることが禁止されている。排気ガスの毒性を考えれば当然のことだ。

 それに比べて、わが日本では、電話をかけている間はもちろん、スーパーマーケットでの買い物の間や、パチンコをしている間にもエンジンを掛けたままの無節操な人間が多いのはなんということだろう。車に帰ってきた自分が、ちょっとでも寒い思いや暑い思いをしたくないためだけというわがままな理由で、排気ガスや騒音を撒き散らかしているのは、通常の神経を持っているとは思えない。

 話が脱線した。エンジンを止めていたタクシーが走りだすときに、エンジンをかけないで、肩で押している話であった。

 これは私には尋常なものとは到底見えなかった。ホテルの前で、しかもきちんとした格好をした運転手である。たった一、二秒だけエンジンを掛ければすむことだから、排気ガスのためとは思われない。

 つまり、これはガソリンの節約のためにちがいなかった。わずか数ミリリットルの燃料を節約するために、運転手はわざわざ車から降りて、一トンもある車を押しているのである。

 これは、さすがにケチの国だ。私はいたく感じ入った。

 しかし、私はまだ、バブルの国から来た世間知らずであった。タクシーを押している風景は、この国だけではなくて、さる北欧の裕福な国でも同じであったのだ。

 しかし、もちろん、この国にしかない光景もある。

 二:厳密な値段表

 高速道路を走っていると、次のガソリンスタンドまで何キロ、という表示がある。

 あたりまえのことだ。しかし、この国が私にはあたりまえに見えないのは、距離が何キロ、と書いてあるだけではなくて、そこのスタンドではガソリンの値段がいくら、と値段まで書いてあることなのである。

 いや、それだけではない。じつはもうひとつ看板があって、もう一つ先のガソリンスタンドまでの距離と、そこでのガソリンの値段も掲げてあるのである。つまり、もう一つ先の方がガソリンが安ければ、ガソリンの残量に余裕があってケチな人は、それなりの選択ができるようになっているのである。

 それにしても、日本は鷹揚すぎるのではないか。店に行って、商品の値段が書いていないものを注文することは、その国の人には、到底想像もできないに違いない。

 しかし、日本のガソリンスタンドは、ほとんどがそうなのである(*)。また日本の一部の寿司屋や料亭もそうだが、鷹揚な客はそれでも入るに違いない。そういった食堂は、その国にはない。もし開店したとしても、とても商売にはならないに違いない。それは、この国では法律によって、どんな高級なレストランでも、店の外の通りに面した外壁に、詳しいメニューの内容と値段表とを貼りだしておく義務があるからである。

 毎日変わるメニューならば、毎日違うものを貼りだしておかなければならない。人々は財布と相談しながら、十分の予備知識を持って店を選ぶことができるのである。

*) この文章を発表した1995年当時には、日本のガソリンスタンドのほとんどは価格の表示がなかった。それに比べて、現在は飛躍的に増えた。あたりまえのことだ。

 三:自動車の選択基準

 その国の車の雑誌は、日本のその種の雑誌と同じく、はなやかでカラフルな記事にあふれている。いくつもの雑誌が競っていることも日本と同じだ。いや、雑誌の種類は日本より多い。しかも日本の雑誌はどれも似たりよったりだが、ここではそれぞれが特色を持って競っている。オールカラーの雑誌の値段は日本よりも安い。400円ほどである。

 しかし、その国では、たったひとつ、日本とは決定的に違うことがある。それは各車の比較テストである。日本だとさしずめ、加速や最高速度、コーナリング(曲がり方)といった性能から比較するのがあたりまえになっている。

 しかし、その国では、車の比較は、まず車の値段と、燃費、つまりガソリンの消費量から始まるのである。もちろん加速や最高速度、コーナリング(曲がり方)といった性能の比較も、比較テストの中にはないわけではない。しかし、それらは後のほうに載っている。その国は実用的な自動車を発明した、世界でも最初の国の一つだし、車社会は日本よりもはるかに成熟している。高速道路では150キロを越えるスピードで走っている車を見ることも珍しくはない。

 それでも、車の比較はまず、値段と燃費から始まっているのである。

 世界の他の国の例に漏れず、その国にも日本の車は走っている。しかしノルウェーや米国のカリフォルニアやアイスランドやイスラエルでは半分もが日本車だというのに、その国では日本車の数はわずかなものだ。

 世界じゅうの国々に怒涛のように輸出されていて、各地で貿易摩擦を起こしている日本車も、この国ではそれほど目立たない。それは、ひとつにはその国の貿易政策のせいである。国内の自動車産業の保護もあろう。

 しかし、それだけではない。加速や最高速度はまあまあなのに、日本車は高速道路での燃費が悪いのを、この国の人々が見抜いているからでもある。

 日本車は少しでも安く作るために、エンジンなどに手を抜いているところがある。具体的に言えば、高速でエンジンが回っているときに、エンジンのシリンダーについているバルブ(弁)という水道の栓のようなものが激しく熱せられる。

バルブとは、ガソリンや空気がシリンダーの中に吸い込まれたり、燃えたばかりで高熱を帯びた排気ガスがシリンダーから吸いだされたりする、入り口や出口の弁である。エンジンの中でも、もっとも高熱にさらされる部品だ。

 ヨーロッパの車は、このバルブのなかに、ナトリウムという液体の金属を閉じこめた高価なバルブを使っている。これなら高速で走りつづけてもエンジンが壊れることはない。ナトリウムは金属の中でも、熱を運んで逃がす働きが抜群に大きい特殊な金属なのである。

 しかし、日本車では安い、ふつうの金属のバルブを使っている。

 そのかわりに、高速で走るときには、このバルブに余分なガソリンをぶっかけて、そのガソリンが気化熱を奪うことによって冷やしているのである。注射の前に腕をアルコールで拭くとスーッと涼しくなる、あれが気化熱を奪う原理なのである。これなら、エンジンは安くできるわけである。ガソリンはユーザーの負担だから、日本のメーカーにとっては痛くもかゆくもない。

 エンジンが実際に必要とする以上のガソリンを無駄にぶっかけているわけだから、エンジンは壊れないとしても、燃費が悪くなるのはあたりまえなのである。

 いや、燃費がわるくなるだけではない。私たち地球物理学学者からいえば、ガソリンという限りのある資源を無駄使いしているというべきなのである。それだけではない。二酸化炭素や一酸化炭素や二酸化硫黄など、公害物質を撒き散らす忌むべき仕掛けでもあるのである。

 四:市内均一料金

 この国の自動車の税金は変わっている。エンジンが小さい車にかかる税金は日本よりもずっと安いのに、エンジンが大きくなるにつれて税金はウナギ登りに高くなる。このため、日本では中型車くらいの大きさの車体を持つ車なのに、エンジンは小型車なみのものも多い。

 このようにエンジンの大きさで税金がひどく違う。この国は日本と同じで石油をほとんど輸入に頼っている。倹約は国是なのである。

 一方日本はどうだろう。近ごろは、よせばいいのに3ナンバーだ、2500ccだ3000ccだという大きなエンジンを持つ車が日本中で氾濫している。大都会の狭い道を、これら大型の車がひしめいているのは、どう見ても、分を忘れた成り金の生業にみえる。

 この国では、タクシーのドアは客が自分で開ける。自動ドアなどという無駄な投資はしない。手があれば客が開ければよい。また、地下鉄や鉄道のドアも自動ではない。ドアについているボタンを押したりレバーを回したりして開ける。

 乗り降りが少なくて必要でなければドアを開ける必要はない。無駄にドアを開けなけれれば、冬、車内が寒くならないのもありがたいことである。

 ついでのことながら、この国では、市内交通の料金が日本とは違う。国鉄、地下鉄、市営バス。経営は違うのに、どれに乗っても同じ料金であり、しかも同じ切符が使える。これは合理的だ。

 料金も安い。1994年現在、切符の値段は10枚で720円ほど。一枚当たりわずか72円だ。これで、地下鉄は端から端まで一時間もあって何本も交錯しているが、何回乗り換えても乗り放題。国鉄も市内一円は均一料金だ。なんと節約できることか。

 しかも、この回数券は、じつは何年経っても使えるのだ。次にこの町に行くときのために、私は旅券入れに残りの回数券を入れている。使い残しが出ても、日本のように3ヶ月かぎりで使えなくなってしまう、というのは、この国の仕組みを知った私には、なんと客を馬鹿にした態度なのだろうと思える。

 五:航空運賃

 その国は比較的大きな国なので、国内航空が発達している。

 ところが、この国内線の時間表が、いいかげん複雑なのである。毎日同じ路線を同じ時間に飛んでいる飛行機でも、別々に書いてある。時間表にはやたらに注釈が多い。よほど注意しないと、時間表を読み誤るほどなのである。

 これは、もっぱら複雑な料金制度のせいである。この国では、それぞれの路線毎に7通りもの違った料金がある(**)。そのうちどの料金が適用されるのか、それによって、時間表が違ってくるから複雑なのである。

 たとえばビジネスマンが多い路線では、週末の料金は安い。それも客の多い少ないで、同じ路線の逆向きの料金を微妙に変えてある。同じような理由で、金曜日では午後早くまでの料金と夕方の料金は違う。月曜の朝と午後も違う。期待される客の数が多いか少ないかに応じて、じつにキメ細かく、料金が設定されているのである。

 悪く言えば、客の足許を見て値段をつけているわけだが、合理的だと言えばこれほど合理的なことはない。暇があって金がない若者は、日と便を選べば、同じ路線を安く利用することができるのである。

 このほかに、何日か前までに買えば安い切符もある。もちろん後で予約を変更したり、キャンセルするときには、かなり高額の変更料やキャンセル料を払わなければならない。週末を現地ですごす往復は安い。

 座席の指定はない。自由席である。座席の指定をするためには、コンピューターネットワークのような膨大な投資とランニングコストがかかる。ノーショウと言われる、予約通りには現われない気ままな客に振り回されるわずらわしさも大きい。全部を自由席にしてしまえば、コスト的にはずっと安くてすむのである。

 この飛行機に乗るときに、私は面食らった。

 自由席とはいえ、どこに座ってもいいわけではなく、すべての客が一挙に乗れるわけではない。空港で切符と引き替えに渡される搭乗券には三種類の大きなローマ字が印刷されている。LとIとXである。

 搭乗がはじまったときに、まず乗りこむのが、老人や子供連れの女たちである。これは合理的だ。その国は敬老精神に飛んだ高福祉国家なのである。

 次に乗りこむのは、Lの搭乗券を持った人々である。これはその便の中では安い切符を買った人たちで、何日か前に往復の便を指定して買った人たちや、回数券の人たち、週末割引の返り便といった人たちである。自由席とはいえ、飛行機の中は前後にカーテンで仕切られていて、Lの人たちはカーテンよりも後部の座席に思い思い座るわけである。窓際がいい人は窓際に、通路際がいい人は通路際に、連れがある人は並んで座ることができる。

 次に乗りこむのはIの搭乗券を持った人々である。これはじつは、一番安い切符だ。つまり便の予約ができず、はじめから空席待ち覚悟の切符なのである。

 彼らはやはりカーテンの後部に座らせられるが、すでにLの人々が座りたいところに座っているわけだから、連れがあっても離れ離れになることが普通だし、窓際でも通路際でもない最悪の席に座らせられることが多い。

 しかし、これは一番安い切符との引き替えの、お互いに承知した上での合理的な方法なのである。

 そして最後に乗りこむのがXの搭乗券の人々である。彼らだけが正規の旅客運賃を払った客で、カーテンより前、つまり翼よりも前の見晴らしのよい座席を選んで座ることを許される。カーテンの場所は、曜日により、また便により前後に動かされる。いずれにせよ、機内全体の何分の一かという限られた座席である。

 もっとも、X席とはいえ、座席のイスそのものやイスの間隔が違うわけではない。また、国内線ではオレンジジュースでさえ有料なのだが、X席の人々だけは、ソフトドリンクだけはタダである。機内に備えつけてある料金表によれば、270円までのソフトドリンク一杯だけはタダで、それ以上、つまり二杯目やウィスキーなどはスチュワデスに支払うことになっている。もちろん後部座席の人々は、はじめから有料である。

 いかにケチな国の人々とはいえ、たったひとつの菓子もなく、270円ほどの飲みものを一杯だけもらってプレステージを楽しむわけにもいかないだろうから、一時間ほどの飛行で、他の席よりも8000円以上も高いXの切符を買う人たちはそれほどいるわけではない。

 つまり、事情を知らない外国人や、直前にしか旅行日程を決められなかった人々が、いささか憮然として座っているのが、この国の国内線の、日本で言えば「スーパーシート」なのである。

 もっとも国内線はこのように徹底的にケチに徹しているものの、この国の国営航空会社が運行している国際線は、他の航空会社との競争ゆえか、それほどケチさが目立たない。国内線では客を奪われる恐れはないが、競合が激しい国際線では、客を奪われるよりはケチさを覆い隠したほうがいい、というのも、なかなか立派な合理精神ではある。

 じつは、この国の飛行機は事故率が低いので有名なのである。整備や安全に少しでも手を抜いて、もし事故でも起こしたら、それはかえって恐ろしく高くつく、ということをちゃんと知っているからなのである。

 ケチな国の飛行機は、かくてそれゆえ安全なのである。

**) この文章を発表した1995年当時と違って、日本の航空運賃も季節や曜日で変わるものも増えた。しかし、また「この国」ほどのことはない。

 六:豚の耳

 動物を食べるときにも、この国の人たちは徹底してケチである。

 ブタを食べるとしよう。日本人だってブタを食べる。しかし私たちは、ブタを食べるときに、あの大きなブタの耳や、特徴あるブタの鼻はどこへやってしまうのだろう。肉屋には並んでいないから、きっと捨ててしまっているのだろう。

 しかし、この国では違う。肉屋に行けば、ブタの耳も、鼻も、いかにもそれらしい格好で山積みになっているのである。聞けば、茹でて輪切りにして食べるのだという。肉よりはもちろん安い。

 気味が悪いって? しかし、食べるために育て、いったん屠殺してしまった以上は、食べられるところをすべて食べるのが、その動物に対する礼儀でもあるはずなのである。ケチなだけではない、筋が通った哲学も、成熟した食文化もがここにはある。

 同じような理由で、この国にはヒツジの脳をそのままの形で茹でた料理もある。じつは、その国の観測船に乗せてもらったときに、日本人で食べたのは私だけであった。あとの日本人は、みんな、気味悪がったのである。

 その国は日本やノルウェーのように船舶王国というほどではないが、そこそこの船を持ち、外国にも寄港している。日本にもたまには来る。

 しかし、そのたまにしか来ない東京港には、じつはこの国の船のためだけに食事の材料を供給する専門の商売があるほどなのである。きっと日本人が捨てているブタの鼻やヒツジの脳を、タダのような値段で仕入れて売っているのに違いない。

 七:泥棒市

 この国には、日本にはない市場がある。

 信じがたいものを売っている。電線が切れた電話。壊れたハンドバッグ。割れた陶器。片足だけのハイヒール。いったい誰が、何のために買うのか分からないようなものを堂々と売っている。

 この市場は昔から泥棒市と呼ばれてきた。たしかに出自が分からないものが売られていても不思議ではない雰囲気で、日本ではとうてい考えられない市場である。

 アイロンらしきもののコード。端がちぎれている。縄飛びの片方のハンドルのないもの。もちろんタダみたいなお金で売っている。

 買ってから自分で直せば、使えないわけではない。これは間違いなく、ごく安く暮らすために何百年も続いてきた知恵なのだ。

 結構大きな市場である。場所にもよるが、小さい市場でも小学校の校庭ぐらい、大きければプロ野球の球場が二、三個も入ろうかというほどの大きさがある。週末だけ開かれることが多いが、芋を洗うような混雑である。集まった客の懐を狙って多くのスリも集まるから、混雑はよけい増幅される。

 八:風呂メーター

 ケチで合理的な精神は伝染もする。すぐ隣りの国でも、私は恐れ入ったことがある。大学町のあるごく普通のホテルで風呂を使ったときのこと、風呂場の壁のまん中に、巨大なメーターがついていて、カチッ、カチッと湯を使うたびに回っていって、ちょうど日本のガスのメーターのように、使用量が眼の前に示されるようになっているのである。

 こちらの国ではかの国ほどケチではないのか、メーターの読みに応じて宿泊料金が変わるようなことはなかったが、それにしても、眼の前でメーターがカチッ、カチッと鋭い音を立てて回っていくというのは、なんとも威圧感があるものである。

 この国は、日本人がよく知っているようで、じつはよく知らない国なのである。その名はフランス。

【参考:島村英紀、今までの『波灯』寄稿】
■:地震学者が大地震に遭ったとき-----関東大震災から二ヶ月間の今村明恒の日記・注釈付きの現代語訳 『波灯』第23号(2010年6月発行)、連載その11{400字で約100枚}
■:世界でいちばん人口が減った島 『波灯』第20号(2007年6月発行)、連載その10{400字で約50枚}
■:ウサギの言い分 『波灯』第19号(2006年5月発行)、連載その9{400字で約35枚}
■:世界でいちばんたくましい国 『波灯』第17号(2004年5月発行)、連載その8{400字で約35枚}
■:世界でいちばん雨が多い国 『波灯』第16号(2003年5月発行)、連載その7{400字で約33枚}
■:世界でいちばん危ない国 『波灯』第14号(2001年5月30日発行)、92-114頁、連載その6{400百字で約62枚}
■:世界でいちばんケチな国 『波灯』第8号(1995年6月10日発行)、16-24頁、連載その5{400字で約23枚}
■:流浪の科学者 『波灯』第7号(1994年5月20日発行)、13-19頁、連載その4{400字で約19枚}
■:世界でいちばん楽天的な国 『波灯』第6号(1993年5月10日発行)、100-112頁、連載その3{400字で約35枚}
■:世界でいちばん過疎の国 『波灯』第5号(1992年4月発行)、24-32頁、連載その2{400字で25枚}
■:オトギの国で過ごした夏 『波灯』第4号(1991年4月発行)、172-181頁、連載その1{400字で25枚}

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