島村英紀は科学者と社会について、こんな指摘をしていました。


(文章を書いた目的や、読んでくださる対象がちがうために、記述が重複しているところがありますが、お許しください)。


理研・STAP・小保方問題を島村英紀が書いたらこうなります
島村英紀「人はなぜ御用学者になるのか」

島村英紀「イタリアの地震予知裁判と日本の地震予知」
島村英紀『長周新聞』2014年1月1日号「科学を左右しはじめた世界的な大企業」
 島村英紀『長周新聞』「原発は活断層だけを警戒していればいいのだろうか--原子力規制委員会の断層調査への疑問」


島村英紀『地震列島との共生』(岩波科学ライブラリー)では、


1章:プロローグ 2節:科学者と社会

 いろいろな意味で科学が問われている時代である。この本でなにを言いたいのか、災害の問題からは少し回り道ではあるが、科学者としての私の立場を説明しておこう。

 阪神淡路大震災以後、地震の科学や科学者について多くの批判が噴き出した。あれほどの災害を生んだ地震が予知できないのかといったものや、とくに関西在住の学者には、関西が危ないと思っていたと地震の後に言うくらいならば、なぜ事前に政府や地方自治体の地震予測に反映させなかったのかという批判が集中するなど、さまざまなものがあった。

 このなかには科学者の私としても反省を迫られて責任を感じるものも多い。また一方では研究がいま進んでいる現状が一般には知られていないために私たち科学者とそれ以外の人たちとの行き違いもあることを感じた。

 地震や火山など、災害に関係する科学はほかの科学とちがって、一般の人々の生活に直接関係する面が多い。その意味では一般の科学以上に科学者の責任が重い面があり、その分だけ努力も求められるのだと思う。

 しかし、もちろん一方では地震や火山の科学もほかの科学と同じ面も持っている。ここではまず、そこから考え始めよう。

 科学は、たとえば芸術と同じように、それを理解し支えてくれる社会の一部、つまり広範で総合的な文化の不可分の一部のはずである。ともすれば科学や技術がほかとはかかわりがない独立した文化だと考えられているのは間違いだと思う。一般の人も科学者も、科学と文化、科学と社会についてはもっと考えたり発言したりすべきであろう。

 科学は広範で総合的な文化の不可分の一部だとしたら、科学は自分の動機だけでいつまでも走りつづけられるものではない。また走りつづけるべきものでもあるまい。このため、科学者が、それぞれの専門の領域で得た結果や現在の学問が取り組んでいる研究内容とその最新の成果について、一般の人や社会に説明することが必要であろう。つまり科学から社会や文化へのフィードバックが必要なのである。これは、科学を支えてくれた社会や文化に対する領収書でもある。

 いままでは、学問がどこまでわかっていて、どこからはわかっていないのか、その肝心なことを一般に知られる努力が、科学の側からは十分には行われてこなかったように思われる。地震などの地球についての科学も例外ではない。そのうえ、地震は災害に直結しているし、一方地球は文化や人類の基盤だから、ほかの科学以上にこの種の努力が払われるべきであろう。

 科学からのフィードバックと同時に、文化や社会から科学への健全なフィードバックも必要である。この双方の働きかけがなければ、科学は独走していびつなものになってしまう可能性がある。もちろん、ここでいう文化とか社会とは特定の狭いものを指しているのではない。ある国のある政治体制のために特殊な兵器を開発したりすることは、ここでいう健全なフィードバックとは似て非なるものである。

 一方、科学者について過大な期待を抱くことは間違いである。科学者は予言者でも宗教家でもない。科学者は、それぞれの専門の領域では専門家だが、その成果を材料にして考えるのは科学者だけの役割ではない。科学者が得てくれた材料に基づいて考えるのは、科学者以外の人たち、広く言えば文化の役割なのである。

 この本で私は科学者として、考えるための材料を提供することを主とした。この材料をもとにして読者に考えてほしいと思う。本としての狙いは、現代の地球科学の前線で、どんな研究が行われていてどんなことがわかっているのか、なにがまだわかっていないのかを一般の人にも知ってほしい、また、地球の将来は、現代の地球科学の前線を知ったうえで考えてほしいことである。

 それが、地球の将来を考えて行動する人間の知恵の広がりをつくるものだし、翻って学問の底辺を広げることによって学問自身にも役立つものだと思う。


『地震列島との共生』(岩波科学ライブラリー)は 1996年12月発行、岩波書店・科学ライブラリー。本文119頁


島村英紀の北海道大学での授業では、



授業の目標

 地震をはじめ、火山噴火、台風、津波、水害、地すべり、豪雪と日本は自然災害の多い国だ。昔から日本人は災害に苦しめられ、災害とともに生きてきた。阪神淡路大震災(1995年)でも6400余名の人命が失われて、被災地はまだ完全には復旧していない。

 被災した人々の心の傷や全国の人々の精神的な衝撃を逆撫でするようで気がひけるのだが、地球物理学者として私が言えることは、阪神大震災を起こした兵庫県南部地震は、日本にとっては決してめったに起きない大地震ではない。残念ながらいまの学問では、次に日本のどこを、どのくらいの地震が襲うかはわからない。兵庫県南部地震がたった一回だけのものではないとしたら、さて、現代に生きる私たちは地震のような自然災害をどうとらえ、どうともに生きなければならないのだろうか。

 これはもちろん人々一人一人が考えるべき問題ではある。しかし、ともに考えたり、それを助けるために、広い意味の文化があるのだと思う。広い意味の文化には哲学や、宗教や、科学も含まれる。それぞれの役割も影響も違うはずだが、この講義では科学の面からこの問題を考えてみたい。

到達目標

 いろいろな意味で科学が問われている時代だ。阪神大震災以後、地震の科学や科学者について多くの批判が噴き出した。

 科学は、たとえば芸術と同じように、それを理解し支えてくれる社会の一部、つまり広範で総合的な文化の不可分の一部のはずである。一般の人も科学者も、科学と文化、科学と社会についてはもっと考えるべきであろう。

 科学者は予言者でも宗教家でもない。科学者は、それぞれの専門の領域では専門家だが、その成果を材料にして考えるのは科学者だけの役割ではない。科学者が得てくれた材料に基づいて考えるのは、科学者以外の人たち、広く言えば文化の役割なのである。

 講義としての狙いは、現代の地球科学の前線で、どんな研究が行われていてどのくらいわかっているのか、まだなにがわかっていないのかを皆さんにも知ってほしい、また、地球の将来を考えるときには、現代の地球科学の前線を知って考えてほしいことである。

 それが、地球の将来を考えて行動する人類の知恵の広がりをつくるものだし、ひるがえって学問の底辺を広げることによって、学問自身にも役立つものだと思う。


島村英紀のホームページ、『ホームページについてのご意見・ご要望のお願い』では、

 口(くち)はばった言い方をすれば、私にとってのホームページとは、税金を使って研究や教育をしてきた、その活動の「領収書」の一部としての活動です。

 科学者としての責任は第一義的には科学を進めることです。しかし、それだけでは十分ではないと私は考えます。つまり、そのほかに、それぞれの科学がなにを目指していて、なにをやっていて、どこまで進んでいるか、どこがまだわかっていないのか、を一般の方々や私たちの科学以外の科学者たちにわかっていただくことにも科学者としての責任があると、私は考えます。

 そのためにも、なるべく多くの方々にホームページを見ていただいて、ご意見をうかがい、なるべくいいものにしていきたいと思っています。ご協力いただければ幸いです。



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