『日本経済新聞』「中外時評」(2004年6月13日(日曜)「視点」面)

危機に沈黙せぬ学問を
翼賛排して時代をチェック

 深まる一方の「官」への不信。三菱自動車の欠陥隠しなど「産」の不実も次々に。残った「学」も肝心な場面での沈黙や迎合が目につく。時代の流れをつくるだけでなく、その過剰をチェックする学の存在感の希薄さは、異論を排する翼賛社会への一里塚なのだろうか…。

 この春に出た一冊の本が、日本の地震防災の硬直した土台を、大きく揺さぶった。『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)。著者は地震学者の島村英紀北海道大学教授である。中身はタイトル通り、国が法律で定め、確実にできるものと国民の大半が信じている地震予知への疑問を、科学的・論理的・現実的にわかりやすく指摘している。

 1977年、東海地震を直前に予知できることを大前提として「大規模地震対策特別措置法」が成立した。時間と場所と規模を特定した予知の可能性について、だれも科学的に検証したわけではなく、時の勢いに押されるように法はつくられた。

 この法律の描いているのは、巨大地震が来る1、2日前に、学者で構成する判定会議が前兆現象を捕らえて判断し、それを受けた内閣総理大臣が「警戒宣言」を発して、住民の避難や原発の操業停止が粛々と行われることだ。最高に理想的な事態だけを想定した、とても奇妙な防災法規といえる。

 以来四半世紀にわたって、この大震法が、日本の地震防災を縛り続ける。東海地震の被害が想定される地域の住民はもちろん、国民の大方は、東海地震が発生する前には必ず、学者が予知して、避難誘導などの情報が政府から届くと信じている。

 しかし、四半世紀の間に進歩した地震学・地球物理学でわかったのは、地下の破壊現象である地震を、時間と場所と規模を特定して予知することは、とてつもなく難しいということだ。科学的な結論として、測地学審議会が、予知は現状では難しいという報告を8年前に出した。

 アカデミズムが明確な結論を出したのだから、それに耳を傾けるなら、当然、大震法は廃止か大幅に改定される。そう思っていたら、ことは違った。

 観測網が充実し、地下の動きがある程度つかめる東海地震は予知の可能性がある、なんていう揺り戻しが、膨大な予知予算を使ってきた学の中からあったようだ。その可能性とは、十回に一回なのか、三回に一回なのか。それとも…。

 大事な説明がないまま、不確実な、ごくまれな幸運を前提に、大震法は存続している。

 島村教授は、今回の本で、それに明確に疑問を呈した。これまでも、予知を前提にした地震防災に何度も警告を発してきた教授が、ついに、真正面からこの問題を提起した意味は大きい。政府はどう受け止めるのか。

 昨年になってようやく予知なしに突然東海地震が来る可能性を認め、防災計画を作り始めた政府だが、いまだに大震法の改定は口にしていない。

 構造物の耐震強化や、地震発生直後に津波や火災から人命を守る「リアルタイム防災」への転換が急務だ。一体誰のために大震法を守るのか。巨額の予知予算を前に、学問の自立を放棄して、アカデミズムの大勢はまだ沈黙を続けるのだろうか。

 同じ予測でも、学問の水準そのものに、不信を持たれているのは、人口推計である。年金制度の根幹にかかわる人口推計では、このところまるで大甘な数値ばかり並んでいる。

 心理的な要素もあり、変動要因の多い人口の推移を予測するのは簡単ではないが、どういうわけか、出生率などいつも役所に都合のいい高めの数値を出し続けている。みんな高めに外し、低めに外れることがないというのは、予測手法に構造的な欠陥があるか、政治的なバイアスがかかっているかだと、疑われても仕方がない。

 人口問題の研究機関が、年金政策を扱う厚生労働省の傘下だというのも、学問の自立を妨げているのは事実だ、

 防災も年金も、国の骨格である。将来の危機に備えた安心のシステムを、産官学が協力して築かねばならない。学はおいしそうな話、都合のいい数字を提供するだけの存在ではない。

 ふだんはへ理屈をこねて煙たいけれど、ぷれない心棒が危機を救う。すぐ役立つとは限らない知の原基が学問である。

塩谷喜雄(日本経済新聞論説委員)

なおjpeg画像(169KB)はこちらに。

『東京新聞』・『中日新聞』書評 2004年3月21日(日曜)朝刊読書面(表紙の写真付き)
(『北陸中日新聞』にも出ました)

科学と呼べぬと厳しく指摘
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

 自然科学についてまったく素人の私ですら知っている権威ある科学誌『Nature』がインターネット上で、「地震予知」に関する討論を世界中の研究者を対象に実施した記録が本書に記されている。ある程度は予想した結果だが、不安や疑問を感じさせるに十分な内容だ。「一般の人が期待するような地震予知はほとんど不可能であり、本気で科学として研究するのには値しない」

 この絶望的な結論はなんだ。ではいま、「予知」と呼ばれるような研究の多くはなんのためにあるのか。それを明らかにするように、本書はさまざまなデータによっていかに「地震予知」がほぼ不可能か読む者に教える側面がある一方、本書で使われているのとは異なる文脈で引用するが、「自然現象としての『地震』と、社会現象としての『地震災害』とは別もの」であることをより強く認識させる。「地震」を通じて「政治」がどのように動いたかを俯瞰することで、著者が強い筆致でその欺瞞を暴いてゆくからだ。

 私はなにも知らなかった。

 その無意味な研究にどれだけの予算が動き、税金が使われ、愚かとも思える政治がどのようにして官僚内で跋扈していたか。「東海大地震」が来るという「予知のようなもの」 によってどんな「法」が制定され、その「法」が政治的にどういった意味を内包しているか。さらに「地震予知の研究の困難さは地震の例証が少なすぎること」と「地震研究」について筆者が記すとき、それがひどくアイロニカルに響くのは、「例証」が少なくてよかったことに反して、では研究はどうなってしまうのかという疑問が相克するからだ。

 不意にそれは来る。迂闊なことは誰も口にできない。原発は本当に地震に耐えるのか。「法」が発動されたとき「政治」はどう動くのか。阪神淡路大震災は多くのことを教訓と して残したが、疑問はまだなにも解決されないまま残されている。本書の言葉は厳しくそれを指摘する。

宮沢章夫=劇作家)

『共同通信』 2004年3月25日配信の書評

「予知頼みでない対策を」(共同通信が配信した見出し:高知新聞、2004年3月28日。福島民友、2004年4月4日。下野新聞、2004年4月3日。北日本新聞:富山、004年3月28日。北国新聞:金沢、004年3月28日。山陰中央新報、2004年4月4日)

(このほか、各紙に載りました。 新聞によって付けた見出しが違って、それぞれの新聞の、地震との関わり(や、お国言葉)が感じられます。新聞社会学的に観察すれば、近年の地震で地元に大被害を被った新聞が、「弱者の立場」にとりわけ理解が深いようです)。

「弱者の立場での再検討提唱」(神戸新聞。2004年4月4日)
「容易でない警戒宣言」(中国新聞:広島。2004年4月4日)
「予知できない、大丈夫かいな」(京都新聞。2004年4月4日

「安易な期待 厳しく戒め」(河北新報:仙台。2004年4月4日)

「弱者の立場 再検討提唱」(新潟日報。2004年4月4日)
「安易な期待戒め対策再検討」(山梨日日新聞。2004年3月28日)
「対策の再検討提唱」(岐阜新聞。2004年4月4日)
「困難さ指摘し期待戒める」(山陽新聞:岡山。2004年3月28日)

「問題点解説し期待戒め」(四国新聞:高松。2004年4月3日)
「国の対策へ安易な期待戒め」(愛媛新聞。2004年4月4日)
「世界の常識は「地震予知不可能」」(徳島新聞。2004年4月4日)
「裏付けのない対策方法」(大分合同新聞。2004年4月5日)
「政策の混乱ぶりを整理、解説」(熊本日日新聞。2004年4月4日)
「対策の混乱を鋭く告発」(南日本新聞。2004年3月28日)

『公認「地震予知」を疑う』(柏書房) 島村英紀著


 東海地方で巨大地震の発生が危ぐされ始めて、四半世紀が過ぎた。東海地震の前兆が現れれば、国の警戒宣言が出され、市民の避難や生活物資の確保などが行われる―。毎年の防災訓練の報道などに接して、そう思い込んでいる人は少なくないのではないか。

 だが地震学者の著者は、東海地震の警戒宣言は「まず出せない」と言い切る。東海地震に限らず「××県で×時間以内にマグニチュード×の地震が起きる」といった短期予知は、前兆に例外的に恵まれたとき以外はできない、これまでの成功例と言われているものも疑わしい、というのが著者の持論だ。

 東海地震に備えてつくられた大規模地震対策特別措置法(大震法)は、短期予知ができることを前提としている。しかし現在、信頼できる予知方法は存在しない。それが「世界の科学者の常識」なのだという。

 なぜ、十分な学問的裏付けのないまま大震法ができ、現在も効力があるのか。地震対策の錦の御旗の下で、いかに学者や官僚が巨額予算を奪い合っているか。著者の批判は厳しい。各研究機関が地震予知のための観測態勢強化に走ったために、研究者が観測業務に忙殺され、論文は出るものの基礎研究はかえっておろそかになっている、との指摘は、中でも鋭く感じられた。

 もし幸運に東海地震の前兆らしきものがつかめても、警戒宣言を出すのは容易ではないらしい。宣言が空振りに終われば、経済損失は1日当たり7200億円とも言われる。逆に宣言なしに地震が襲えば、震災予想地域内にある原発で大事故が起きるおそれもあるという。宣言の発令も撤回も、すさまじい重圧の下で判断を迫られる。

 本書は、日本の地震政策の混乱ぶりと問題点を整理・解説し、地震予知への安易な期待を戒めている。専門家には個々の論点へ異論があるかもしれないが、私たち市民の課題は、弱者の立場での地震対策の再検討を提唱する著者の真摯(しんし)な提案を受け止め、地震に強い社会をいかに築くかにあるだろう。

平田光司=総合研究大学院大教授)

『毎日新聞』書評 2004年4月25日(日曜)朝刊読書面
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

 東海地震対策大綱という法律があって、政府は被害を少なくしようと力を注いでいる。それは良いことのようだが、そうなのか。いつとも分からぬ地震に本当に役立つのか。

 地震の正確な予知はきわめて難しく、いまのところその可能性はゼロに近い。にもかかわらず地震対策はお役人によってドンドン進められている。その内情はいったいどうなのか、地震学者が厳しく暴いている。予知のための観測ネットワークを広げるには、膨大な予算が必要になる。それが否応無く膨らんでいく。

 また、明らかに地震の兆候が把握されたとして、その不確かなものをいかに公表し、どのような対策を打ち出すのか、現実にはまったく困難である。考えてみれば恐ろしいことだが、考えざるを得ない。(規)

『読売新聞』書評 2004年5月2日(日曜)朝刊読書面
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

 地震国・日本にとって予知の可否は国民の大きな関心事である。3千億円もの巨費を投入しながら、「この40年間、一度も地震予知に成功していない」と著者は断言する。「予知は不可能」「予知の論文をたくさん書いた日本の学者はほとんどいない」との厳しい指摘には、改めてショックを覚えるが、専門家による希有(けう)の告発であり貴重だ。政府と科学者との複雑なもたれあいのからくりが手にとるようにわかる。

 だが予知が不可能でも、地震はいつか必ず発生するのだから厄介なもの。もう一度基礎研究に立ち戻り、やり直すべきだ。

 出版当初から各方面で話題を呼んだが、時間がたつと専門家間のメール等で本文中の小さな数字ミスなどが指摘された。それでも決して本書の価値が低減するものではない。エネルギー、宇宙開発、科学技術政策の主要分野でも、このような第一級の専門家による、勇気をもった発言の現れることを期待したい。

柏書房  1400円

●評者・浅羽雅晴 (読売新聞社編集委員)

『電気新聞』書評 2004年5月21日(金曜)号 編集企画のページ「今週の一冊」
地震学者が初めて本当のことを語った!

 本書を読んだとき、「地震学者が初めて本当のことを語った!」と思った。「地震予知はできない」。そのことを地震学者はみんな知りながら、日本が世界で初めて「地震予知体制」を公式に発足させ、四半世紀も続けてきたことに「待った」をかけることをしてこなかったのだ。この予知体制の矛盾を、ズバリと真っ向から批判したのが本書である。

 著者は、北海道大学地震火山研究観測センター教授で、海底地震研究の世界的権威だが、ふつうの学者とは違って、地震に限らずおよそ地球に関わる「事件」があれば、北極から南極までどこへでも飛んで行く行動派の地震学者である。

 著者はまず、固体の破壊現象はもともと予測は難しく、まして地震は観測装置もない地球の内部での破壊現象だから、「いつ、どこで、どんな規模で」起こるかを事前に知ることは本質的に無理なのだと説く。

 前兆といわれるものは、ほとんどが事後に指摘されたもので、国際地震学会が1991年に世界中から「予知の成功例」を集めて審査したところ大半が「落第」だったこと。1999年に英国の科学雑誌「ネイチャー」が「地震予知は可能か」という公開討論会をホームページで催したところ、公式に予知体制を発足させている日本とギリシャは反論を恐れて参加しなかったこと。そんな例を挙げて、地震予知は科学ではないというのが世界の常識だと著者は言うのである。

 ところが、日本では、駿河湾を震源とする東海地震だけは予知できるという前提で、1978年に大規模地震対策特別措置法(大震法)が制定され、首相が警戒宣言を発すれば「戒厳令なみの体制」がとられることになっているのだ。著者はその矛盾を、さまざまなデータと、警戒宣言が発令された場合の「フィクション」までまじえて鋭く指摘する。

 もちろん地震を予知して被害を軽減させたいというのは地震学者の夢であることは著者も認めており、大震法が制定される時、国会で地震学者がウソをついたわけではないことを当時の証言から明らかにしている。むしろ地震学者の夢と研究費への期待が政治家や役人に利用されたのではないか、とみているようだ。

 問題の東海地震は、大震法の制定から四半世紀を経てまだ起こっていないが、その間に何の前兆もなく阪神大震災が起こり、大被害を出した。それをきっかけに、政府や行政の地震対策は抜本から見直されたが、驚くべきことに「地震予知」という言葉を「地震調査」といった名称に変えただけで、大震法は廃止も改訂もないまま今日にいたっている。

 本書の厳しい告発に政府がどう応えるのか。

(柏書房、1400円)

●評者:柴田鉄治(元朝日新聞科学部長・社会部長・論説委員、ICU教授)

週刊『新社会』書評 2004年6月8日(火曜)号(397号・通巻518号) 8面
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

 1978年、大規模地震対策特別措置法(大震法)ができてから、「大規模防災訓練」の報道に接するたびに「きな臭い」思いをしてきたのは、私だけだろうか。

 地震学者の著者は、世界に類を見ない「大震法」は、東海地震の予知が可能なことを前提にして、被害を少なくするために、社会や人々の生活を規制する法律であるが、戦後初の戒厳令であり、有事立法だと言う。

 大震法は、わずか2ヶ月のスピード審議で成立した。「予知が可能ならば」備えるのは当然とばかりに、一時的な自由や私権の制限はやむを得ないとなった。しかし、地震予知の科学的な根拠は、実はそれほど強いものではなかったことを国民は正確には知らされていなかった。

 国民の知りたい地震予知は、「いつ」「どこで」「どれくらいの」地震が起ぎるのかであり、100年に0.1%と言われても意味がない。

 地震の予知は短期の天気予報とは違う。それは地震には地下で岩の中に力が蓄えられていって、やがて大地震が起きることを扱える方程式は、まだないからだ。つまり、天気予報のように数値的に計算しようもないのである。その上、データも地中のものはなく、地表のものしかない。それが「世界の科学の常識」なのだという。

 「地震を予知したい」という科学者の夢であり、国民的な願望でもあった志向が、いつのまにか「地震は予知できる」にすり替わったまま、日本の地震をめぐる政策も研究も続けられ、利権までが絡んで「予知事業」に猪突猛進した歴史と、大震法の問題点を探る必見の書である。

 本の中に2編のフィクションがある。大震法、大綱(東海地震対策大綱)をもとにし、「警戒宣言」が発令されたときの一市民、「判定会」委員の一人の苦悩は生々しい。(敏光)

『日本の科学者』書評(本) 2004年10月号(50頁、通算554頁)
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

国の地震予知計画が始まって40年になろうとしている。本書は「地震が予知できない理由」「地震学と法律をめぐる25年」「阪神淡路大震災以後」「東海地震対策大綱の周りにある穴」などの諸章から成り、いくつかの曲がり角を経て今日にいたる地震予知の歴史がリアルに描き出されている。

前兆を観測して地震の発生を事前に知る。この地震予知戦略は当初は順調に見えた。しかし前兆はどれも信頼するには足りず、決め手になるものは無いことが明らかになる。バラ色の未来は崩れたと跡づけている。

地震予知で潤沢な研究費を獲得して親測点が拡充された。しかしその結果「思いどおりの観測の展開のためには予算も人も決して十分ではないという観測拡大指向が極めて強い異例の研究」になった実態が示されている。

1976年に東海地震説が登場した。この地震に対処する目的で大規模地震対策特別措置法が成立した。この法律は「東海地震の予知が可能なことを前提にして」成り立っている。地震学者はこの事態に、一方では地震予知に見込みがありそうな言い方をし、同時にそれは難しいとも言った。そして結局「予算を飛躍的に増やすための仕掛として、大震法成立に手を貸したのは科学者だった。いや、それ以前、約10年の成り行きから言って、手を貸さざるを得ない立場になっていたというべきかも知れない」と著者は見る。

こうして「行政と地震学者が地震予知を介して互いにもたれ合う構造ができあがった」と分析する。それは阪神大震災を転機に、「科学技術庁のお役人主導のプロジェクト」になった。

2003年5月に東海地震対策大網が発表された。大震法はそのままにして、「予知ができないかもしれないということを織り込むための無理」を繕う、当面の辻褄合わせであると断じる。

「大地震から国民を守るという錦の御旗に反旗を翻すほどの勇気と根拠を誰も持っていなかった」と著者は言い切る。ここに今日の事態を招くにいたる源がある。科学研究の健全な発展の道を求める者は、今こそ地震予知の真の姿を直視すべきことを本書は教えている。著者は北海道大学地震火山研究観測センター教授である。

●評者:水野浩雄・元香川大学教授 (柏書房、1470円)

『測量』書評 (Survey Library) 2004年9月号(60頁)
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

現在.役所主導で進められている公式の地震予知とそれにもとづく地震対策に、真正面から疑問を投げかけた「辛口」の批判書である。著者ば,かつて北海道大学の地震火山研究観測センター所長をつとめ、これまでにも多くの地震に関する著作を世に出してきた現職の学者である。

最近の政府の報道によると,東海地震や南関東地震・東南海地震・南海地震・宮城県沖地震などの発生は、いまや切迫した状態にあるという。東海地震騒ぎを機に、1978年に大規模地震対策特別措置法(大震法)が施行されて四半世紀がたち、東海地震は起きないままに、2003年5月には大震法を少し修正した「東海地震対策大綱」が策定され、想定される東海地震についての対応の仕方に多少の変更が加えられた。

こういう状況のもと,我が国の地震予知ばこれまで国や役人にどう「利用」され、各官庁の勢力争いや予算獲得にどう使われてきたがが専門家の立場から疑問視され、その問題点が次々に暴かれるのが本書である。

地震学者として地震を予知して人命を救い災害の低減に役立ちたいとの思いが根底にあっての、政府やその役人のやり方についての間題点の暴露であり辛口の批判なので、読者としては政府の進める地震予知の問題が浮き彫りにされて、これまで知らなかった地震予知の実態がよく理解できる興味津々たる技術読みものになっている。ご一読をおすすめしたい。

●評者:今村遼平

柏書房。発行
四六判240ぺ一ジ
1470円(本体価格1400円)
●注文TEL : 03-3947-8251(営業)FAX : 03-3947-8255

なお今村遼平氏は、アジア航測株式会社技術顧問(元アジア航測(株)取締役総合研究所長)です。

『日刊ゲンダイ』書評 2004年12月15日号
地震予知と東京大震災

 新潟県中越地震であらためて疑念の声が上がる地震予知の有効性。その先に待ち構えるのは東京大震災への恐怖だ。

 政府の「地震予知推進本部」は阪神・淡路大震災後、「予知」の看板を下ろし「地震調査研究推進本部」に変わった。予知は不可能ということを暗に認めた形だ。

 著者は昨年の十勝沖地震前にこの海域での大地震の可能性を「10年以内に10〜20%」と予知していたのが「当たった」とする官僚や御用学者を鋭く批判。

 またマスコミも地震予知については及び腰で、ジャーナリズムとしてのチェック能力を発揮しなかったという。気骨に満ちた告発。

『北海道新聞』書評 2004年3月21日(日曜)朝刊読書面(表紙の写真付き)
研究の無駄 本音で批判(注*)
『公認「地震予知」を疑う』 島村英紀著

 科学者も政治家も、常に正しいことばかり言うわけではない。科学の世界にも政治の世界にもウラもあれば二枚舌もありうる。しかし、さまざまな批判を浴びて見直しがされたものの「地震予知ができる」という甘い言葉に日本社会は気を許しすぎていまいかと、予知研究批判派の論客である地震学者の島村英紀氏が「心配と本音」をぶつけたのが本書だ。

 1960年代から現在まで、氏を含む「地震学者」と「お役人」たちが進めてきた地震予知、活断層研究を具体的な事実を積み重ねて切り捨てる。たとえば、内陸直下の大地震でも、活断層をともなわないものはいくらでもあるし、予測される確率の数値は小さく意味がないと。瞬時に倒壊した住宅の下で約五千人が圧死した阪神・淡路大震災をもたらした兵庫県南部地震に、その確率予測の手法を遡(さかのぼ)って適用しても30年以内に0・4−0・8%(政府発表暫定値は0・4−8%だが)にすぎず、全国の百近い活断層でこの程度の数値が得られても、膨大な調査予算が無駄になりかねないと主張している。

 さらに、来るべき2004年夏に東海地震予知「警戒宣言」が出され、新幹線は運休、学校、銀行窓口、多くの商店は閉まってしまい、社会生活が停止したまま、しかし、東海地震は発生せず、混乱が徐々に広がっていくというフィクションをも駆使し、予知のもくろみが机上の空論に終わる可能性を強調する。

 対処すべき大問題とされるのが、大地震によって通常の震災と原発事故が同時に発生する事態である。東海地震の予想震源域の直上にある中部電力浜岡発電所の緊急性は高いが、原子炉の設計で決められた地震動よりも大きな加速度をもつ地震の波がつぎつぎ観測されている以上、日本中の原子炉が検討対象となる。

 なお、氏と異なり評者は、1978年に大規模地震対策特別措置法ができて、東海地震予知防災体制が誕生したのはまちがいではないと考えている。問題があるにせよ、地元の運動によって法律ができて、基礎的な地震観測だけでなく、地震対策が実現したからだ。それをさらに進めるためにも、本書で語られた「本音」を無駄にしてはもったいない。

(林 衛=元「科学」編集者)

(*島村注):
 書評の著者の林氏は、この書評が出たあとで、見出しについて北海道新聞など各方面に不満を述べておられる。書いた趣旨と180度とまでいえないが,90度以上ちがう、というのが氏の主旨である。常識的には、見出しは書評面(なり文化部)の編集者の専決事項である。もし、この見出しが気に入らないのなら、原稿の段階で、それなりに明快でわかりやすい文章表現をしておくべきであったろう。

 また、林氏の最初の文章「科学者も政治家も、常に正しいことばかり言うわけではない。科学の世界にも政治の世界にもウラもあれば二枚舌もありうる」は意味不明である。私の本には、この表現に相当するような内容はまったく入っていないし、科学の世界には裏も二枚舌も、あるはずがないし、あるべきでもないと私は考えているからである。

 私の本の基本的なテーマは、私が後書きに書いているように「地震学者として地震を予知することによって人命を救い、役立ちたいという、どの地震学者も持っていた「初心」が、どのように国やお役人に「利用」され、各官庁の勢力争いや予算獲得に使われてきたかを、この本で書いてきた。」である 。ついでながら、政治家の二枚舌のことも、この本には一切、書いていない。これでは書評の読者が、本の印象を誤ってしまう。いったい、二枚舌という枕の表現は、どこから出てきたものだろうか。


 雑誌『地理』の2004年5月号で田代博先生から書評で紹介していただきました。なお、田代先生は、私が卒業してから私の母校の地理の先生になられた方です。残念ながら、面識はありません。

また、先生はある地理のフォーラムで、次のようにも書いておられます。

 著者のあとがきに、「この本は、政府がやっている地震対策に対しての辛口の批判である。」とあるように、ある意味では"批判"に徹した本とも言えます。

 ただし、同じくあとがきにある、「地震学者として地震を予知することに よって人命を救い、役立ちたいという、・・・」という思いがひしひしと伝わってくる本でもあります。

 本屋や図書館で見かけましたら、是非"あとがき"だけでも読んでみてくだ さい。名文だと思います。

 さて、地図に関連しては、国土地理院の電子基準点整備のいきさつについて触れられています。

 日米の貿易不均衡"是正"対策の賜だったんですね〜。

 吉田松陰の辞世の句、
 みはたとえ、むさしののべにくちぬとも、とどめおかまし、やまとだましい
 に相通じるものが文面から伝わってきます。


 宮崎日々新聞2007年3月27日・社説に2007年3月25日の能登半島地震に関連して『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)が好意的に引用されました。
このほか、2004年5月6日現在、この本が紹介されたのは、
毎日新聞愛知県版 2004年7月14日 (黒尾透記者。なおjpeg画像(93KB)はこちら
読売新聞朝刊書評面 2004年05月02日号 15ページ。評者は浅羽雅晴氏(読売新聞社編集委員)
雑誌『地理』 2004年5月号
毎日新聞朝刊書評面 2004年04月25日号  書評面 『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)
朝日新聞(愛知県版)朝刊2004年4月14日 28ページ(8段の写真付きインタビュー欄「ずばり聞きます」:「不意打ち」発生対策を。東海地震「前兆すべり」に疑問、予知は困難なのか。久土地亮記者)。なおjpeg画像(151KB)はこちらに。
★西日本新聞朝刊書評面 2004年04月04日号   25ページ。(上に紹介)
★中國新聞朝刊書評面 2004年04月04日号 18ページ。(上に紹介)
★神戸新聞朝刊書評面 2004年04月04日号 13ページ。 (上に紹介)
★河北新報朝刊書評面 2004年04月04日号 13ページ。 (上に紹介)
★京都新聞朝刊書評面 2004年04月04日号 13ページ。 (上に紹介)
★SPA! 2004年04月06日号 138ページ。
★高知新聞朝刊書評面 2004年3月28日号。
★週刊ダイヤモンド 2004年03月27日号 118ページ。
★東京新聞朝刊書評面 2004年03月21日号 10ページ。 (上に紹介)
★北海道新聞朝刊書評面 2004年03月21日号 13ページ。(上に紹介)
★中日新聞朝刊書評面 2004年03月21日号 18ページ。 (上に紹介)
★北海道新聞朝刊 2004年03月02日号 2ページ(5段の写真付きインタビュー欄「ひと2004」:「前兆発見競争を批判。地震予知の限界を指摘する北大教授 島村英紀さん)。
★読売新聞夕刊 2004年03月01日号   5ページ
★このほか、2004年3月から4月にかけて以下の新聞に書評が掲載されました; 福島民友、下野新聞、山梨日日新聞、新潟日報、岐阜新聞、北國新聞、北日本新聞、山陽新聞、山陰中央新報、四国新聞、愛媛新聞、徳島新聞、大分合同新聞、熊本日日新聞、南日本新聞 などです。


日本経済新聞「中外時評」 2004年6月13日号(塩谷喜雄論説委員、「視点」面)が7段を費やして好意的に紹介してくださいました。「危機に沈黙せぬ学問を 翼賛排して時代をチェック」

週刊「新社会」 2004年6月8日号(397号。新社会党機関紙)に書評が掲載されました。

「週刊アスキー」 2004年7月13日号に見開き2頁の紹介「仮想報道--地震は予知できない!?」(歌田明弘氏)が掲載されました。

★このほか、 静岡朝日テレビのホームページ「Chao しずおか」(3月号と4月号に連続)で伊地健治アナに、下記のような好意的な紹介をしてもらいました。

タイトルにひかれて思わず手にした一冊。静岡のメディアで働く以上、東海地震については常に勉強していなくてはいけないのですが、これまでとは違った切り口で、地震への知識を深めることが出来る、非常に興味深い本です。

地震」という殆どメカニズムのわからない過去に予知できた事も無い現象に対して日本の政府や科学者達はこの四半世紀、何をやってきたのか、わかりやすくまとめてある他、難しい地震の情報をどのように読み解けば良いのかがよくわかり、とても参考になりました。

静岡県民には特に読んでいただきたい!

この本の「関連」記事 (共同通信の配信「新潟日報」2004年5月31日(142KBのjpegファイル)静岡新聞2004年6月3日(198KBのjpegファイル。このほか高知新聞、信濃毎日新聞、大分合同新聞、日本海新聞、河北新報(2004年06月7日)などに5-6月に掲載されました)「東海地震予知に不安の声」:早矢士恵美子記者)

この本の「関連」記事 毎日新聞・愛知県版 2004年7月14日「地震予知は科学者の夢でしかない」。なおjpeg画像(93KB)はこちらに。黒尾透記者)

この本の後書き(著者の言い分)
この本に収録した島村英紀が初めて書いたフィクション:その1
この本に収録した島村英紀が初めて書いたフィクション:その2

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