地球科学者と読む宮沢賢治

その1:楢ノ木大学士の野宿

 賢治が描いた地球科学現象のうちでも、もっとも不思議なものに「岩頸」がある。一般の人には馴染みのないものだ。

 左下の写真は私が南極で撮ったものだ。(島村英紀『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』141頁)。また、右下の写真は本には載せていないが、同じ山を横から撮ったものだ。

 これは西南極にアルゼンチンが持つジュバニー南極基地にある岩頸である。海抜は196m。

 三兄弟山という名前が付けられている奇岩である。奇しくも賢治の作品と同じように、スペイン語でも「兄弟」と名付けられている

 これは火山のマグマが固まった”マグマの石碑”だ。火山噴火の最後のステージで、火道(噴火口から下に続いているマグマの通り道)に詰まったマグマが固まったものである。

 山体を作る岩のほうがマグマが固まった玄武岩よりは柔らかいのが普通だから、その後の浸食によって、火道の中にあった「元マグマ」がこのように残ったものだ。英語ではプラグ plug(瓶や風呂桶などの栓)と言われる。日本語では地質学の用語として岩頸(がんけい)と言われる。

 なんとも不思議な形だ。日本人には馴染みがない、と思う人も多いだろう。しかし、 宮沢賢治は『楢ノ木大学士の野宿』のなかで、この三兄弟ならぬ岩頸四兄弟の寓話を書いている。

  賢治の研究家で、「賢治の事務所」というホームページを開設しておられる加倉井厚夫(かくらい あつお)さんから教えていただいたことによれば、 賢治が見ていた岩頸は、盛岡の西南西の郊外の南昌山あたりではないか、という。

賢治の文語詩の『岩頸列』の中には、以下の文章がある。

 西は箱ヶと毒ヶ森、     椀コ、南昌、東根の、
 古き岩頸の一列に、     氷霧あえかのまひるかな。


 賢治は、この南極の岩頸ほど見事な岩頸を見たことはないはずだ。 賢治が岩頸のモデルにしたと言われている南昌山は、この南極の岩頸に比べると、なんともなだらかな釣り鐘のような山にすぎない。ちなみに、賢治はその形から「岩鐘」 とも言っている。

しかし、釣り鐘のようななだらかな形ではない、この南極の岩頸を見ると、いまにも、岩の兄弟が、まるで賢治が描いたように、話しかけてきそうな、あるいは怒鳴り散らしたりしそうな気分に引き込まれる。

 このようなプラグは、南極には限らない。パプアニューギニアのラバウルには、別のプラグがある。私の撮った右の写真をご覧いただきたい。 画面左手、海中から立っている二つのプラグが見える。

  楢ノ木大学士の野宿
(宮沢賢治・『青空文庫』から)

楢《なら》ノ木大学士は宝石学の専門だ。
ある晩大学士の小さな家《うち》へ、
「貝の火|兄弟《けいてい》商会」の、
赤鼻の支配人がやって来た。
「先生、ごく上等の蛋白石《たんぱくせき》の注文があるのですがどうでせう、お探しをねがへませんでせうか。もっともごくごく上等のやつをほしいのです。何せ相手がグリーンランドの途方もない成金ですから、ありふれたものぢゃなかなか承知しないんです。」
大学士は葉巻を横にくはへ、
雲母紙《うんもし》を張った天井を、
斜めに見上げて聴いてゐた。
「たびたびご迷惑で、まことに恐れ入りますが、いかゞなもんでございませう。」
そこで楢ノ木大学士は、
にやっと笑って葉巻をとった。
「うん、探してやらう。蛋白石のいゝのなら、流紋玻璃《りうもんはり》を探せばいゝ。探してやらう。僕は実際、一ぺんさがしに出かけたら、きっともう足が宝石のある所へ向くんだよ。そして宝石のある山へ行くと、奇体に足が動かない。直覚だねえ。いや、それだから、却《かへ》って困ることもあるよ。たとへば僕は一千九百十九年の七月に、アメリカのヂャイアントアーム会社の依嘱を受けて、紅宝玉《ルビー》を探しにビルマへ行ったがね、やっぱりいつか足は紅宝玉《ルビー》の山へ向く。それからちゃんと見附かって、帰らうとしてもなかなか足があがらない。つまり僕と宝石には、一種の不思議な引力が働いてゐる、深く埋《うづ》まった紅宝玉《ルビー》どもの、日光の中へ出たいといふその熱心が、多分は僕の足の神経に感ずるのだらうね。その時も実際困ったよ。山から下りるのに、十一時間もかかったよ。けれどもそれがいまのバララゲの紅宝玉坑《ルビーかう》さ。」
「ははあ、そいつはどうもとんだご災難でございました。しかしいかゞでございませう。こんども多分はそんな工合《ぐあひ》に参りませうか。」
「それはもうきっとさう行くね。たゞその時に、僕が何かの都合のために、たとへばひどく疲れてゐるとか、狼《おほかみ》に追はれてゐるとか、あるいはひどく神経が興奮してゐるとか、そんなやうな事情から、ふっとその引力を感じないといふやうなことはあるかもしれない。しかしとにかく行って来よう。二週間目にはきっと帰るから。」
「それでは何分お願ひいたします。これはまことに軽少ですが、当座の旅費のつもりです。」
貝の火兄弟商会の、
鼻の赤いその支配人は、
ねずみ色の状袋を、
上着の内衣嚢《うちポケット》から出した。
「さうかね。」
大学士は別段気にもとめず、
手を延ばして状袋をさらひ、
自分の衣嚢《かくし》に投げこんだ。
「では何分とも、よろしくお願ひいたします。」
そして「貝の火|兄弟《けいてい》商会」の、
赤鼻の支配人は帰って行った。
次の日諸君のうちの誰《たれ》かは、
きっと上野の停車場で、
途方もない長い外套《ぐゎいたう》を着、
変な灰色の袋のやうな背嚢《はいなう》をしょひ、
七キログラムもありさうな、
素敵な大きなかなづちを、
持った紳士を見ただらう。
それは楢《なら》の木大学士だ。
宝石を探しに出掛けたのだ。
出掛けた為《ため》にたうとう楢ノ木大学士の、
野宿といふことも起ったのだ。
三晩といふもの起ったのだ。

  野宿第一夜

四月二十日の午后四時|頃《ころ》、
例の楢ノ木大学士が
「ふん、此《こ》の川筋があやしいぞ。たしかにこの川筋があやしいぞ」
とひとりぶつぶつ言ひながら、
からだを深く折り曲げて
眼《め》一杯にみひらいて、
足もとの砂利をねめまはしながら、
兎《うさぎ》のやうにひょいひょいと、
葛丸《くずまる》川の西岸の
大きな河原をのぼって行った。
両側はずゐぶん嶮《けは》しい山だ。
大学士はどこまでも溯《のぼ》って行く。
けれどもたうとう日も落ちた。
その両側の山どもは、
一生懸命の大学士などにはお構ひなく
ずんずん黒く暮れて行く。
その上にちょっと顔を出した
遠くの雪の山脈は、
さびしい銀いろに光り、
てのひらの形の黒い雲が、
その上を行ったり来たりする。
それから川岸の細い野原に、
ちょろちょろ赤い野火が這《は》ひ、
鷹《たか》によく似た白い鳥が、
鋭く風を切って翔《か》けた。
楢《なら》ノ木大学士はそんなことには構はない。
まだどこまでも川を溯って行かうとする。
ところがたうとう夜になった。
今はもう河原の石ころも、
赤やら黒やらわからない。
「これはいけない。もう夜だ。寝なくちゃなるまい。今夜はずゐぶん久しぶりで、愉快な露天に寝るんだな。うまいぞうまいぞ。ところで草へ寝ようかな。かれ草でそれはたしかにいゝけれども、寝てゐるうちに、野火にやかれちゃ一言《いちごん》もない。よしよし、この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔らかだ。いゝ寝台《ねだい》だぞ。」
その石は実際柔らかで、
又敷布のやうに白かった。
そのかはり又大学士が、
腕をのばして背嚢《はいなう》をぬぎ、
肱《ひぢ》をまげて外套《ぐゎいたう》のまゝ、
ごろりと横になったときは、
外套のせなかに白い粉が、
まるで一杯についたのだ。
もちろん学士はそれを知らない。
又そんなこと知ったとこで、
あわてて起きあがる性質でもない。
水がその広い河原の、
向ふ岸近くをごうと流れ、
空の桔梗《ききゃう》のうすあかりには、
山どもがのっきのっきと黒く立つ。
大学士は寝たまゝそれを眺《なが》め、
又ひとりごとを言ひ出した。
「ははあ、あいつらは岩頸《がんけい》だな。岩頸だ、岩頸だ。相違ない。」
そこで大学士はいゝ気になって、
仰向けのまゝ手を振って、
岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早く云《い》ふならば、岩頸といふのは、地殻から一寸《ちょっと》頸《くび》を出した太い岩石の棒である。その頸がすなはち一つの山である。えゝ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたといふなら、そいつは蓋《けだ》し簡単だ。えゝ、こゝに一つの火山がある。熔岩《ようがん》を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰へて、その腹の中まで冷えてしまふ。熔岩の棒もかたまってしまふ。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩れる。たうとう削られてへらされて、しまひには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るといふあんばいだ。この棒は大抵頸だけを出して、一つの山になってゐる。それが岩頸だ。ははあ、面白いぞ、つまりそのこれは夢の中のもやだ、もや、もや、もや、もや。そこでそのつまり、鼠《ねずみ》いろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並んで、お互に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしてゐるのは、大変おもしろい。ふふん。」
それは実際その通り、
向ふの黒い四つの峯は、
四人兄弟の岩頸で、
だんだん地面からせり上って来た。
楢《なら》ノ木大学士の喜びやうはひどいもんだ。
「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。よくわかった。ラクシャンの四人兄弟だ。よしよし。」
注文通り岩頸
丁度胸までせり出して
ならんで空に高くそびえた。
一番右は
たしかラクシャン第一子
まっ黒な髪をふり乱し
大きな眼をぎろぎろ空に向け
しきりに口をぱくぱくして
何かどなってゐる様だが
その声は少しも聞えなかった。
右から二番目は
たしかにラクシャンの第二子だ。
長いあごを両手に載せて睡《ねむ》ってゐる。
次はラクシャン第三子
やさしい眼をせはしくまたたき
いちばん左は
ラクシャンの第|四子《しし》、末っ子だ。
夢のやうな黒い瞳《ひとみ》をあげて
じっと東の高原を見た。
楢《なら》ノ木大学士がもっとよく
四人を見ようと起き上ったら
俄《には》かにラクシャン第一子が
雷のやうに怒鳴り出した。
「何をぐづぐづしてるんだ。潰《つぶ》してしまへ。灼《や》いてしまへ。こなごなに砕いてしまへ。早くやれっ。」
楢ノ木大学士はびっくりして
大急ぎで又横になり
いびきまでして寝たふりをし
そっと横目で見つゞけた。
ところが今のどなり声は
大学士に云ったのでもなかったやうだ。
なぜならラクシャン第一子は
やっぱり空へ向いたまゝ
素敵などなりを続けたのだ。
「全体何をぐづぐづしてるんだ。砕いちまへ、砕いちまへ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。火をどしゃどしゃ噴くんだ。熔岩《ようがん》の用意っ。熔岩。早く。畜生。いつまでぐづぐづしてるんだ。熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度をしないか。」
しづかなラクシャン第三子が
兄をなだめて斯《か》う云った。
「兄さん。少しおやすみなさい。こんなしづかな夕方ぢゃありませんか。」
兄は構はず又どなる。
「地球を半分ふきとばしちまへ。石と石とを空でぶっつけ合せてぐらぐらする紫のいなびかりを起せ。まっくろな灰の雲からかみなりを鳴らせ。えい、意気地なしども。降らせろ、降らせろ、きらきらの熔岩で海をうづめろ。海から騰《のぼ》る泡《あわ》で太陽を消せ、生き残りの象から虫けらのはてまで灰を吸はせろ、えい、畜生ども、何をぐづぐづしてるんだ。」
ラクシャンの若い第|四子《しし》が
微笑《わら》って兄をなだめ出す。
「大兄さん、あんまり憤《おこ》らないで下さいよ。イーハトブさんが向ふの空で、又笑ってゐますよ。」
それからこんどは低くつぶやく。
「あんな銀の冠を僕もほしいなあ。」
ラクシャンの狂暴な第一子も
少ししづまって弟を見る。
「まあいゝさ、お前もしっかり支度をして次の噴火にはあのイーハトブの位になれ。十二ヶ月の中の九ヶ月をあの冠で飾れるのだぞ。」
若いラクシャン第四子は
兄のことばは聞きながし
遠い東の
雲を被《かぶ》った高原を
星のあかりに透し見て
なつかしさうに呟《つぶ》やいた。
「今夜はヒームカさんは見えないなあ。あのまっ黒な雲のやつは、ほんたうにいやなやつだなあ、今日で四日もヒームカさんや、ヒームカさんのおっかさんをマントの下にかくしてるんだ。僕一つ噴火をやってあいつを吹き飛ばしてやらうかな。」
ラクシャンの第三子が
少し笑って弟に云ふ。
「大へん怒ってるね。どうかしたのかい。えゝ。あの東の雲のやつかい。あいつは今夜は雨をやってるんだ。ヒームカさんも蛇紋石《じゃもんせき》のきものがずぶぬれだらう。」
「兄さん。ヒームカさんはほんたうに美しいね。兄さん。この前ね、僕、こゝからかたくりの花を投げてあげたんだよ。ヒームカさんのおっかさんへは白いこぶしの花をあげたんだよ。そしたら西風がね、だまって持って行って呉《く》れたよ。」
「さうかい。ハッハ。まあいゝよ。あの雲はあしたの朝はもう霽《は》れてるよ。ヒームカさんがまばゆい新らしい碧《あを》いきものを着てお日さまの出るころは、きっと一番さきにお前にあいさつするぜ。そいつはもうきっとなんだ。」
「だけど兄さん。僕、今度は、何の花をあげたらいゝだらうね。もう僕のとこには何の花もないんだよ。」
「うん、そいつはね、おれの所にね、桜草があるよ、それをお前にやらう。」
「ありがたう、兄さん。」
「やかましい、何をふざけたことを云ってるんだ。」
暴《あら》っぽいラクシャンの第一子が
金粉の怒鳴り声を
夜の空高く吹きあげた。
「ヒームカってなんだ。ヒームカって。
ヒームカって云ふのは、あの向ふの女の子の山だらう。よわむしめ。あんなものとつきあふのはよせと何べんもおれが云ったぢゃないか。ぜんたいおれたちは火から生れたんだぞ青ざめた水の中で生れたやつらとちがふんだぞ。」
ラクシャンの第|四子《しし》は
しょげて首を垂れたが
しづかな直《ぢ》かの兄が
弟のために長兄をなだめた。
「兄さん。ヒームカさんは血統はいゝのですよ。火から生れたのですよ。立派なカンランガンですよ。」
ラクシャンの第一子は
尚更《なほさら》怒って
立派な金粉のどなりを
まるで火のやうにあげた。
「知ってるよ。ヒームカはカンランガンさ。火から生れたさ。それはいゝよ。けれどもそんなら、一体いつ、おれたちのやうにめざましい噴火をやったんだ。あいつは地面まで騰《のぼ》って来る途中で、もう疲れてやめてしまったんだ。今こそ地殻ののろのろのぼりや風や空気のおかげで、おれたちと肩をならべてゐるが、元来おれたちとはまるで生れ付きがちがふんだ。きさまたちには、まだおれたちの仕事がよくわからないのだ。おれたちの仕事はな、地殻の底の底で、とけてとけて、まるでへたへたになった岩漿《がんしゃう》や、上から押しつけられて古綿のやうにちぢまった蒸気やらを取って来て、いざといふ瞬間には大きな黒い山の塊を、まるで粉々に引き裂いて飛び出す。
煙と火とを固めて空に抛《な》げつける。石と石とをぶっつけ合せていなづまを起す。百万の雷を集めて、地面をぐらぐら云はせてやる。丁度、楢《なら》ノ木大学士といふものが、おれのどなりをひょっと聞いて、びっくりして頭をふらふら、ゆすぶったやうにだ。ハッハッハ。
山も海もみんな濃い灰に埋《うづ》まってしまふ。平らな運動場のやうになってしまふ。その熱い灰の上でばかり、おれたちの魂は舞踏していゝ。いゝか。もうみんな大さわぎだ。さて、その煙が納まって空気が奇麗に澄んだときは、こっちはどうだ、いつかまるで空へ届くくらゐ高くなって、まるでそんなこともあったかといふやうな顔をして、銀か白金かの冠ぐらゐをかぶって、きちんとすましてゐるのだぞ。」
ラクシャンの第三子は
しばらく考へて云ふ。
「兄さん、私はどうも、そんなことはきらひです。私はそんな、まはりを熱い灰でうづめて、自分だけ一人高くなるやうなそんなことはしたくありません。水や空気がいつでも地面を平らにしようとしてゐるでせう。そして自分でもいつでも低い方低い方と流れて行くでせう、私はあなたのやり方よりは、却《かへ》ってあの方がほんたうだと思ひます。」
暴《あら》っぽいラクシャン第一子が
このときまるできらきら笑った。
きらきら光って笑ったのだ。
(こんな不思議な笑ひやうを
いままでおれは見たことがない、
愕《おどろ》くべきだ、立派なもんだ。)
楢ノ木学士が考へた。
暴っぽいラクシャンの第一子が
ずゐぶんしばらく光ってから
やっとしづまって斯《か》う云った。
「水と空気かい。あいつらは朝から晩まで、俺《おい》らの耳のそば迄《まで》来て、世界の平和の為に、お前らの傲慢《がうまん》を削るとかなんとか云ひながら、毎日こそこそ、俺らを擦《こす》って耗《へら》して行くが、まるっきりうそさ。何でもおれのきくとこに依《よ》ると、あいつらは海岸のふくふくした黒土や、美しい緑いろの野原に行って知らん顔をして溝《みぞ》を掘るやら、濠《ほり》をこさへるやら、それはどうも実にひどいもんださうだ。話にも何にもならんといふこった。」
ラクシャンの第三子も
つい大声で笑ってしまふ。
「兄さん。なんだか、そんな、こじつけみたいな、あてこすりみたいな、芝居のせりふのやうなものは、一向あなたに似合ひませんよ。」
ところがラクシャン第一子は
案外に怒り出しもしなかった。
きらきら光って大声で
笑って笑って笑ってしまった。
その笑ひ声の洪水は
空を流れて遙《はる》かに遙かに南へ行って
ねぼけた雷のやうにとゞろいた。
「うん、さうだ、もうあまり、おれたちのがらにもない小理窟《こりくつ》は止《よ》さう。おれたちのお父さんにすまない。お父さんは九つの氷河を持っていらしゃったさうだ。そのころは、こゝらは、一面の雪と氷で白熊《しろくま》や雪狐《ゆきぎつね》や、いろいろなけものが居たさうだ。お父さんはおれが生れるときなくなられたのだ。」
俄《には》かにラクシャンの末子《まっし》が叫ぶ。
「火が燃えてゐる。火が燃えてゐる。大兄さん。大兄さん。ごらんなさい。だんだん拡《ひろ》がります。」
ラクシャン第一子がびっくりして叫ぶ。
「熔岩《ようがん》、用意っ。灰をふらせろ、えい、畜生、何だ、野火か。」
その声にラクシャンの第二子が
びっくりして眼をさまし、
その長い顎《あご》をあげて、
眼を釘《くぎ》づけにされたやうに
しばらく野火をみつめてゐる。
「誰《たれ》かやったのか。誰だ、誰だ、今ごろ。なんだ野火か。地面の挨《ほこり》をさらさらさらっと掃除する、てまへなんぞに用はない。」
するとラクシャンの第一子が
ちょっと意地悪さうにわらひ
手をばたばたと振って見せて
「石だ、火だ。熔岩だ。用意っ。ふん。」
と叫ぶ。
ばかなラクシャンの第二子が
すぐ釣り込まれてあわて出し
顔いろをぽっとほてらせながら
「おい兄貴、一|吠《ほ》えしようか。」
と斯《か》う云った。
兄貴はわらふ、
「一吠えってもう何十万年を、きさまはぐうぐう寝てゐたのだ。それでもいくらかまだ力が残ってゐるのか」
無精な弟は只《ただ》一言《ひとこと》
「ない」
と答へた。
そして又長い顎《あご》をうでに載せ、
ぽっかりぽっかり寝てしまふ。
しづかなラクシャン第三子が
ラクシャンの第|四子《しし》に云ふ
「空が大へん軽くなったね、あしたの朝はきっと晴れるよ。」
「えゝ今夜は鷹《たか》が出ませんね」
兄は笑って弟を試す。
「さっきの野火で鷹の子供が焼けたのかな。」
弟は賢く答へた。
「鷹の子供は、もう余程、毛も剛《こは》くなりました。それに仲々強いから、きっと焼けないで遁《に》げたでせう」
兄は心持よく笑ふ。
「そんなら結構だ、さあもう兄さんたちはよくおやすみだ。楢《なら》ノ木大学士と云ふやつもよく睡《ねむ》ってゐる。さっきから僕等の夢を見てゐるんだぜ。」
するとラクシャン第四子が
ずるさうに一寸《ちょっと》笑ってかう云った。
「そんなら僕一つおどかしてやらう。」
兄のラクシャン第三子が
「よせよせいたづらするなよ」
と止めたが
いたづらの弟はそれを聞かずに
光る大きな長い舌を出して
大学士の額をべろりと嘗《な》めた。
大学士はひどくびっくりして
それでも笑ひながら眼をさまし
寒さにがたっと顫《ふる》へたのだ。
いつか空がすっかり晴れて
まるで一面星が瞬き
まっ黒な四つの岩頸《がんけい》が
たゞしくもとの形になり
じっとならんで立ってゐた。

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