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「大学の生き残り」について

私が学生だった1960年代のはじめは、大学進学率は10%ほどだった。つまり日本人10人に一人しか、大学に行かなかった時代であった。しかし、その後、進学率は増え続け(専門学校ができた1976年以降は一時的に下がったが)、2007年の統計では同世代の53%を超える進学率になっている。ちなみに、米国と英国がほぼ5〜6割、フランスやドイツは4割ほどだ。

大学の定員が拡がったままの一方で、日本では少子化が著しい。つまり大学は「過当競争」にさらされているのである。このため、日本人の学生では「足りなく」なって、外国人、なかでも東南アジアの学生を積極的に受け入れる大学も増え、たとえば中国などに毎年教授を派遣して「人集め」をしている大学もある。

そのうえに、景気の低迷。学生が少しでも来やすくするために、学費を下げたり、学生がアルバイトをしやすいように、一時は東京郊外に移って広いキャンパスを謳っていた大学も、「都心回帰」するなど、大学の生き残りは熾烈になっている。


はじめから地方にある大学は、もっと苦しい。たとえば北海道では、大学の閉鎖や縮小も目立つ。

そこまでいかなくても、大学が存立の危機に瀕しているところもある。たとえば東京理科大学は25年前に1年生約300人が全寮制で勉強する長万部(おしゃまんべ)キャンパスを北海道に開設したが、拠点である長万部の人口は約6500人と、30年間で半減してしまった。

この写真は札幌市南区にある東海大学札幌キャンパスで2012年7月に撮った。全国に10ものキャンパスに20もの学部を持つマンモス大学のキャンパスのひとつがこのキャンパスだ。

ここでは2002年度から3年がかりで「ラベンダーキャンパス化計画」をはじめた。北海道の夏には「ラベンダー」がよく知られているが、日本でのラベンダー栽培は札幌市南区南沢で、1942年にフランスから導入した種子を栽培したのが始まりだった。もともとは香料の原料用としての栽培で、花を蒸留して得た精油(エッセンシャルオイル)から香料や香水を作るためだった。日本で鑑賞が主役になったのは近年のことだ。

栽培が開始されたときには、まだ日本のどこにも東海大学はなかったが、この歴史を、同じ南区にあった東海大学(1977年に北海道東海大学として発足した)が利用して、2002年からこの計画を立ち上げたのである。じつは札幌市南区には、ほかにもいくつもの大学や短大がある。しかし、先に手を挙げた東海大学の「勝ち」であった。

ここの東海大学では、学位授与式で、学内で摘み取ったラベンダーをドライフラワーにしたものを小瓶に詰め、卒業記念として卒業生に贈呈している。ラベンダーで観光客は増えるだろうが、さて、これで入学志願者が増えてくれるだろうか。


「大学の生き残りについて:その2」
「大学の生き残りについて:その3」

「大学の生き残りについて:その4」


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