今月の写真
南極では、この美しい自然の陰で各国の激しい「綱引き」が行われているのです

 南極条約によって、どの国の南極の領有権も凍結され、資源調査も経済利用も出来ないことになっている。しかし領有権は放棄されたわけではない。

 いまの「科学者だけの南極」を変えるのは、各国の利害や思惑が絡んでいるから難しい。各国が表向きは静観を決め込んでいる所以である。しかし、いまの状態が永久に続くとは限らない。情勢はむしろ次第にナマ臭さを増して来ているのである。

 じつは英国とアルゼンチンが衝突した1982年のフォークランド戦争も、南極をめぐる葛藤のひとつであった。

 2013年から、英国系の住民による島の帰属投票や、それに対するアルゼンチンの強硬な反発やらで、ふたたび生臭さを増している。

 南極条約が定める南極とは南緯六〇度より南と定められているのだが、その範囲のすぐ外にあって、公然と「領土」に出来る島の価値は、領土権が凍結されている南極そのものに優るとも劣らないからである。

 つまりかつてのフォークランド戦争とは、南極に重複する領土宣言をした二つの国同士が、南極への足掛りを求めて争った激しい綱引きだったのである。

南極条約が適用されない「南極」の島という地の利を争ったのが戦争の理由で、人口わずか1800、寒くて小さな島そのものの価値を争ったわけではない。

 私がボートでエスペランザ基地に上陸したときのことであった。上陸した私に最初に握手を求めて来たのは小学生の男の子だった。彼は南極基地隊長の息子で、つまりここには学校があるのである。小学校とはいっても、世界最小の小学校であろう。つまり隊長夫人が教諭の資格を持って息子を教えている「寺子屋」なのだ。

 アルゼンチンにとって、ここは大事な南極基地だ。なぜなら南極の「領土化」の最前線だからである。一九七〇年代に世界最初の南極ベビーが生まれ、その後小学校も作られた。ほとんどは単身赴任の隊員だが、そのほかに三家族が暮らす。それゆえ教会も、公民館もある。ここはアルゼンチンが南極に居住して生活する実績を世界に見せつけるための立派な「村」なのである。

 基地にはまた、探検時代の橇や昔の雪上車が復元して展示してある。説明の立て札も立っている。

 この基地の第一の目的は科学観測である。しかしこの展示。観光標識。そう、ここはアルゼンチンの南極領土の対外的なショーウインドーでもあるのだ。私たちのように外国基地の隊員もよく来る。そして、一般の観光客さえ、最近は来るようになった。アルゼンチンにとっては、アルゼンチンの領土たる南極を見せつける大事な機会なのだ。科学者は同時に、ショーウィンドウの店員でもあるのだ。

 他の国は、もちろん領土化を認めてはいない。しかしアルゼンチンは、そしてチリも同じように、こうして「実績」を積み重ねているつもりなのである。アルゼンチンやチリに対する罰則もないことは両国は百も承知なのである。

(この文章は2013年7月末に刊行予定の島村英紀『人はなぜ御用学者になるのか--地震と原発』から)

(上の写真は、西南極・キングジョージ島のアークトウスキー氷河。この美しい自然が保たれてきているのは、どの国も領土に出来ず、南極が科学者だけの聖域になっている歴史があったからである。撮影機材はOlympus OM4、フィルムはコダクロームKR(ISO6
4)。下の写真はアルゼンチン国内で売られているアルゼンチンの地図。南極もフォークランド諸島(アルゼンチンではマルピナス諸島という)も領土として明示されている)


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