今月の写真
「大学の生き残り」について・その4 「学生新聞がスポーツ新聞だけになってしまった日」

先日、東京都千代田区お茶の水にある私立大学を訪ねた。私の学生時代にはたしか4階建てだったが、いまはいくつもの高層ビルになっている明治大学である。そこの玄関に置いてある新聞はこれだった。『明大スポーツ』。その名の通り、スポーツ新聞である。商業スポーツ紙と見まごうばかりの立派な総カラー4頁、フルサイズの新聞だ。

明治大学の学生が作っている新聞は、この『明大スポーツ』だけになってしまった。2011年のことだ。以後、大学が公認する唯一の新聞部になっている。もともとは1953年に発行が始まった前身の『駿台スポーツ』で、現存する大学のスポーツ新聞ではいちばん古いものだったが、大学が公認する(註)唯一の新聞部になってからはスポーツだけではなく、「明治大学の今を報道し提言していく」ことを謳っている。しかし、見られるように1面のすべてはスポーツだし、4つの面ともすべてスポーツの話題で占められている。

明治大学は卒業生として人権派弁護士・布施辰治(1880 - 1953)
や元首相・三木武夫(1907 - 1988)を生んだ大学でもある。学生新聞がスポーツ新聞だけになってしまったことを墓の下で嘆いていることだろう。

振り返ってみれば、大学の新聞部の凋落が始まってからは長い。北海道大学のように元々の学生新聞が衰退して、宗教団体系の学生新聞に取って代わられたところも多い。そして、それらも消滅してしまった。

そもそも、学生が新聞を読まなくなってから久しい。一般紙を購読している学生もほとんどいない。まして社会での大学の意義を問う「硬派で昔風の」大学新聞が衰退するのも時代なのだろう。学生にとって大学とは、少しでも良い就職をするための通過過程にしかすぎないのである。

この『明大スポーツ』の学生部員の「心得」も「挨拶励行、時間厳守、積極的行動、行動敏速」である。体育系系学生(スポーツ系学生)のほうが就職に有利だというのを新聞部員も先取りしているのだ。生き残りを図っている大学も「スポーツ紙の顔をした学生新聞」を唯一公認、支援しているのも、こういった事情からなのである。

かつて私が在籍した東大新聞はほかの学生新聞とはちがって財団法人の新聞社で、学生である私たちも給料をもらっていたが、外から見た分類から言えば、他の大学にあるのと同じ学生新聞のひとつであった。その東大新聞は珍しくいまだに続いているが、記事の内容は批判精神が希薄な大学の広報紙になってしまっている。

ところで、 この1面の左下に「接骨院」と「整骨院」の広告があるのは笑った。やはり大学のスポーツ紙である。

註)とはいっても、「大学が公認する」といってもあてにならない、という反論もあります。

いままで三回、「大学の生き残りについて」の「今月の写真」で現在の大学のかかえる問題について書いた。一回目は、少子化で「過当競争」にさらされている大学がラベンダー畑を作って「客」集めを図っていることだった。札幌市のはずれにある東海大学である。二回目は札幌駅前のビルにある「郊外の大学が持つ「都心」のサテライトオフィス」についてだった。三回目は山手線内(都内)に残ったおかげで偏差値が上がった大学のそれなりの悩みを書いた。

「大学の生き残りについて:その1」
「大学の生き残りについて:その2」
「大学の生き残りについて:その3」


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