今月の写真
雲の中に入ってしまうような超高層ビルは”未経験”の地震の危険にさらされていることが最近分かったのです


東京をはじめ、日本中に超高層ビルが増えている。10万人以上の死者行方不明者を生んでしまった関東大震災(1923年)以来、ビルの高さを百尺(31メートル)に制限してきた建築制限が1963年に撤廃されてからである。規制緩和後、最初に建ったのが、東京・霞ヶ関にある霞ヶ関ビルだった。

写真の新宿では、高さを競うように、次々に高層ビルが建ち並んでいる。天気の悪い日は、写真のように上層部は雲の中に入ってしまう。

新潟県中越地震(2004年、マグニチュード6.8)のとき、東京の都心にある54階建ての高層ビルでは、約70基あるエレベーターのうち、6基が機器が損傷したりワイヤが絡まったりして停止し、うち2基で乗客が一時閉じこめられた。東京の震度は大したことはなく、タクシーも地下鉄も、なにも知らないまま走り続けていたのに、超高層ビルだけに被害が出たのであった。

調べたら、エレベーターのひとつで、8本ある主ワイヤーの1本が切れていた。これは直径1センチもある太い鋼鉄製のワイヤーだった。

岐阜大学の教授だった村松郁栄さんは、すでに1984年に、新宿の高層ビルの屋上と地下で、右の図のような記録を地震計で観測していた。

これらは、ともに1984年の長野県西部地震(マグニチュード6.8)のときのものだ。なお、ビルの所有者は地震計を置くのを嫌がり、地震計の設置は漸く頼み込んだものの、論文にはビルの名前は出さない約束だった、と村松さんは言っている。

図に見られるように、最上階(実線)と地階(点線)では、揺れの振幅が驚くほどちがう。最上階では、地階の20倍以上も揺れているのである。

この地震のときの東京の震度は3だった。この程度では、なんの被害もないのが普通で、交通機関も普通に走っていたが、新宿の超高層ビル群の多くで、エレベーターの「管制ケーブル」というものが切れてしまった。また、震度3という小さい震度ゆえ、大きな地震のときにエレベーターを緊急停止するための震度計(地震計)も働かなかった。二重にずいことが起きていたのであった。

図の中の数字は、震幅をmmで表している。つまり、地下ではせいぜい2cmしか揺れなかったのに、最上階では15cmを超える揺れが記録された。

図は、初動から41秒後から61秒後までの、同じ地震計で記録した地震記象である、つまり、地震後2分経っても、震幅は全然おさまらなかったのであった。

この地震より前、秋田沖で起きた日本海中部地震(1983年、マグニチュード7.7)のときにも、新宿の超高層ビルのエレベーターの管制ケーブルが揺れて、カウンターウェイトと衝突して切断された。このときは、東京の震度は0、つまり身体には感じないほどの小さな揺れだった。

じつは、震源から離れたところまで、地震学的には「実体波よりも、ずっと減衰しないで伝わってくる」大振幅の長周期表面波がある

これが関東平野、濃尾平野、大阪平野のような平野部に入ると、振幅が何倍も大きくなるばかりか、振動継続時間も数分と、長くなることが分かったのは、ほんのここ数年のことだ。

しかも上の例のような遠くの、それほど大きくない地震ではなくて、マグニチュード8クラスの巨大地震から発生した長周期表面波が、近代的な建築物を襲った例は世界中どこにもない。

もし恐れられている東海地震(または南海トラフ地震)が起きたときには、高層ビルの上部は振幅5メートルもの揺れになる、と考えている科学者もいる。

超高層ビルや、巨大な石油タンクや、長大な橋、新幹線の土木構造物など、振動の固有周期が長い建造物が、 長周期表面波の洗礼を受けたことがないばかりではなくて、設計のときにもどのくらいの地震波が来るか知らないまま、ゼネコンや工学者たちが設計しているのは、地震学者として、とても心配なことなのである。

(上下とも2009年11月。新宿の高層ビル街の、ほぼ同じ場所で。撮影機材は Ricoh Caplio R1。上の写真はレンズは28mm相当、ISO (ASA) 100、F3.3、1/290s、下の写真はレンズは28mm相当、ISO (ASA) 100、F5.4、1/760s


 

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