巻頭言『極地』、76号(39巻1号、2003年3月1日発行)

世界の南極研究、日本の南極研究

 昨年末に、共同研究の打ち合わせのためにアルゼンチン国立南極研究所を訪れた。

 アルゼンチンは世界有数の南極観測大国だ。同国のオルカダス基地で継続的な南極観測が始まったのは1904年だから、南極観測の歴史は百年に近い。いまは6つの越冬基地を持ち、多くの先駆的な研究が行われてきた。

 研究所はブエノスアイレスを南北に横断する市内随一の大通りに面している。しかし研究所の看板は見なれない石板に替わっていた。以前には磨いた真鍮の看板が光っていた。

 一昨年以来のアルゼンチンの経済崩壊のあおりで、看板を暴徒に奪われたのだ。研究所だけではない。市内の他のビルでも、ドアの真鍮の取っ手や金属製の看板など、金目のものが手当たり次第に略奪された。

 欧州よりも美しいと言われた西欧風の豪壮な石造りの町並みのなかで、銀行の壁は、銀行や政府の政策を非難するすさまじい怒りの落書きで埋まっている。ある日突然、預金が下ろせなくなってしまったからである。

 昨年7月に中国の上海で開かれたSCAR(南極科学委員会=南極の科学を国際的に討議する唯一の世界的な委員会)/COMNAP(南極観測実施責任者評議会)合同定期総会では、この南極大国アルゼンチンから誰も現れず、参加者をやきもきさせた。

  ようやく二週目になって、私の知己であるペドロ・スクヴァルカ氏(氷河学者)が現れた。たった一人の参加だった。南極大国がSCARに一人の代表さえ送れないのは国の恥だ、と政府と直談判を重ねて、ようやく旅費を得た。その1時間半後にブエノスアイレス空港を飛び立つ、という慌ただしい旅立ちだった。

 こんな環境でも、アルゼンチンの南極観測は続けられている。しかし観測の台所は火の車だ。たとえば地球物理学部門には、現場に持っていけるノートパソコンがたった一台しかない。観測に使う機械は一台として買えない。観測中の機械が故障でもしたら観測は打ち切りになってしまう。外国と共同研究を組んで外国が持ってきてくれる観測機械に頼るのが、観測を拡大する唯一の方法なのである。

 アルゼンチンや英国など、南極の一部を自国の領土として宣言している国は多い。しかしどの領土も南極条約によって凍結されている。つまり南極は科学者だけの聖域として保護されている。

 しかし将来、もし凍結か解除されたときに備える国策から、南極観測に参入する国があとを絶たない。ペルーはこのSCAR総会で32番目の国として加盟を果たしたし、ルーマニアも加盟を目論んでいる。中国、韓国、オランダも比較的近年に参入した。

 SCAR会議では分担金が払えない国の一覧表が配られた。エストニア、ウクライナ、ウルグアイはこの数年来の未払い国である。その他チリ、中国、ロシアも払えなかった年がある。いずれも南極に越冬基地を持っている国だ。

  ポーランドは分担金こそ払っているが、アルツトウスキー越冬基地の観測を大幅に縮小した。私がかつてポーランドやアルゼンチンと共同で南極初の海底地震観測をした砕氷船『ネプチュニアも売却してしまった。つまり、かろうじて南極観測を維持している国は多いのである。

 一方で、南極の科学、たとえば地球環境のバロメーターとしての重要性は増えこそすれ、減ることはない。つまり、真の学際的な科学、そして世界でも唯一の科学者だけの聖域として、国際的な科学を推進していくことが、ますます重要になっているのである。

 ところで日本はSCARの分担金は払い続けているし、昭和基地を中心にする南極観測も順調に進められている。日本の南極観測は、輸送費用などを入れた総費用としては結構な額になっている。年額60億円ほどと、巨大科学なみの予算規模になっている。このほとんどは、昭和基地での観測にあてられている。

 もちろん、ここまで来るためには、多くの先人の努力や、着実な観測の積み重ねがあった。大きな成果が上がっていることもよく知られている。

 しかし南極観測の維持に四苦八苦している他の国を見たときに、そして、極地の科学がより一層の重大性を帯びてきているときに、日本の、そしてとくに若手の研究者は、恵まれすぎた環境に安住している気味はないだろうか。

 新しい観測のために、無理をしてでも研究費を獲得して果敢に挑戦するというハングリー精神、そして前人未踏の研究を自ら開拓していく、わくわくするような興奮が、幾分でも失われてしまったのではないだろうか。昭和基地を中心にした予算の枠の中だけで、予算相応の観測を消化するということだけが日本の南極観測になっているのではないだろうか。

 一方で、日本極地研究振興会の助成金が日本の極地研究に果たしてきた役割は大きいが、最近は、研究会はともかく、極地で観測する研究費用の申請が昔ほど多くはないと聞く。

 科学には裾野が必要である。私が学生だった35-40年ほど前には、南極に行きたいために地球物理学を選んだという学生が毎年のようにいた。

  しかし、いまこういった学生は少ない。若い人たちをも興奮に巻き込むような科学をどう切り開くのか、総合科学、国際的な科学としての南極全体の科学を日本が牽引して拡大していくことが出来るのか、日本の将来が問われているのだと思う。 

島村英紀が書いたSCARの歴史と課題
島村英紀「日本の極地観測の課題」へ
島村英紀『私の視点』(朝日新聞)「南極観測50年」へ
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
誰も書かなかった北海道大学ウオッチへ
サイトマップ風・雑文・エッセイのテーマ別索引
雑文・エッセイ:「ほんわか系」から「シリアス系」の順に並べた索引



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送