【2011年3月12日に追記1。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】
 じつはこの文章(この頁の下にある共同通信配信、2003年10月」
に載せた文章)の発表後、2004年の紀伊半島南東沖地震(地震断層の動きは横ずれだったので、津波はなかった)では、警報を聞いた7割の住民が避難しなかった。「オオカミ少年」になってしまって、人々が津波警報を聞いても直ちに行動を起こすことが、その後も少なくなってきていた。今回、このことが津波被害をひろげてしまったのではないことを祈っている

 この頁の下にある共同通信配信、2003年10月」に書いたように、直近の津波警報では、警報を知った7割〜8割の人が避難をしていなかった

 地震を感じてから最初の津波が襲ってくるまで、今回のように太平洋沖合の地震だと、少なくとも15分〜30分以上はある。 地震の直接の揺れによる被害は防げなくても、その後に襲ってくる津波の人命の被害は、適切な行動があれば、避けられる場合が大きいのである。

 今回も岩手県釜石市でのテレビ映像を見ると、津波避難用の高台に人々が避難をしたあと町を大津波が襲ったが、高台の人々は助かったことがわかる。この動画は避難した人が撮影したものだ。


【追記2】 2011年3月12日。東日本をおそった;巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で、ある有名ブログが持ち上げてくださいました。


【追記3】 島村英紀の関連メモ「地震の名前」


2011年3月18日に追記4】 2011年3月の津波でハワイは・・
 またまハワイを訪れていて、現地で 「津波避難生活」をさせられてきた知人がいます。
 それによると、ハワイの人たちは津波避難に慣れているらしく、海岸にホテルにいる観光客や商店街のスタッフは、次々にやってくる大型のバスで、高台にあるショッピングモールに運ばれ、そこの広場で数時間の避難生活をさせられたそうです。そのやり方はじつにスムーズだったと話していました。

 1896年、明治三陸津波地震(22000人死亡)の津波は、ハワイで2〜9メートルにも達したほか、1960年のチリ地震でもハワイでは大きな津波に襲われました。太平洋の両岸からの津波で「津波慣れ」しているのでしょう。


2011年3月20日に追記5】 2011年3月16日付の『日刊ゲンダイ』にコメントが載りました。


2011年3月22日に追記6】 NHKのラジオニュースによれば、今回2011年3月の地震後に気象庁が出した最大規模の警報「大津波警報」が出ていた高知県では、避難した人は、避難対象者の5.9%にしかすぎなかったということでした。17人のうち16人までが、津波警報を無視したことになります。


2011年3月22日に追記7】 中日新聞ウェブ・社説(2011年3月19日)によれば、今回の被災地、大船渡市の海岸部でも昨年二月、チリ大地震で大津波警報(最大の津波警報)が出た時に、住民で避難したのは15%弱にとどまっていたという。


【2011年3月23日に追記8】 2011年3月23日。東日本をおそった;巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で、またも、ある有名ブログが持ち上げてくださいました。「地震は人を殺さない、人間が作った物が人を殺すのだ。」という私の言葉を引用してくださっています。


2011年3月25日に追記9】 読売新聞ウェブ(2011年3月25日) 「和歌山の津波避難わずか3%弱、釣りやめぬ例も」

 東日本巨大地震で、和歌山県内の避難指示の出た地域で、避難所などへの避難を自治体が確認できたのは対象人数の2・83%にとどまっていたことが、各市町のまとめでわかった。

 2010年2月のチリ沖地震の際の0・8%よりは改善したものの、約4600人に避難指示が出されながら避難所に6人しか来なかった町も。過去に例のない大津波警報が発令され、東北地方などでの大きな被害が伝えられたにもかかわらず避難は十分に行われておらず、住民の津波に対する防災意識の低さが浮き彫りとなった。(以下略)


2011年3月29日に追記10】 最初に出した津波警報は小さすぎて、あとから修正したが、これが人々の油断を誘ったのでは? 

今回の大地震では地震断層が破壊していった時間は全部で約150秒と長かった。他方、気象庁緊急地震速報でははじめの数十秒間のデータだけを使ってデータ処理をしているので、今回のような地震では、マグニチュードや震度を正しく予測して表示することができなかった。

じつはこのことは、地震直後に出した津波警報(大津波注意報)が「小さく予報しすぎた」ことにつながった。最初の警報発表は14時49分だったから、気象庁は地震後3分で出したことになる。この意味では十分に早かった。しかしそのときの警報は「岩手県と福島県の沿岸は「3メートル以上」だった。その後、15時14分になって、「10メートル以上」と変更になった。この時間は地震後30分近く経っていて、津波が海岸にすでに到達してしまった時間である。【下の追記12を参照】

最初に警報した津波の高さは低すぎたのであった。津波警報がオオカミ少年になっていたこともあって、「3メートル以上」という津波警報を聞いた人たちに油断がなかったとはいえなかったのではないだろうか。【下の追記14を参照】

つまり、緊急地震速報のデータ処理過程で求めた数値では、この種の大地震の姿をとらえられていなかったのである。このマグニチュード7.9は「緊急会話検測による値(速報値)」というもので、いくつかの地点で、その時刻までに観測された地震計の最大振幅から求めたものだ。

しかし、今回のような 巨大な地震では、地震断層の破壊が広い領域に進んでいくのに、かなりの時間(今回は150秒程度)を要するから、このような緊急地震速報によるマグニチュード決め方に使っている、地震計新記録の最初だけの、つまり短い時間の地震波形は、破壊の全体がつかめなかった。こうして速報値のマグニチュードは精度が劣るものになり、その結果、最初の津波警報が小さめのものになってしまったのである。(今回の地震のマグニチュードが段階的に引き上げられていった経緯と疑問は別頁にある)


2011年4月5日に追記11】 読売新聞ウェブ(2011年4月5日) 「津波対策見直し、静岡の自治体で相次ぐ」

(前略)
焼津市は、3月11日に地震が発生した直後に大津波警報が県内沿岸部に発令されたのを受けて、沿岸部の27地区に住む1万5000世帯、約4万5000人を対象に避難勧告を出した。しかし、市によると、実際に避難したのは最大で約2700人、全体の約6%にとどまった。実際、市内のある自主防災組織の男性は翌12日、読売新聞の取材に対し「避難勧告の段階で住民に避難してもらうのは難しい。避難指示ではないため、避難所に来ても自らの判断で帰宅する住民がいても、引き留めることはできない」と悩ましげに語った。
(以下略)


2011年4月16日に追記12】 上の【追記10】のように、最初の津波警報が小さすぎたために、被害が拡大したのでは、という記事が出ました。

●<東日本大震災>津波間一髪、防潮堤を過信 岩手の一家 (毎日新聞 4月16日(土)2時32分配信)


 
3メートルなら大丈夫−−。過去に何度も津波を経験してきた岩手県沿岸部は各地で高い防潮堤を整備するなど対策を進めてきた。地震発生直後に気象庁がこの地域に出した大津波警報は高さ3メートル。「高台に避難しなくても安全だ」と考えた、という証言が相次いでいる。

【防潮堤破られた】津波警報に限界 住民「堤防越えぬはず」


 岩手県大船渡市の南端に位置する碁石海岸で食堂「碁石観光ハイツ」を経営する、大船渡市末崎町西舘地区の村上有基さん(36)は地震発生時、母恵子さん(63)と食堂で休憩中だった。食堂の被害はなかったが、約2キロ離れた自宅に残した足の不自由な祖父の三郎さん(96)が心配になった。

 午後2時50分、乗用車に乗り込み、自宅に向かう途中カーラジオをつけると「大津波警報が発令され、宮城県沿岸には6メートル、岩手県沿岸には3メートルの津波が来る」と聞いた。自宅から300メートルほど離れた、泊里(とまり)漁港には高さ約5メートルのコンクリートの防潮堤がある。「3メートルなら防潮堤を越えることはない」と思ったという。食堂に引き返して、恵子さんを車に乗せ、午後2時55分ごろ、再び自宅に向かった。

 午後3時、自宅に到着。父征一さん(66)も戻っていた。台所の食器が何枚か割れていた。同様にカーラジオで「3メートル」と聞いていた征一さんが「津波はここまで来ることはないだろう」と言い、家族は室内の片付けを始めた。1960年のチリ地震津波など過去の津波で自宅は浸水せず、全員が「家にいることが避難になる」と思ったという。

 午後3時15分ごろ、恵子さんが、台所から自宅の少し下にある納屋の屋根が流されているのに気付いた。「津波だ」と叫んだ。村上さんは靴を取ろうと、玄関に向かった。ゴーゴーという音を立てて泥水が流れ込み、水はすぐにひざの高さまで。居間に戻ろうとしたが水圧が強く、動けない。何とか近くの階段にたどり着き、2階にはい上がった。水かさが増す。「3人はもう助からない」と思った。

 濁流は1階の天井近くまで達し、居間にいた3人はあっという間に水にのまれ、浮いてきたソファに夢中でしがみついた。天井と水面の50センチほどの隙間(すきま)に必死に顔を出した。水が引くまでの約10分間、恵子さんは「もうだめだと何度も思った」と振り返る。午後3時半。4人は間一髪で難を逃れたが、向かいの家は倒壊し、地区では3人が死亡、3人が行方不明になった。

 家族と避難生活を送る村上さんは、大津波にのまれる夢を見るようになった。「3メートルと聞き、被害は湾内の漁業施設ぐらいと思った。甘かった。初めから高台に避難すべきだった」。恐怖で目を覚ます度、そう悔やむという。【宮崎隆】

 ◇「数字たいしたことないと…」

 最初に「到達」と伝えられた波の大きさ、避難場所の海抜、防潮堤の高さから「安全」と判断した人もいた。

 同じ西舘地区に住む、無職、及川宗男さん(60)はマイカーに備え付けたテレビで「沿岸部に20センチの津波が到達」と聞いた。安心して海から約600メートル離れ海抜15メートルほどの坂の上に車を止めた。ところが、家々が津波に流されている。あっという間に濁流が目の前に迫った。かろうじて車から脱出し高台に逃げた。「数字を聞いてたいしたことがないと思った。過信していた」と及川さんは振り返る。

 岩手県陸前高田市の気仙小学校に避難した25歳の女性は「小学校は海抜10メートルぐらいで、ここに逃げればさすがに大丈夫だろうと思った」と話す。午後3時15分ごろに防災無線を通じて「6メートル」という数字を聞いた。「小学校まで来るとは思いもしなかった」。ところが津波はグラウンドの避難者を襲い次々にのみこんでいった。この女性は裏山を駆け上がり助かった。

 岩手県宮古市田老地区の70歳の男性は「防災無線で3メートルと聞き、大丈夫と思った。しかし『逃げろ』と叫ぶ声を聞き、一応避難することにした。今思えば危なかった」と話す。【宮崎隆、山口知、伊澤拓也】


2011年7月27日に追記13】 そして7月になってから「調査して、わかった」そうです。すでに、『日刊ゲンダイ』が2011年5月28日に報じた問題で、あまりにも遅すぎますよね。

●避難者の7割近く、津波警報の更新知らず (7月27日(水)19時29分 読売新聞ウェブ)

 東日本大震災の際に、気象庁が津波警報で発表した「予想される津波の高さ」について、岩手、宮城両県の避難者の7割近くが、最初の予測しか見聞きせず、その後、「高さ10メートル以上」に引き上げられたのを知らなかったことが、内閣府などの調査で27日、わかった。

 調査は今月、避難所や仮設住宅の住民(岩手391人、宮城385人)を対象に行った。地震発生3分後に出された最初の津波警報では、津波の高さを「岩手3メートル」「宮城6メートル」と予想したが、その後、いずれも「10メートル以上」に引き上げた。

 しかし、調査の結果、岩手で63%、宮城で74%の人が、更新された情報を知らなかったと回答した。「予測の高さなら、避難しなくても大丈夫」と判断した人が、岩手で10%、宮城でも3%いた。


2011年7月27日に追記14】 上の【追記10】のように、最初の津波警報が小さすぎたために、被害が拡大したのでは、という反省から、気象庁はようやく改善を試みることになりました。

●津波、まず最大予測発表…東海などM8想定地震(2011年7月27日16時56分 読売新聞ウェブ)

マグニチュード(M)8以上が予想される東海、東南海、南海の三つの巨大地震に伴う津波について、気象庁は、発生直後から想定される最大規模の津波警報を出す方針を固めた。

警報の第1報の津波の高さが、実際より低かった東日本大震災の教訓を踏まえたもので、気象庁は、数字などの発表の仕方などは今後検討する。

津波警報は、地震の規模や震源の位置から津波の高さと到達時刻を予測し、発生後3分をめどに発表される。しかし、現行の体制ではM8以上の地震になると、正確な規模を測定し、3分以内に警報を出すのは厳しいのが現状。M9の東日本大震災でも、発生3分後に津波警報が出されたが、規模をM7・9と推定し計算したため、津波の高さも実際は10メートルを超えたのに「宮城6メートル」「岩手、福島3メートル」と低く発表された。


2011年7月29日に追記15】 しかし、「被害が拡大したのでは、という反省から、気象庁は改善を試みる」とはいっても、技術的な裏付けは足りず、ますます「オオカミ少年」になる可能性が高いのです。

気象庁の上層部には、東日本大震災以後も、「オオカミ少年」に対する反省が、まったくない。 現場で作業にあたる津波予報官に、「過大予測は構わないが、過小予測はするな」との精神的圧力をかけているという。

予報より小さな津波しか来なかったら、「当局の責任」は逃れられるかもしれないが、私がかねてから主張してきたように、このオオカミ少年は、津波警報に対する一般の人の信頼性を損ない続けてきていて、このために東日本大震災での津波犠牲者が多数に上ってしまった可能性は高い。


そもそも、気象庁は、スマトラ沖地震(2004年)のときのインド洋大津波のような巨大地震・津波に対する予測の技術開発を怠ってきたツケがまわってきているのである。

今回、気象庁が検討している「改良」は、気象庁によれば
1: 津波警報の第1報は3分以内に発表する。
2:マグニチュード8前後までの地震(たとえば2003年十勝沖地震)に対する津波予測は、精度の面でも問題なかったので、津波予測にはこれまで通り「気象庁マグニチュード」を使用する。
3:「気象庁マグニチュード」が飽和し、過小予測になっていると思われるときは、想定される最大地震が発生したとして、津波予測を行う。想定最大地震より小さい地震であることが判明した段階で津波警報のレベルを下げる。
というものだ。

しかし、1の「3分以内に津波警報を発表する」ことは、元来は気象庁が予算を獲得するために唱えた”お題目”であり、技術的な裏付けはない。

また、2にも明確な科学的な裏付けがない。気象庁が例に挙げているのは、日本海中部地震(1983年)、北海道南西沖地震(1993年)と十勝沖地震(2003年)の3つだが、日本海中部地震と北海道南西沖地震は、「3分以内に津波警報を発表する」方針が決まる前の地震で(津波警報が間に合わなくて、それぞれ100人以上、200人以上の犠牲者を生んでしまった)、3分以内に適切な気象庁マグニチュードが求まった例ではない。

たとえば、その後も、2005年宮城県沖地震(気象庁マグニチュード7.2)では、第1報はマグニチュード6.5であった。つまり、かなり過小な値を出していた。つまり技術的には、現在でも「「3分以内に適切な気象庁マグニチュードを出せる」根拠があるわけではないのである。

3についても問題が大きい。第1報を発表する段階で「気象庁マグニチュードが飽和しているかどうか」を判定する確実な方法は、いまのところないからだ。

このほか、地震計の振り切れや大地震による通信の障害に対する備えは大きな問題だが、気象庁の方針では「振り切れないような地震計を設置する」と簡単に片付けられていて、こういった、重大な障害発生に対する備えがない。将来、まずいことが起きてしまったら「想定外」ですませるつもりなのであろうか。


2011年12月29日に追記16】 もうひとつ、気象庁が津波についての「安全情報」を流してしまったために、犠牲者を増やしてしまった可能性が高いことがあります。それは地震の直後に発表した「津波の実況」でした。

地震発生は14時46分だった。約3分後に気象庁は、岩手、宮城、福島に大津波警報を発令した。それは、宮城で6メートル、岩手・福島で3メートルという津波の予測だった。これが実際より小さすぎた、という問題点は別項に書いた。

しかし、もうひとつの問題があった。それは、気象庁が14時59分、大船渡で20pの津波を初めて観測したと速報したことだった。続いて、何カ所かの津波の高さが発表された。

この気象庁の発表を、メディアは、そのまま、15時3分から、鮎川50cm、大船渡・釜石20cmと伝え続けた。「ああ、やっぱり津波は来ないのだな」、警報通りの津波がこない経験を何度も繰り返してきた多くの人たちは、一瞬、安堵の念を抱いたと伝えられている。「また、気象庁が津波予報を外した」と思った人もいたという。(私のところにも「”やっぱり、予報で3メートル、6メートルとか出て
も実際にはそんなに大きな津波は来ないんだなぁ”とホッとしてしまったので」という、ホームページの読者からのメールが来ている)。

この気象庁の発表は津波の第一波の大きさで、海岸にある検潮儀という機械で実際に記録した「観測値」である。津波によっては、この第一波が最大のことがある。たとえば、1982年に起きた浦河沖地震(マグニチュード7.1)では、そうだった。最大の津波が、しかも押し波として到着したのだ。

しかし、後続の波のほうがずっと大きいことはよくあることだ。今回も、実際には数メートル、ところによっては10メートルを超える津波が襲ってきている。

外洋から襲ってくる津波は海岸付近で反射や共振をするので、震源近くの海面では一つの山でも、海岸には何度も大波がくるのが普通だ。

東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)では、海岸で観測した津波は小さな引き波で始まったのだが、その後に小さな押し波があったあと、小さな波が2〜5波続き、その後に巨大な押し波が到着したのだった。

東北地方太平洋沖地震の場合は、海岸付近は沈降したのだが、近海ではもっと沈降したという複雑な地殻変動を起こして、はじめに来た津波はこれらの地殻変動によって起こされたもの、そして後から来た巨大な押し波は、震源断層の中でも陸からもっとも遠い、海溝近くで生まれた海底隆起によって引き起こされたものだった。

じつは気象庁は、昔から、この海岸で実際に測った観測値を発表し続けてきている。気象庁の理屈は「津波が沿岸に到着したことを報じないと、”津波が発生しなかった”と考える住民がいるので、観測情報は必要だ」ということだ。

第一波がたまたま最大の津波のときは、これでもいいかもしれない。しかし、多くの場合は、そうではない。

そして、東日本大震災では、この気象庁の発表とメディアの後追いが裏目に出て、被害を広めてしまったことは否めない。(先の、私のホームページの読者からも「この津波到達の第一報を見た市民が10cm、20cmという数字を見せられて安心しないわけがありません。
この到達の数字を出していなければ、もっと急いで逃げてくれたかもしれないのに、と思うと今も残念で仕方がありません」というメールが来ている)。

「津波警報」と「津波の(第一波の)観測値」を、現場では命がかかっている修羅場に、同時に知らせることは、混乱をもたらすだけである。いままでの習慣だから、と気象庁が慣例を尊ぶ役人風に発表し続けることは、考え直さなければなるまい。


2012年2月8日に追記17】 このホームページの読者から、次のようなメールをもらいました。NHKに出演した気象庁の係官に疑問を呈しています。

 昨日(2012年2月7日)、夕方のNHKラジオで、気象庁の方が津波予報の変更と3.11津波について言い訳していました。その放送では「3分以内に速報を出さないといけなかったので、低めの予報となった」と言っておられましたが、「予報できなかった」か「外れた」と言うべきだと思います。

 また、こんど変えられる新しい津波予報でも、いままでと同じように、真夜中に警報を出して3回外れれば「狼少年」となるという”情報被害者”のことが、係官には全く分かっていないようです。津波予報能力の低さを認めないと、原発と同じ不信感が募ります。


2013年3月14日に追記18 このホームページの読者から、次のようなメールをもらいました。

  最近の気象庁の津波予測の空振りは目に余ります。チリで起きた地震に宮崎県民に高台(露地)避難を長時間させたり、最近ではニューブリテンで起こった地震で、津波到達時刻、波高とも大外れでした。過疎地の観測地で10cm観測などごまかしとしか思えません。

 長距離地震はハワイ、小笠原、大東島、沖の鳥島などで観測してから緊急津波情報でよいと思います。「予報が100回外れても、101回目が当たるかも」の標語が見えました。これは避難する立場をわかっていません。

 近年の気象庁は、東日本大地震で、津波予測を3分でしなければならなかったと言い訳しています。だれが、3分と決めたのでしょう。5分、10分かかっても正確な波高が予報できることが第一義です。

 今後も、東日本大地震を大震災にした第一人者は気象庁の津波予報部だと思います。津波予報が出されたら、なぜ外れたかを詳しく解説すべきです。検潮所の潮位からは気象庁の津波は見えない場合が多いようです。

 先生の方から、日本人金森博雄先生の発明したモーメントマグニチュードが日本以外で花咲いたことをもっとPRしてください。金森先生は東大地震研と喧嘩されて渡米したのではと感じました。


2014年2月27日に追記19 気象庁の津波警報の問題点について書きました。 「信用されない「最大」の津波警報」


2015年3月21日に追記20】 気象庁は4年もたってようやく「死者行方不明者が2万人にものぼった現実は重い」と責任を認めました。NHKニュースから。

防災会議 大災害の教訓を共有 2015年03月15日 12時45分

 仙台市で開かれている国連防災世界会議は2日目の15日、大災害を経験した国々が被害を減らすため教訓を共有する会合が開かれ、4年前の日本の経験を踏まえて国際的な津波警報システムの拡大や改善を急ぐべきだという意見が提起されました。
 国連防災世界会議では「巨大災害からの教訓」と名付けられた会合が開かれ、日本やチリ、中国など巨大地震や大津波を経験した国々の行政担当者などが集まりました。
 この中で、気象庁の西出則武長官は、4年前のマグニチュード9.0の巨大地震で、当初、地震の規模を正確に計算できなかったために予想される津波の高さが過小評価された経緯やその後の改善策を説明しました。
 西出長官は「当時としては最大限の対応だったが、死者行方不明者が2万人にものぼった現実は重い」と述べ、巨大地震でもできるだけ正確に計測できるよう観測網を強化したことや、地震や津波の大きさが判明しない場合はあえて数値を発表せず、避難を促すことに力点を置いた警報に改善したことを報告しました。
 また、国際的な津波警報システムの構築を推進してきた国連・ユネスコ海洋委員会のウラジーミル・リャビニン事務総長は、まだ津波警報がない大西洋や地中海などにも警報システムを拡大する一方、日本の経験を踏まえて各国のシステムの改善も進めるべきだという意見を提起し、全体会合に報告されることになりました。

(共同通信配信)、2003年10月


津波警報 住民避難せず---精度上げ、信頼感高めよ(徳島新聞、2003年10月15日・「総合」面)

警報はオオカミ少年!? 予測とズレ 住民避難せず 問われる信頼回復(下野新聞、2003年10月20日・「科学と教育」面)

ほか


 2003年十勝沖地震はM8.0。日本列島を襲う地震の中でも最大級の地震だった。しかし、この地震で津波の避難勧告を受けた住民のうち、平均して6分の1の住民しか避難しなかった。

 今回の地震とほとんど同じ規模だった1952年十勝沖地震で6メートルを超える津波で大被害を被った北海道東部の厚岸町でも、わずか8%にとどまった。

 なぜ、このようなことが起きたのだろう。

 1998年5月4日、大津波警報が出た。沖縄、九州、四国、そして本州の南岸に最大2、3メートルの津波が来襲する恐れ、という警報だった。

 だが拍子抜けだった。実際に来た津波は、わずか数センチだったからだ。この例に限らず、津波の警報や注意報で警告された高さの津波が来なかったことは数多い。気象庁の津波警報は、図らずもオオカミ少年になっているのである。

 震源は石垣島南方沖でM7.7。津波で100人以上がなくなった日本海中部地震(1983年)と同じ規模だ。同じ大きさの地震が同じ場所で起きても、地震のメカニズム(地震断層の動き)が違えば津波の高さは大変に違う。

 津波警報は、出すのに時間がかかったら間に合わない。早さが命なのだ。

 震源からP波とS波という地震波が出る。P波が先に進み、S波はどんどん遅れていく。雷から音と光が同時に出るのに、音のほうが遅れていくのと同じである。

 いまの津波警報の仕組みでは、P波だけを使って計算している。S波は、震源で地震断層がどう動いたかについて大事な情報を運んでくるのだが、S波を待ってからでは間に合わないのである。

 それゆえ、地震の震源と地震の規模だけが分かった段階で「考えられる最大」の津波を想定して警報を出す。しかし地震断層の走り方によっては、実際の津波の振幅が想定の何百分の1にもなってしまうのだ。

 津波警報がオオカミ少年にならないためには、日本列島の周囲の海底に海底津波計を配置することが必要である。津波計は震源の近くで、沖合にいるときの津波の高さや波形を観測する。

 これらのデータが分かれば、発生したその津波が陸に近づくにつれてどう震幅が大きくなるかはすでに知られているから、陸を襲う津波の正確な高さが予測できることになる。

 地震予知は以前考えられいたよりもずっと難しいことが明らかになりつつある。しかし、突然の大地震による震災はともかく、地震が起きてから十数分から数時間後に襲ってくる津波の被害は、適切な予測と避難があれば、かなりの程度まで避けられるはずだ。

 行政は住民の防災意識の低さを嘆く。しかし、津波警報を信頼されるものにすることこそを心がけるべきであろう。


2010年3月。この論点をフォローしてくださったブログ


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