【2011年3月21日に追記1。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】
 この本の後書きに書いてあるように、阪神淡路大震災が起き、その後に引きつづいて福井県にあるプルトニウム高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」で大量のナトリウム漏れが起きたときに、私は何人もの欧州人に同じことを言われたことがある。

  天災が少なく、責任観念が発達している欧州人にとっては、政府や動燃事業団がとった対策を静観しているだけの日本人の対応はかなり奇妙に見えた。かつて欧州でも同様の事故が起きたのをきっかけに廃炉にした国が続出したからである。日本人は、すべての事故を天災のように避けられないものと考えているのではないか、というのが私が知っている欧州人の反応だった。

 そして、今回の大震災でも、その日本人の習性を利用すべく、大震災に引きつづいての福島原子力発電所の原発震災についても、「想定外の大きさの地震と津波に襲われた、人災を超えるもの」という心理に日本人を誘導しようとしている企てが透けて見える。

 今回の大地震(東北地方太平洋沖地震)で気象庁が発表したマグニチュード9というのは、気象庁がそもそも「マグニチュードのものさし」を勝手に変えてしまったから、こんな「前代未聞」の数字になったものだ。(下の追記にあるように、気象庁の最初の発表は7.9、それが8.4、ついで8.8、そして9.0に増やされていった)。

 いままで気象庁が長年、採用してきていて、たとえば「来るべき東海地震の予想マグニチュードは8.4」といったときに使われてきた「気象庁マグニチュード」だと、いくら大きくても8.3か8.4どまり。それを私たち学者しか使っていなかった別のマグニチュード、「モーメント・マグニチュード」のスケールで「9.0」として発表したのである。

  すべてのことを「想定外」に持っていこうという企み(あるいは高級な心理作戦)の一環なのではないだろうか。


【2011年3月21日に追記2(3月29日に追加。さらに5月30日と、6月2日と、6月4日と、8月3日に追加)。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】

 今回の気象庁によるマグニチュードの数値の変更(増大)の経過は、こうなっている。

●3月11日の地震直後にNHKテレビで放送された緊急地震速報では、震源の位置は画面に表示されていたが、マグニチュードは表示されていなかった。

●地震から数分〜10分くらいたってから、気象庁から数値が来て、テレビ画面にはマグニチュード7.9が表示された。

じつは、この震源は緊急地震速報では「精度よく求められる範囲」の外だった。大地震が頻発する東北沖でも、範囲外になってしまうことは緊急地震速報の重大な弱点である。

気象庁は、緊急地震速報のデータ処理過程では使いものにならないため、急遽、「緊急会話検測による値(速報値)」を決めて、それを使った。マグニチュード7.9も、こうしてきめられたものだ。いくつかの地点で、その時刻までに観測された地震計の最大振幅から求めたものだ。これは、従来からの「気象庁マグニチュード」による数値だ。

■「緊急会話検測」とは、一般の人には耳慣れない言葉だが、業界用語である。上役や気象庁長官などの”人間との会話”ではなく、コンピューターとの“対話”をして震源やマグニチュードを決めることを気象庁内部ではこう言っている。
  ふだんは、「自動検測」で、コンピューターが自動的に震源もマグニチュードも決めているのだが、この「緊急会話検測」に切り替わると、観測にあたっている当番の気象庁職員が、目の前のコンピューターの端末画面にある地震記録を検測して震源を計算することになる。こうして得られた震源を「緊急会話震源」という。なんとも貧弱な語彙である。
  端末画面にそれぞれの地震計からの波形記録を並べて表示し、P波、S波の到着時間と最大波の位置をカーソルで指定すると、コンピューターがその点の値を読み取り、震源を計算する。これは、自動検測になる前に気象庁でも大学でも行われていた震源決定の方法である。
 (余談ながら、かつて東北大学地震予知噴火予知観測センターには、並んでいる記録を一瞥しただけで、どこに起きた地震か、三陸沖のどの辺か、山形沖なのかを、検測する前にわかってしまう、神業のような女性職員がいた。)
 つまり、コンピューターによる自動検測は、処理は早いが、まだ、あてにならないところがあるのである。

  今回の大地震では地震断層が破壊していった時間は全部で約150秒と長かった。他方、緊急地震速報や緊急会話検測では、はじめの数十秒間のデータだけを使ってデータ処理をしているので、今回のような地震では、マグニチュードや震度を正しく予測して表示することができなかった。

じつはこのことは、地震直後に出した津波警報(大津波注意報)が「小さく予報しすぎた」ことにつながった。

最初の警報発表は14時49分だったから、気象庁は地震後3分で出したことになる。この意味では十分に早かった。しかしそのときの警報は「岩手県と福島県の沿岸は「3メートル以上」だった(左のテレビ画面)。その後、15時14分になって、「10メートル以上」と変更になった。この時間は地震後30分近く経っていて、津波が海岸にすでに到達してしまった時間である。

【以下は『日刊ゲンダイ』2011年5月28日による】 犠牲者が拡大した一因とも考えられるのが気象庁の津波警報だ。警告した津波の高さが低すぎたのである。最初に津波警報が出たのは地震から4分後の2時50分。岩手と福島はわずか「3メートル」で宮城県は「6メートル」だった(この日刊ゲンダイ記事に左のテレビ画面が出ている)。その後、数字は変更され、3時14分に岩手・福島「6メートル」、宮城「10メートル以上」。さらに5時30分には3県そろって「10メートル以上」となった。

 問題は「3メートル」である。岩手県田老町などは世界的に有名な高さ10メートルの防潮堤があった。ところが津波はこれを乗り越えて町を襲い、200人近い死者・行方不明者を出した。気象庁がもし最初から「10メートル」と警告していれば、犠牲者を抑えられたかもしれないのだ。


(これについては下記の2011年12月の追記がある。)

つまり最初に警報した津波の高さは低すぎたのであった。津波警報がオオカミ少年になっていたこともあって、「3メートル以上」という津波警報を聞いた人たちに油断がなかったとはいえなかったのではないだろうか。

つまり気象庁の速報のデータ処理過程で求めた数値では、この種の大地震の姿をとらえられていなかったのである。

しかし、今回のような 巨大な地震では、地震断層の破壊が広い領域に進んでいくのに、かなりの時間(今回は150秒程度)を要するから、このような緊急地震速報によるマグニチュード決め方に使っている、地震計新記録の最初だけの、つまり短い時間の地震波形は、破壊の全体がつかめなかった。こうして速報値のマグニチュードは精度が劣るものになり、その結果、最初の津波警報が小さめのものになってしまったのである。(津波警報の問題点は別頁にある)

16時直前にマグニチュード7.9からマグニチュード8.4への変更が放送された。このマグニチュード8.4は「気象庁マグニチュード」である。これが気象庁マグニチュードとしての最終的な数値であろう。気象庁マグニチュードは、国内にある「気象庁の地震計が記録した地震の大きさ」から計算しているもので、従来から気象庁が使い続けてきているものだ。なお、気象庁がこの東北地方太平洋沖地震について発表した最初の発表文は16時に出されており、そこには「マグニチュード8.4(暫定値)」とある。(なお、気象庁がこの地震を「東北地方太平洋沖地震」と名づけたという発表文は16時20分に出されている)。

●しかしその後、17時30分にマグニチュード8.4からマグニチュード8.8に変更された。このマグニチュード8.8は「モーメント・マグニチュード」の数値である。モーメント・マグニチュードは気象庁マグニチュードとは違い、「地震の震源で、どのくらい大きな地震断層が、どのくらいの長さで滑ったか」を解析して求めるマグニチュードだ。しかし、気象庁のこの発表文のどこにも、モーメントマグニチュードのことは書いていない。

モーメントマグニチュードは気象庁マグニチュードとは決定の原理が違う。気象庁マグニチュードではこのような大きな数値は出ない。なお、マグニチュードの決め方はこのほかにもあり、全部で7通りもある。なお、こんな巨大地震でなければ、いつも気象庁マグニチュードよりもモーメントマグニチュードのほうが大きな数字が出るのではない。たとえば阪神淡路大震災を起こした兵庫県南部地震(1995年)のように、同じか、ときには小さいこともある。

■この地震以前から掲示されている気象庁のホームページによれば、「地震は地下の岩盤がずれて起こるものです。この岩盤のずれの規模(ずれ動いた部分の面積×ずれた量×岩石の硬さ)をもとにして計算したマグニチュードを、モーメントマグニチュード(Mw)と言います。(中略)その値を求めるには高性能の地震計のデータを使った複雑な計算が必要なため、地震発生直後迅速に計算することや、規模の小さい地震で精度よく計算するのは困難です」とある。つまり、これを楯に、気象庁は気象庁マグニチュードに、ずっと固執してきたのである。

気象庁マグニチュードは、震源から離れた場所にある地震計のデータを含めた多数のデータを使い、周期5秒前後の地震波の最大振幅で計算するものだ。東北地方太平洋沖地震のように、もっと長周期の成分が多い巨大地震では、マグニチュードを十分に表せないことは、かねてから指摘されていた。

 さて、この1時間半のあいだに、なにがあったのか、まだ分からない。しかし、気象庁がモーメントマグニチュードを日本に起きた地震のマグニチュードとして発表したのはこれが最初だったし、気象庁は前歴もあることだから、現場の判断とはとうてい思えず、なんらかの外部からの”入力”があったことは十分に考えられる。

ちなみに、福島原子力発電所1号機の冷却装置の注水が不能になったのは11日午後4時36分。地震後2時間ほどのことだ。消防のポンプ車で真水を注入していたが、その真水の供給も途絶え、原子炉格納容器の水位は低下。冷却機能を急速に失って、翌12日午後3時半に1号機は水素爆発を起こした。

●3月13日、つまり地震から2日後の12時22分の気象庁発表で、「データを精査した結果として」、マグニチュード8.8からマグニチュード9.0に変更された。このマグニチュード9.0も「モーメント・マグニチュード」である。フィンランドやオーストラリアなど遠い場所での地震計の記録を参照したら、この値が適当だったと気象庁は言っている。

  そして、この気象庁の発表文に初めて、「モーメントマグニチュード」が出てくる。しかし、文字は一段と小さく、しかも一行だけだ。(「(注)ここで示す地震の規模は、CMT解析によるモーメントマグニチュード(Mw)
」とある)。それ以外の説明は一切なく、気象庁記者クラブのメディアからもなんの質問もなかったに違いない。

  じつは気象庁では、かねてから、気象庁マグニチュードのほかに、気象庁内部ではモーメント・マグニチュードも計算してきていた。それは、北西太平洋やインド洋で発生する大地震とそれによる津波について、関係国に情報を提供してきたが、このときに、気象庁マグニチュードでは国際的に通用しないし、津波予測に適していなかったからである。

 今回はその数値を援用して、モーメント・マグニチュードの数値が国内の一般向けとして、(気象庁としてははじめて)発表されたのであろう。

 しかし、もし気象庁がモーメントマグニチュードを大地震に適用するのなら、いままで通用してきたマグニチュードを見直す必要がある。たとえば過去の大地震(西暦869年に起きて、今回のように津波が海岸から5〜6キロメートルも入ったことが分かっている貞観地震はマグニチュード8.3とされている)や、マグニチュード8.4(気象庁マグニチュード)に耐える設計になっているはずの浜岡原子力発電所が、「またも想定外の地震」に襲われることになりかねない。

【2011年5月追記】:この記述をフォローしてくださったブログがありました。

【2011年6月追記】:日本エントロピー学会の「原発震災関連情報」によると、

※また、想定外の巨大地震との印象操作ではないか、ともいわれている気象庁の震度表記について、気象庁に (下記の質問窓口に)質問を送りました。
https://jma-net.go.jp/cgi-def/admin/C-101/opinion/postmail.html

質問内容:「質問です。東日本大震災について、気象庁は震度表記を気象庁マグニチュード(Mj) からモーメント・マグニチュード(Mw)に変更し(当初の 8.4 から 9.0 への変更)たというのは事実ですか? そうである場合、そうでない場合、いずれでも、震度表記の変更経緯についてご教示いただけ ると幸いです。

また、以下の情報の表記単位を教えてくださ い。http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/daily_map/japan/20110311_list.shtml
公式ページ等の解説を教えていただくのでも結構です。見つけられませんでしたので。」

(※4 月 10 日に送信した上記質問に対して、5 月 25 日現在までに返信はありません。)
【追記】 4 月 10 日質問に対して、7 月 22 日までに回答はなく、再送信中です。

●気象庁マグニチュードからモーメントマグニチュードへの変更について、島村英紀氏:
「追記 2011 年 3 月 11 日に東日本を襲った巨大地震の"マグニチュード 9"とは」 http://shima3.fc2web.com/kyousei-atogaki.htm
参考:島村英紀 『巨大地震はなぜ起きる これだけは知っておこう』2011/4/25。花伝社。

学会からの、とてもまともな質問ですが、あるいは、気象庁は本当の事情が言えなくて困っておられるのかも知れません。

【2011年12月追記】下記の東京新聞の記事のように、「十メートル以上に更新された津波の高さ情報をすべて把握していたのはわずか17%」という。気象庁のはじめの津波予測が小さすぎたために、被害を大きくした可能性が高いのである。

●津波到達予想時刻 消防団員半数知らず(東京新聞ウェブ。2011年12月5日 07時02分)

 東日本大震災で多くの犠牲者を出した岩手、宮城、福島三県沿岸の消防団員のうち、半数が津波の到達予想時刻を知らなかったことが、総務省消防庁の調査で分かった。水門閉鎖や住民の避難誘導に携わった団員の多くが、無線などの連絡手段を持っていなかったためだ。三県で死亡・行方不明となった団員は二百五十四人。現場の団員は「情報こそ命綱。装備の充実を急いで」と訴えている。  調査は十〜十一月、宮古、釜石、気仙沼、石巻、いわき各市の消防団員五百九十二人を対象に実施。震災当時の情報把握などを尋ね、八割の四百七十一人が回答した。

  震災直後の午後二時四十九分に発令された大津波警報を四人に一人が知らず、津波到達予想時刻は全体の52%が把握できていなかった。最終的に十メートル以上に更新された津波の高さ情報をすべて把握していたのはわずか17%だった。

  配備の必要性を感じた資機材を尋ねたところ、団員間の連絡が取れなかった反省から携帯型無線機(トランシーバー)などの「情報伝達手段」が最も多く挙げられた。

 岩手県陸前高田市は五十一人の消防団員が死亡・不明となり、被災市町村では最多。このうち二十八人が犠牲になった市消防団高田分団長の大坂淳さん(54)は「正しい情報が得られていれば、多くの団員が死なずに済んだかもしれないのに」と悔やむ。

 無線はポンプ車にあるだけで、現場の団員に無線の装備はなかった。携帯電話もつながらず、大坂さんは自家用車で駆け回り、団員一人一人に避難を呼び掛けるしかなかったという。

 こうした実態を受けて消防庁は、十一月二十一日に成立した国の第三次補正予算で消防団員の安全対策費として二十億円を計上。トランシーバーやライフジャケットなどの購入費を自治体に補助する。

 同庁は「現場で活動する消防団員に情報を周知できる態勢を整えたい」としている


【2011年3月21日に追記3。東日本を襲った巨大地震(東日本大震災。東北地方太平洋沖地震)で】

  今回の地震で宮城県などを襲って内陸5kmまで入り込んだ大津波も、じつは史上初めてではなく、たとえば西暦869年に貞観(じょうがん)地震と呼ばれる巨大地震が起きたことが、内陸深くまで運ばれていた海底の砂など、津波堆積物などの調査からわかっている。なお、この貞観地震のマグニチュードは「8.3」とされている。(これは気象庁マグニチュードであろう。モーメントマグニチュードは近代的な地震計の記録がないかぎりは算定できないマグニチュード、つまり近年の地震だけしかわからないマグニチュードであり、古地震学=むかしの地震を扱う地震学の一分野=では、気象庁マグニチュードを使ってきている)。

  このほか、北海道の襟裳岬の近くでも、同様に内陸深くまで、過去の大津波で運ばれた海底の砂が見つかっている。こちらでも、過去に別の大津波が起きていたことが分かっているのである。

  つまり、今回の地震は「日本史上初」ではなく、それゆえ「想定外の大地震」でもない。


【2011年3月23日に追記4。中日新聞社説(3月19日ウェブ版)から】

  今回の巨大地震について、地震の専門家や防災行政の担当者の間では、「信じられない」「千年に一度の頻度で起きる地震」との見方が強い。はたしてそうか。

 東北、北海道沖は、日本海溝、千島海溝で太平洋プレートが陸側プレートの下に沈み込む。日本周辺で、津波を伴う地震の発生が最も懸念される区域の一つである。現に明治以降も明治三陸地震津波を筆頭に、昭和三陸地震(一九三三年三月)、十勝沖地震(五二年三月)、北海道南西沖地震(九三年七月)などが頻発している。

 プレート境界に近い岩手・宮城沖、福島沖、茨城沖の三カ所で、次々に断層面がずれて起きた今回の地震のマグニチュード(M)9・0という規模は、日本の災害史上最大なのは事実である。津波は最速十分で海岸に到達、最大波高は十五メートルを上回ると計算された。

 しかし「理科年表」(国立天文台編纂(さん))によれば、明治三陸地震津波の波高はいずれも現・岩手県大船渡市の吉浜二四・四メートル、綾里三八・二メートル、同宮古市の田老一四・六メートルの記録がすでにある。

 また二〇〇〇年代にはいり、日本・千島周辺の海溝型地震の防災対策特別措置法が施行され、東北四県と北海道の百十八市町村を推進地域に指定、被害想定に基づき津波をはじめ防災対策を進めてきたはずである。結果的だが机上の空論だとはいえまいか。


【2011年3月28日に追記5。官邸や気象庁は原発事故が重大なことを知ったのは地震当日の夜、つまり気象庁が「マグニチュード9.0」を発表するより前でした。共同通信(3月28日ウェブ版)から】

炉心溶融を震災当日予測 応急措置まで半日も」

経済産業省原子力安全・保安院が、震災当日の11日夜、東京電力福島第1原発事故に関して、3時間以内の「炉心溶融」を予測していたことが27日、分かった。また翌12日未明には放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出、原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針が決まったが、実現するまでに半日も要した。政府文書や複数の政府当局者の話で判明した。

政府原子力災害対策本部の文書によると、保安院は11日午後10時に「福島第1(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、12日午前0時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとしている。

保安院当局者は「最悪の事態を予測したもの」としている。評価結果は11日午後10時半、首相に説明されていた。

この後、2号機の原子炉圧力容器内の水位が安定したが、12日午前1時前には1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。4時ごろには1号機の中央制御室で毎時150マイクロシーベルトのガンマ線、5時ごろには原発正門付近でヨウ素も検出された。

事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認、4時には保安院に実施を相談した。また菅首相は5時44分、原発の半径10キロ圏内からの退避を指示した。

だが東電がベント実施を政府に通報したのは、首相の視察終了後の8時半で、作業着手は9時4分。排出には二つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約4時間を費やし、排出が行われたのは午後2時半だった。


島村英紀『地震列島との共生』
岩波書店・科学ライブラリー

(この絵をクリックすると拡大されます)


あとがき

 この本も、結局、著者の以前の本の多くと同じように、また船の上で書くことになった。前から岩波書店の宮内久男、石崎津義男両氏の熱心なお勧めを受けながら、著者の怠慢もあって、筆が進まなかったものである。

 阪神淡路大震災は、あれだけの災害の前になにひとつとして貢献できなかった私たち地球科学者にとってはたいへんな衝撃であった。少し時間と距離を置いて考えてみたかった。それが、遅れたうえに大西洋の船上で書いている理由のひとつである。

 船はノルウェーの五○○トンの観測船。決して大きな船ではない。海が荒れると荒天待機になる。この船のブリッジ(船橋)は海面からの高さが八メートルだが、今日の波はブリッジより高い。風は毎秒二○メートル。昨日までは荒れた海で無理をしてやっていた海底地震計の回収が危険でできなくなって、荒天待機に入っているのである。観測ができない無為に過ごす時間が生まれる。その時間を使ってようやく書きはじめている。

 阪神淡路大震災の惨状の映像はテレビに乗って世界に流れた。たとえば英国やドイツはもちろん、ノルウェーでも、あるいは北極海の孤島スピッツベルゲンでさえ、連日、テレビのトップニュースだった。ハイテク日本であんなことが起きるのか、といままで知っていた日本の裏の部分が突然あらわになって肝をつぶしたのであった。

 その後、日本では福井県にあるプルトニウム高速増殖炉の原型炉「もんじゅ」で大量のナトリウム漏れという事故があった。これも世界中で大きく報じられた。天災が少なく、責任観念が発達している欧州人にとっては、政府や動燃事業団がとった対策を静観しているだけの日本人の対応はかなり奇妙に見えた。かつて欧州でも同様の事故が起きたのをきっかけに廃炉にした国が続出したからである。日本人は、すべての事故を天災のように避けられないものと考えているのではないか、というのが私が知っている欧州人の反応だった。

 私はこの評価は間違ってはいないが、十分ではないと思う。日本人は天災だと思って諦めるのと同時に、その災害を忘れようとして忘れてしまうのではないか、と思うからである。忌まわしい震災を忘れるために、情緒的で過剰な報道が行われたオウム事件は格好の材料を提供してしまったのではないだろうか。

 天災を忘れてしまってはいけない。人知を尽くしてなにが起きたのかを知ることは大事だし、なにかを学んで将来に生かすことはもっと必要である。同時に、天災は地球規模の事件でもあるから、私たちが地球のいまと将来について否応なしに考えさせられる数少ない重要な機会でもあろう。

 この本が、そういったことに微力ながら役に立てれば、著者としては本望である。


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