『日経サイエンス、ブックレビュー特集「フレッシュマンのための読書ガイド」』2005年5月号(3月25日発行。日本経済新聞社)
123-124頁。1600字

南極に学ぶ 挫折と栄光の歴史
連帯や友情といった、現代の日本では死語になりかかっている言葉が、まだ輝いている世界

 先週、私は長野県乗鞍高原で行われた南極観測隊の冬訓練に行っていた。今年の秋に南極・昭和基地に送り出す隊員が初めて顔を合わせる訓練である。

 どんなに天気が悪くても訓練は行われる。膝より深く潜る雪原で、コンパスと歩幅による距離計測だけで与えられたコースをたどる「ルート工作訓練」。簡易テントを張って、その中でビバーク(緊急的な夜営)をしたり、炊事などの「サバイバル訓練」、負傷者の搬送訓練、歩くスキーの訓練などである。

 また、講義もある。越冬した医師からは、昭和基地の医療レベルは各国の南極基地に比べて大変高いが、それでも、飛行機では行けない場所ゆえ重傷者や重病人を昭和基地から運び出すことは出来ず、国内なら助かる患者も助からないことがある、生命の維持を最優先するために国内の医療と違って後遺症が残ることもある、などの南極の医療の限界も紹介された。

 また、いままで各国の南極基地で死亡した隊員約80名の症例や事故例も挙げられた。このうち半数は航空機事故である。もっとも、このほかに旧ソ連の南極基地では、もっと多くの人命が失われたらしいが、詳細は明らかになっていない。

 いずれにせよ、南極は、現代に残された数少ない秘境である。探検から科学の時代に代わったとはいえ、連帯や友情といった、現代の日本では死語になりかかっている言葉が、まだ輝いている世界でもある。

 南極の本はいろいろある。たとえば『そして、奇跡は起こった!―シャクルトン隊、全員生還』(ジェニファー・アームストロング著、灰島かり翻訳)は、南極点に向かうために木造船で南極に向かったシャクルトン一行の船が座礁したうえ、海氷にはさまれてバラバラになったあと、28人の一行が、1人の犠牲者も出さずに1年を生き延びた記録だ。ここには、絶体絶命の困難を皆の協力で乗り越えた感動の物語がある。

 この本から、危機に陥ったときのリーダーシップのあり方を読みとる読者もいるだろうし、仲間との友情の大切さを読みとる読者もいるだろう。

 『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』(アプスレイ・チェリー・ガラード著、加納一郎翻訳)は、南極点一番乗りを競ったスコットとアムンゼンの一行の物語だ。アムンゼン一行がなぜ成功し、スコット一行がなぜ悲劇の最後を迎えることになったのか、南極探検を描きながら、じつはグループや組織がどうあるべきか、も考えさせてくれる。

 日本人が書いた南極のうち、『南極・越冬記』(平山善吉著) は2001年に出た本だが、約40年前に著者が昭和基地で越冬したときの物語である。氷点下40℃の氷雪原を、ひたすら橇を曳いて歩いたり、風速40m/sの地吹雪の中でキャンプしながら越冬生活を耐えた著者の青春の記録である。なお著者は現・日本山岳会の会長で日大教授でもある。

 また『南極点への道』(村山雅美著、朝日新聞社、1969年)は日本で初めて、世界でも6番目に南極点に達した踏破記だ。太陽熱を吸収するために黒く塗った特製の雪上車で往復5182kmもの長距離旅行を成功させた。著者は現在87歳。老朽化した南極観測船の後継問題など、いまだに南極観測の長老として活躍しておられる。

  残念ながら、この本は絶版になってしまっているので、図書館や古書店で探すしかない。『南極越冬記』(西堀栄三郎著)は、日本人として最初の越冬を行った西堀越冬隊長の日記である。いずれも、まだ、探検の色合いが濃かった日本の南極観測の初期の時代の生き生きとした観測隊の雰囲気を伝えている。

 拙著『日本海の黙示録――地球の新説に挑む南極科学者の哀愁』は南極でポーランドやアルゼンチンと共同で行った海底地震観測のドキュメントだ。現場での苦悩、科学者の葛藤もあるが、他の本にはない「科学者の聖域」南極を巡る国際情勢も描いた。

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