島村英紀が撮ったシリーズ 「不器量な乗り物たち」その3:深海編

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1-1:フランスの深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)全景

深海探検では世界のトップを走っていたフランスが作った3人乗りの深海潜水艇。フランス国立海洋研究所(CNEXO、のちにIFREMERになった)が設計・製作したユニークな乗り物だ。

私は日仏共同海溝観測計画のために、私たちが日本で設計した海底観測機器を据え付けられるかどうかの共同打ち合わせと、「本番」のための潜水訓練の一環として、1984年、この深海潜水艇に地中海で乗った。上の2枚の写真を撮ったのは1980年。あとは1984年。

2000メートルの深さまで潜れる。当時は世界でもっとも深くまで潜れる有人潜水艇だった。人間が入るところは最前部にある直径2メートルほどの耐圧球の中で、前方下方が見える二つの円い窓がある。

魚の形をしたボディーに入っているのは、この耐圧球のほか、酸素タンク、電池、左右と後のプロペラを駆動する電池、油圧装置などである。つまり、全体の大きさに比べて、人間が乗っている場所はごく小さい。

乗員3人のうち、科学者は一人だけで、あとはパイロットとエンジニア兼ナビゲーターが乗る。
その意味では、とても贅沢な乗り物である。

これは、右の、深海潜水艇のカバーを外した写真では、もっとよくわかる。人間が乗れるところは、右中央に段ボール箱のように見える深海浮力材(シンタクティック・フォーム。後に説明する)より前だけなのである。


1-2:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)前部

耐圧球への出入り口のハッチは上部にある。顔を出しているのはフランスの地質学者。 ハッチは厳密な水密になっているが、髪の毛一本が挟まっていても、内部に高圧の水が入ってくる。彼はこの種の事故で水を浴びて、以後はこの深海潜水艇に決して乗ることはなかった。

両側面に張り出しているのは船体そ推進したり、向きを変えたりする電動プロペラ。下半分には乗員が前方を見るための丸いガラス窓が見える。

前面にある四角いものは前方を照らすランプのひとつ。このような天気でも100メートルも潜ると新聞が読めなくなるほどで、それより深い海は暗闇だから、強力なランプが必要である。

この深海潜水艇は油圧で作動する腕(マニュピュレーター)を一本だけ持っている。この後に作られた深海潜水艇ノーティール号では、腕は2本、潜水限度は6000メートルになった。

しかし、パイロットによれば、このシエナ号ほど 運動性能がいい深海潜水艇はない、飛行機で言えば高性能の戦闘機だという。たしかにノーティール号はもちろん、その後に真似をして作られた日本の深海潜水艇は、どれも、はるかに鈍重である。

じつはフランスの家庭電化製品も車も故障が多い。私の知っているフランス人にはドイツ製の車に乗っている人も多い。そのことをフランスの深海潜水艇の設計者に言ったら、「フランス人は最初の一台を作るのは得意なのだよ」という。なかなかの名言である。


1-3:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)の観察窓

このガラス窓はアクリル樹脂製。強大な水圧に耐えるために、円錐型で外側の直径は45cmほどあるが、内側の直径は12cmしかない。樹脂ガラスの厚さは30cmもある。

12センチとは、顔を近づけると、ようやく両目で前が見える大きさである。たった二つの、この窓しかない耐圧球に入って、深海に赴くのは、なかなかの冒険である。

少なくとも、閉所恐怖症気味の人には向かない。いや、それどころか、そういった人が恐怖心から発作を起こしたり、暴れたりしたら大事故にもなりかねないので、事前の医者の診断が必要とされる場合もある。

窓の上方を横切っているのはマニュピュレーター。この操作は、向かって右側に入るパイロットが行う。フランスの車は右側通行だから、左側が運転席、右側が乗客席になる。

右側に見える穴の空いた箱は、バスケット。海底でとった岩や生物のサンプルを入れておくためのものだ。私がフランス・ツーロン沖で、この深海潜水艇で潜水したときには、ローマ時代に地中海に沈んだ船から、ワインの壺を回収してきた。地中海は、古代の船の沈船がいたるところにある。


1-4:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)の内部前方

深海潜水艇の船内。海水のために緑色に見える窓が、外を見る唯一の窓である。窓に顔を押しつけて、黒い革張りの椅子に腹這いになって、数時間を過ごすことになる。

窓のすぐ下にあるものは、空気を噴き出して窓の曇りを防ぐための仕掛けだ。

直径が2メートルしかない耐圧球内は、とても狭い。両側にも天井にも、各種の機器や指示器がびっしり並んでいる。うっかり寝返りを打って触ったら大変なことになるスイッチ類も多い。

パイロットは左側に位置する。パイロットの目の前にある四角いパネルのメーターは 深海潜水艇にとって一番大事な、船体の傾きや向きを読みとるメーターである。

中央に見える梯子は、船内に3人が入った段階で、天井に畳み込んでしまう。

深海の水温は0℃近くになる。もちろんなんの暖房もないから、セーターを着て寒さをしのぐ。結露のために耐圧球の内部に着いた水滴が首筋に落ちて来るのは気持ちのいいものではない。(この辺の描写は『深海にもぐる』(国土社刊)に書いた)。


1-5:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)の海底往復のメカニズム

電池の容量は限られているし、酸素を消費する内燃機関を使うことはできないから、深海までの行きや帰りにモーターやエンジンを使うわけにはいかない。

このため、深海潜水艇は、沈むときは自重で下がり、浮き上がるときには、たくさん抱えている(パチンコの玉よりはずっと小さい)鉄の球を放出して軽くなって浮き上がる仕組みになっている。

この球が詰まったり、あるいは間違って落ちてしまったら、乗員の命にもかかわる。このため、潜水前の準備の中でも、この小さな球と、その落下をコントロールする電磁石の点検はとくに念入りに行われる(写真)。 下の皿に入っているのが、鉄の球。

船内に煙突のように見える筒が、その鉄の球を装填するための投入口だ。1-1の写真にも、見えている。

万が一、この鉄の球が十分に落ちないときは、海面まで帰ってこられないことになる。このときには、船体の底に抱えている電池や、マニュピュレーターを切り離すことで、軽くなって上がってくるという、何段階かのバックアップの仕組みもある。また、世界の深海潜水艇同士で、どんな仕事をしていても打ち切って、救助に駆けつけるという約束もある。

かつて日本では、1974年に浅海用の潜水艇「うずしお」が、事故のために乗員全員が死亡したことがある。その2日後に、設計責任者が鉄道自殺するという痛ましい結果になった。潜水艇は、いつも事故と隣り合わせの危険な乗り物なのである。

なお、この責任者は、太平洋戦争末期に海中で使われた特攻兵器、通称「人間魚雷」の「回天」の設計をした海軍の造船官O氏で、戦後は北大水産学部の200m級の潛水艇「くろしおの開発にもかかわった、いわば日本の潜水艇設計の第一人者だった。氏は「うずしお」設計時には、すでに引退していて、名誉職的な責任者だったが、重い責任を感じたのであろう。

この「うずしお」の事故をめぐる顛末は飯尾憲士『静かな自裁』 (文藝春秋 1990年)に描かれている。なお、飯尾氏は2004年08月に他界された。


1-6:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)で見た地中海の遺跡

この深海潜水艇で私が潜った地中海の底。ローマ時代の沈没船の積み荷であるワインの壺が散乱している(左写真、 右下写真)。地中海は大昔から交易の海であり、おびただしい遺品があちこちに眠っている。この辺は水中考古学の宝庫なのである。

この壺は魚の住処(すみか)になっていることが多い。

マニュピュレーター(左上から下がっているロボットアーム)で、取っ手が付いた ひとつの壺をつまみ上げたが、自分の家が持っていかれてしまうのではないかと、赤白の縞模様のあるおしゃれな魚が、「家」から出てきて、心配そうに見守っている。

左先方にはもう一匹の背を向けた同じ種類の魚や、深海ではよく見られる、手足の長い深海エビもいる。

海底から生えているものは「動物」である。光が届かない深海では、光合成ができないから、「植物」は生きられない。つまり、生きているものは「動物」なのである。

「根」がついている動物、たとえばこの上や右の写真のウミユリのような、まるで盆栽の木のような「動物」が暮らしている世界である。動物だから「動く」というわけではなく、ちゃんと「根」が海底に生えている。

なお、機械仕掛けのマニュピュレーターで、素焼きの壺をこわさないでつまみ上げるのは、一般の人が考えるほど簡単なことではない。それなりの仕掛けがあり、操作にたいへんな経験が必要なのが深海潜水艇のマニュピュレーターなのである 。


1-7:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)の内部後方

深海潜水艇の内部は、いかにも手作りといった機械が、床から天井まで、びっしり詰まっている。深海潜水艇を操縦する機器のほか、乗員3人のために酸素や気圧をコントロールする機器、母船と超音波で通信する機器、深海潜水艇の傾きや進む方向を支持する機器、深海潜水艇のまわりをレーダーのように監視する機器、電池の状態を監視する機器などである。

科学者とパイロットが腹這いになって、それぞれの小さな窓から外を見ているときにも、3人目の乗員であるエンジニア兼ナビゲーターは外が見えない椅子に座っているが、一瞬の油断も許されない。

かつて米国の深海潜水艇は海底に出っ張っていた棚状の岩の下に入り込んでしまって、あわや、ということがあった。出られずに酸素が尽きたら、それで一巻の終わりである。前方の窓からの視界はごく狭いから、まわりをレーダーのように監視することは深海潜水艇の命運を握っている作業なのである。

しかも、観測によって、いろいろな機器を入れ替える必要もある。どの科学者にとっても潜水の機会はごく限られているから、慣れない機器でも100%の性能を発揮させるのが彼の大事な役目である。

頭上にあるのは、出入りのための梯子を畳みあげたもの。なお、この写真はストロボを光らせたので明るく見えるが、普段は内部はごく暗くしてある。


1-8:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)の観察窓から見た外の世界

深海潜水艇の窓から見た、甲板への帰還。突然視界が開ける。なつかしい潜水チームの笑顔が見える。

なお、画面下にあるのは、深海潜水艇を置くための台座である。人間が3人乗る、直径2mの金属の球が、ここに「鎮座」するように、船の甲板に固定するのである。

この写真に写っているチームは、それぞれが設計も改造も、そして潜水の実務もこなす。何回もの危機も乗り越えてきた。たぶん世界でも、もっとも強力な潜水チームである。

じつは、日本の深海潜水艇では、私は乗ったことはないが、乗る前には水を飲むな、食事は控えよ、とうるさいということを聞いた。しかも作業が食事にかかると、作業を終えるまで食事を遅らせるのが普通だ。

しかし、フランス人たちは陽気で、潜水の前の食事にも、ワインを欠かさない。チームの連中も、もちろん同じである。食事をゆっくり済ませてから、しかし、仕事は正確にこなす。つまり、本当のプロなのである。



1-9:深海潜水艇『シエナ号』(Cyana)を改良する秘密

フランスの深海潜水艇に地中海、カリブ海、日本海溝と3回乗ったことがある私がいちばん感心したのは、現場での工夫である。世界唯一、しかも最先端の機械だから、不具合や改良したいところが必ずある。

もし、日本だったらどうだろう。命を預かる機械だし、多額の国家予算を投じていることもあって、現場の声はまず書類化して、委員会にかかり、さらに上部の委員会にかかったあと、多くのお役人のはんこを押したあと、メーカーに改造依頼がいくという長い過程が必要に違いない。つまり、現場を知らない人たちが決めるのである。そして、たった一カ所の改良にも、何ヶ月も、ときには次の年度まで待たなければならないことが普通である。

しかし、このフランスのチームは違った。深海潜水艇のパイロットと支援チームは、現場で改良して、すぐ試してみる権限も能力も持っていたのである。私が乗っていた間にも、深海潜水艇の側面に穴を開けて別の機械をとりつけてしまった。母船の中の小さな工作所は、このように、いつも、なにかを作ったり改造したりしている。

現場をいちばん知っている、つまり設計段階から関わってきたうえ、毎回の潜水に立ち会っている人たちが、十分な権限を持っていて自分でいじれるほど、強いことはない。もちろん、なにが危ないのかをいちばん知っているのも、お役人でも委員会の委員でもなく、彼ら本人なのである。

このフランスの深海潜水艇を模倣してあとから作られた日本の深海潜水艇が、すべて造船メーカー頼りなのとは対極にある。 なるほど、こうやっているから「フランス人は最初の一台を作るのは得意」なのであろう。

一方、日本の模倣も徹底していた。日仏共同海溝観測計画で深海潜水艇の内外で撮影したビデオテープは、NHKが撮影したものも含めて、すべて「提出させられ」て、日本の深海潜水艇の設計に利用されたほどだ。それが「しんかい6500」の誕生の裏話である。

じつは、この「現場ですぐ直して結果を見る」方法は私たちが海底地震計を作ってきた過程と同じなのである。この辺の苦労や事情は拙著『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』に書いた。世界に一つしかない乗り物や機械を作るためには、もっとも効率的で、もっとも優れた方法であることは間違いがない。

(写真はいずれも1984年3月、フランス・ツーロン沖の地中海で。撮影機材はOlympus OM1、レンズは Zuiko 28mm f3.5。Zuiko 50mm f1.8, フィルムはコダクロームKR。海底での写真はフジクローム400)


2-1:深海潜水艇『ノーティール号』(Nautile)の模式図

図は、 深海潜水艇の仕組み。人間が乗るところがいかに限られているか、わかるだろう。

シエナ号の次に、世界最深の6000mまで潜れる深海潜水艇『ノーティール号』が1984年に作られた。これは、のちに私が乗ることになった『ノーティール号』の設計段階の図。

耐圧球の後ろのオレンジ色の部分は深海浮きである。ごく小さな中空のガラス球をエポキシ樹脂で固めたものだ。シンタクティック・フォームと言われる。私たちも海底地震計に一時は使っていた、とても高価な浮力材だ。

じつは、以前の深海潜水艇はガソリンを深海浮力材に使っていた。とても危険な乗り物だったのであった。

桃色の部分は電池。マニュピュレーターは2本になった。どのくらい器用なものか、私の目の前で、ワインの栓を空けて見せてくれた。

これはシエナ号よりもずっと重かったために、操縦性能はシエナ号には及ばなかったが、もちろん、世界最深の場所に行けるというのは大きな特長だった。

そして、ノーティール号は、のちに、氷山と衝突して北大西洋の深海に沈んだ客船タイタニックを発見する功績を挙げた。


2-2:深海潜水艇『ノーティール号』(Nautile)のモックアップ

ノーティール号が作られる前、南フランスの地中海岸、ツーロンにあるフランスの海軍工廠では、写真のようなモックアップが作られた。まるで、一つ目小僧ならぬ、三つ目小僧だ。

深海潜水艇のうちで人間が乗るところのチタン球と同じ、直径2.1メートルの大きさの球が作られ、先方を見るための本物と同じ三つの窓が作られ、二つのアーム(マニュピュレーター)やその下方のバスケットの模型も作られた。

また、本物の潜水球と同じように、上方に出入りのためのハッチが開けられている。

私がこのモックアップに立ち会ったのは、潜水球の手前に見える、黄色いプラスチックカバーに覆われた、私たちの海底傾斜計(のモックアップ)を、このノーティール号で、どのように海底に設置するか、を打ち合わせるためだった。

この海底傾斜計のモックアップは日本から運んだのだが、この大きさと重さのものをつかんで海底に設置できるようなアームの設計にしてもらうこと、また、作業が小さな丸窓から、どのように見えるのか、を確認することが、私がフランスを訪れた目的だった。

さすがに、深海潜水艇の経験が長いフランスだけに、技術者たちは、まるで打てば響くように、明快な解答を出してくれた。

なお、右端に近く、こちらを向いているのは海底地球物理学者バンサン・ルナール。11年後には私たちの海底地震計作業を手伝ってくれた。

(1984年3月、フランス・ツーロンの海軍工廠で。撮影機材はOlympus OM1、レンズは Zuiko 28mm f3.5。フィルムはコダクロームKR)

このほかのノーティール号の写真と説明はこちらへ


2-2:深海潜水艇『ノーティール号』潜水記

私はこのノーティール号に、プエルトリコ海溝と日本海溝で二度、乗ることになった。その乗船記は『アサヒグラフ』(銀行や歯医者の待合室などによく置いてあった朝日新聞社のB4版のグラフ雑誌、いまは廃刊になってしまった)の1985年6月7号に出した。また、『深海にもぐる』(国土社刊)にも書いた。

その記事の1-2頁目は(141KBほどあるjpgファイル)
その記事の3-4頁目は(124KBほどあるjpgファイル)


3-1:北海道大学の潜水艇「くろしおII号

函館にある北海道大学の水産学部は日本での潜水艇のパイオニアである。主に海中の生物を研究するために、1960年に作られて1971年まで使われた。この前に先代が1951年に作られていたが、それは、単に人が乗る「入れ物」を船から海中に吊すだけの仕掛けだった。ともに潜水深度はたった200mだったが、当時としては最先端の乗り物だった。

いまでは有名になった「マリンスノー」という名前も、この潜水艇に乗った科学者鈴木昇と(中谷宇吉郎の助教授から水産学部に移った)井上直一によって名付けられたものだ。

船体の大きさは上の「シエナ号」よりもずっと大きい。前後や上下にいろいろな構造物が突き出していて、不格好なばかりでなく、とても鈍重な乗り物だったことが知れる。しかも、この船は自航とはいっても、海上の母船から電力ケーブルで推進用の電力を供給して貰う仕掛けだった。へその緒がつながったままの潜水であった。

その後、船舶や潜水や操縦資格についての安全規則が厳しくなり、 くろしおII号は、大幅な改造をしないかぎり、潜水が出来なくなって、潜水を諦めざるを得なかった。これは1978年10月、水産学部の構内に放置されていたときに撮った。塗料が剥げて、痛々しい。二世代の潜水艇合わせて700回以上の潜水をこなしたことになる。

しかし、この潜水の多くは、じつは船の維持費や研究費を稼ぐための、「ドサまわりの巡業」だった。 建造費こそ中谷宇吉郎の「顔」で得たが、その反動もあったのか、後の維持管理費は文部省からは必要なだけ出なかったのであった。

このくろしおII号は、1988年に青函トンネルが開通したときにトンネルの北口の福島町に作られた北海道立青函トンネル記念館に移され、上半分が白、下半分が青という塗装も塗り直された。

しかし、その記念館は観光客の減少で赤字のため2002年秋に閉鎖になってしまった。(青森側にもトンネル記念館があり、こちらは営業を継続している)。記念館は2004年現在、福島町が引き取って再建中である。

余談ながら、右端は私が当時乗っていたスバル1300G。車重は740kgとごく軽量で、アルミニウム製の水平対向4気筒エンジンの形式は同じながら、前のスバル1000よりも強力なエンジンを載せていたのでよく走る車だった。インボードブレーキ、デュアルラジエターなど、他の車はまず採用しない高級な技術を投入した日本の車の歴史に残る名車だった。

撮影機材はOlympus OM1、レンズは Olympus OM50mm f1.8。フィルムはコダック Tri-X pan, ISO (ASA) 400)


4-1:海へ潜りたい欲望の初期、1850年代のドイツの潜水艇の構想

ドイツ北部の港町、ブレーメンハーフェンにある海事博物館に、奇妙な展示があった。1850年に構想があった一人乗りの潜水艇の実物大模型だ(右の写真)。

人が海へ潜りたい、という欲望は昔からあった。古くはカタツムリの透明な殻に入って海底を歩くという子供向きの読み物、ヒュー・ロフティングによる児童文学
「ドリトル先生」や、「海底二万マイル」で有名なジューヌ・ベルヌの著作のように、未知の世界である海中を探りたいというのは、長い間の人類の欲望だった。

これはそれをかなえるための素朴な装置だ。後部(左側)にあるプロペラをまわすために、大きなホイールがあって、これを搭乗員が足でまわす仕掛けになっている。またその搭乗員が前方やまわりを見るために、小さな窓が前方に取り付けられている。なお、ヒュー・ロフティングは20世紀前半の作家であり、ジュール・ヴェルヌの「海底二万マイル」が発表されたのは1870年だったから、この潜水艇はもっと前だったことになる。

ところで、水圧に耐えるべき壁の厚さは、なんとも薄い。これではちょっとした深さに行くと、ぺちゃんこになってしまう。水圧に耐える壁の厚さは、そのものの直径が大きいほど、大きくなければならない。また、もちろん、材質にもよる。いちばん強いのは球形のものだから、上記1-1や1-2の深海潜水艇は、耐圧球という、人間や操縦装置が入るところは、球形になっている。また材質はチタンという軽くて強い金属だ。19世紀半ばのこの潜水艇は鉄の壁に違いないし、形も球形ではないから、弱いに違いない。

なお、断面が円形で、直径も小さいということから、私たちのまわりにあるモノで比較的水圧に耐えるものは一升瓶だ。私たちが実験したところでは、これは1200メートルの水圧、つまり12気圧に耐える。

この19世紀半ばの潜水艇は、いまとなっては、滑稽な「水中自転車」というべきだろう。

(2004年、ドイツ・ブレーメンハーフェンの海事博物館で。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10)


島村英紀『深海にもぐる』の教科書を使った(先生の工夫で活気があふれる)授業のありさま


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