8-1:高級機メーカーの「武士の商法」。Nikkorex
35 (ニコレックス 35)
レンズ交換式で、フォーカルプレーンシャッターを備える一眼レフが高くて買えない層のために、各社は、廉価版としての一眼レフを作って売っていた。
日本光学(のちのNikon)も、大衆化路線を進めるべく、1959年にNikon Fを発売した直後から、Nikkorexという日本光学にとって最初である廉価版のシリーズを発売した。このカメラは1960年に発売したニコレックス35で、レンズは固定式で交換できず、シャッターも、安価なレンズシャッターを組み込んでいた。
また、露出計も、当時はCdSを使ったTTL露出計がすでに世に出ていたのに、このカメラは、一時代前のセレン露出計を使ってコストダウンを計った。露出計の受光窓は、NIKKOREXと書いてあるプラスチック部分である。
しかし、当時の日本光学は、安物カメラを作るのが、なんとも下手であった。もともとは三菱傘下の軍需産業だったし、戦後も、高くても買ってくれる客だけを相手に商売してきた伝統ゆえ、手の抜きかたも不器用jなうえ、値段や商品としての魅力のバランスもとれなかった。それゆえ、売れ行きも芳しくなかった。
このカメラは一眼レフに必要な正立・左右正像のファインダーを実現するためのガラス製で銀メッキが必要だったペンタプリズムを、平面鏡を組み合わせたポロミラーという仕掛けでコストダウンを図ったものだ。
ファインダーは全反射(100%の反射で光の損失がない)をしない平面鏡の宿命で、ペンタプリズムのものよりは暗い。上の3-1のオリンパスペンFシリーズと同じ仕掛けである。
レンズは50mm f2.5、シャッターはセルフタイマーつき、1-1/500秒のセイコーシャMXVレンズシャッターを使っていた。 このカメラはシャッターが外部の会社製だっただけではなく、本体の製造も日本光学の外部に委託したものだ。
しかし、日本光学にとって最初のレンズシャッター一眼レフだっただけに、設計も製造も未熟で、故障が多いカメラだった。私のも、そのうち自分で直そうと思いながら、まだ故障したままになっている。
レンズシャッター一眼レフは、ファインダーで見るためにはシャッターを切る前はシャッターが開いていなくてはならず、シャッターを切ったときに、レンズの絞りを絞り込む>シャッターをいったん閉める>反射ミラーを跳ね上げる>シャッターを開閉し、その後この過程を逆に辿って元に戻る、という、なんとも複雑な機構を必要としたことが最大の原因である。
もっとも、このカメラは、その「戻り」の過程をサボっていた。つまり、シャッターが切れたあとは、ミラーは上がらず、ファインダーの視野は暗転したままだった。次の撮影のために、巻き上げレバーを巻き上げないと、ミラーが上がって、シャッターと絞りが開放にならない仕組みだった。これは大変不便で、不評だった。また、巻き上げレバーの操作も、ゴリゴリした操作感で、上のライカM3はもとより、後のニコンF3
やペンタックス LXのスムーズさに比べるべくもなかった。
このあと1963年にNikkorex 35 zoomという、レンズを43-86mm f3.5のズームレンズに替えたモデルを売り出した。基本的なメカニズムは同じだった。
このズームレンズはフォーカルプレーンシャッターの一眼レフ用に売っていたものをそのまま流用してレンズシャッターを組み込んだものだ。しかし、このズームレンズは、まだズームレンズの初期だったこともあり、中心部だけが尖鋭なものの、それ以外は同心円状に解像力が極端に悪化していくという、ほとんど実用にはならないレンズだった。
このあと、日本光学は、1962年に Nikkorex F というレンズ交換式で、フォーカルプレーンシャッターの一眼レフを売り出した。これは既製品の縦走り金属シャッター(7-3のコニカオートレックスT3と同じ)を採用したもので、ペンタプリズムもファインダースクリーンも固定式にしてコストダウンを図った。しかし、デザインは大味で、面の張りがなく、売れ行きも思わしくなかった。
日本光学(Nikon)が、安い大衆向けカメラを上手に作るようになったのは、近年になってからである。
9-1:エレクトロニクスの魔術に溺れた新作。Olympus
OM2 (オリンパスOM2)
発売は1975年。購入したのも1975年。あとから買ったOM2Nとともに、世界中で酷使した。付けている
24mmf2.0 の、当時としては世界一明るいレンズは、あとから買ったもの。
このOM2も米谷(まいたに)美久氏が設計した。OM1と違って、絞り優先のAE(自動露光)をOM!と同じ大きさのボディに組み込んだ、当時としては世界最小のAE(自動露出)一眼レフだった。重さも
OM1とほとんど同じだった。
シャッターは横走り、布製フォーカルプレーンのままだが、シャッターの先幕と後幕の制御はOM1の機械制御ではなく、電磁石と電気回路で行っている。このため、十数秒までの長時間自動露光も可能になった。
しかし、電池がなくなると、B(バルブ)のシャッターしか切れない。つまり、普通には写真が撮れなくなってしまう。
さすがに、これではまずいと思ったか、オリンパスは、やはり電子カメラだった後のOM4では、1/60秒とBだけの機械式のシャッターを組み込んだ。
高速で上下運動をするクイックリターンミラーには、OM1と同じく、ショックアブソーバーを組み込んであった。このため、シャッター音は丸く、静かである。
だが、その後のOM4では、組み込む場所がなかったか、シャッターを高速化したためか、 ショックアブソーバーがなく、シャッター音は、まるでギロチンのような、品のない音に堕してしまった。
OM2のユニークなところは、大きさだけではなくて、TTL(レンズを撮った光を測光する)に、フィルム面からの反射光の強さを利用したことだ。
それまでのTTLはファインダーアイピース付近で測光していたので、アイピースからの逆入射光による誤差を避けられないうえ、シャッターが開く前(正確にはその直前のミラーが上がり始める前)に測光して、光の強さを記憶しておくための装置や素子が別に必要だった。
しかし、このOM2は、この問題を二つとも見事に解決した。そればかりではなく、露光中に被写体の明るさが変わっても、ちゃんと露出が追随するという大変な特長もあった。ストロボを使うときも、同じようにシャッターが開いてから、レンズから入ってきた光量を測り続けていて、ストロボの閃光時間を制御して、つまりTTLで適正露光をすることが出来た。
またフォーカルプレーンシャッターは、その構造上、ある程度以上のシャッタースピード(このカメラでは1/60秒以上)ではシャッターが全開しない。このため、フィルム全面からの反射を測ることが出来ない。それゆえ、そのの代わりに、閉じているシャッター先幕からの反射を測る仕組みになっていた。普通はシャッター幕はゴム引きの布なので真っ黒だが、フィルム面なみの反射率に塗っておこう、というわけだ。
OM2の設計の頭のいいところは、フィルム面と同じ反射率の一面の灰色に塗るのではなくて、細かい乱数パターンの白黒で塗ったことだ。灰色の「黒さ」を正確に制御して塗るのは大変だが、この方法だと、真っ白と真っ黒の割合を制御して「印刷」することによって、反射率を正確に制御できる。
つまり、このフィルムからの反射光を捉えるのは、たいへんユニークなアイデアだった。もちろん、 フィルムの銘柄や種類によって反射率は微妙に違うが、実用上は差し支えないとオリンパスも発表していたし、さらに心配ならば、自分でテスト撮影をして補正すれば問題はなかった。のちにペンタックスのLXやニコンのF3なども同じ仕掛けを導入したが、オリンパスが最初であった。
一方、このカメラは自動露出だけではなくて、1〜1/1000秒のマニュアル露出も可能だった。このため、シャッターを切る前に、現在の絞りではどのくらいのシャッタースピードになるか、露出を指示する必要があった。
このため、別の測光素子をファインダー光路に置いて、アナログメーターを振らせている。これは、いわば無駄な二重投資になる。このため、のちのOM4やOM3では、一つの測光素子で兼ねるようにした。
なお、ペンタプリズムの上に乗っているホットシューはOM1のときと同様、取り外し可能である。デザイン的には、ない方が良いので優れた仕掛けだし、万が一、この部分をぶつけたときには、車のバンパーのように衝撃吸収の犠牲になってくれる。
すべてが新時代のカメラのように見えたOM2は、しかし、開発時には想定していなかったに違いない重大な欠点があった。つまり、電子カメラとしての致命的な欠点から逃れられなかったのである。
何年かたつと、電子回路の故障が起きることが多く、しかもそのときには補修用の電気部品がなくて修理できなくなっていることだ。
私のOM2も極低速側のシャッタースピードがおかしくなっている。じつは、その後に買って使っていたOM2Nも、OM4も、それぞれ別の電子回路の故障を起こしているが、補修部品がメーカーになくなっているので修理不可能になっている。
いま、私の手許にある電子式のOMシリーズのうちで、使えるのはOM4Ti(チタン外装に黒ペイントしたOM4、電子回路も改良した)とOM4T(チタン外装のOM4、電子回路は旧式)だけになっている。なお後者のOM4Tは、設計変更以前なので、電池の消耗が激しいのが大きな欠点である。
機械式のカメラ、たとえば上記のライカなどなら、50年以上前のものでも修理が可能だ。それにくらべて、一時の便利さに飛びついた電子回路を持つカメラは、単体の電子部品やトランジスターを組み合わせたものなら、なんとか修理可能だが、なまじ集積回路やモールドされた小型回路を採用したばかりに、それらの部品が入手できなくなれば、修理には手も足も出ない。なんともはかないものである。
つまり、電子カメラは、それ以前の純機械式カメラとは違って、一生ものにはなりえない。ある日、もし故障して、その代替電気部品がメーカーになくなっていれば、高価な文鎮としての役目しかなくなってしまうのである。
その1:前編はこちらへ
その3:後編はこちらへ
その4:続編はこちらへ
(時間を見ながら、この頁を、少しずつ充実していきます)
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