島村英紀『地球環境のしくみ』(さ・え・ら書房)に掲載した写真のカラー版(島村英紀撮影)


38頁:「むかしの気象庁(東京・大手町、1963年)。気温は芝生にかこまれた白い「百葉箱」の中で、地面から1.5メートルの高さのところで測ることになっています」

この写真は、私が大学4年生のときに、地球物理学の実習で見学に行った当時の気象庁で撮ったものだ。(これはモノクロ写真です。当時はカラーフィルムは高価で、まだ一般的ではありませんでした)。

その後、気象庁は取り壊されて、この写真の左手(道のさらに左)に、いまも建っている8階建てのビルになった。下の写真の中央に見える灰色のビルだ。

気温を測っていた芝生は、いまはなくなってしまって、下の写真のように、茶色い中高層のビルになってしまっている。つまり、厳密に言えば、東京の気温は、同じところで測りつづけているのではない。この露場は、その後、こちらに移転したまま、2009年現在もビルの谷間で測り続けている。

撮影機材はNikon S。レンズはNikkor 35mmf2.5。フィルムはフジ・ネオパンSS。島村英紀が撮っていた歴史的な写真から)

このビルは、国家公務員共済組合連合会の東京共済会館(竹橋会館)である。皇居を見下ろす一等地だけに、国から国の外郭団体へ払い下げたのであろう。

そして2009年の1月。上の写真の百葉箱のところに建ったこの竹橋会館の11階から見た、同じ景色。1961年に建てられたパレスホテル(最上部に横一線の光の帯がある)が、いちばん低いビルになってしまって、右端の東京タワーまで、高層ビルが連なってしまった。

【追記】
その後、パレスホテルは取り壊されて高層ビルへの建て替えが始まり、2012年に開業した。

(撮影機材はPanasonic DMC-FZ20。レンズは40mm相当、F2.8, 1/4s)


隣の東京消防庁本部をはじめ、お堀端のほとんどの建物は、現在は建て替えられた。上の写真の中央に写っているパレスホテルだけは今と同じである。

右の写真は、上の写真の右手から気象庁に向かって撮ったものだ。気象庁の灰色のビルの左が竹橋会館、その左のビルは丸紅本社ビル、さらに左は毎日新聞とリーダースダイジェストの共同ビルである。気象庁の右の白いビルは東京消防庁の本部ビル、そのさらに右の高いビルは、三井物産の本社ビルである。

このあたりでは写真に見られるように、 いまでも、三井物産ビルよりもさらに高い高層ビルの建築がつぎつぎに進んでいる。かつては抜きんでて高かった気象庁の右にある東京消防庁の白いビルも、いまや、この辺のビルとしては低い方になってしまった。


この付近の現在の地図は


ここで測り続けているのが「東京の気温」だが、こんなにビルに取り巻かれ、道は自動車にあふれ、地下には5本もの地下鉄路線が通ってしまったいま、測っているのは典型的なヒートアイランドの気温でしかない。

つまり、昔の気温とくらべることは、不可能になってしまった。

【追記】さて、この本を出したあと、気象庁の後ろのビル群は、さらに高くなった(左の写真)。右上の写真とくらべてほしい。工事はまだ続いているから、もっと高くなるかもしれない。

こんなビルの谷間になってしまった気象庁で、「東京の気温」「東京の風」「東京の湿度」を測る意味や、昔の測定とくらべる意味があるのだろうか。はなはだ疑問になってくる。

【追記2】
その後、2008年9月に、気象庁は千代田区大手町の庁舎敷地内にある観測場所(測定している芝生のことを露場(ろじょう)という)を2013年度に皇居外苑の北の丸公園内に移転すると発表した。

気象庁は
2013度に港区虎ノ門へ移転することがきまっているが、現在の露場での観測は戦前から(上の写真のように、厳密に言えば1964年から道をはさんだ南側に移動した)行われているから、1964年からだけでも49年ぶりの移転になる。この大手町はアメダスで「東京」と表示される地点で、気温、湿度、雨量、積雪、気圧を観測している。

北の丸公園の新しい露場は新庁舎とは約3km離れてしまうことになるが、「東京」の露場は120年間以上にわたって大手町や皇居周辺にあり、同庁は「気候変化の監視を続けるには、同一地域で行うのが望ましい」との判断だった。


右の写真は2012年12月に、西新宿にある東京都庁の45階から望遠レンズで撮った気象庁界隈。左1/3くらいのところ下方にある(灰色で屋上に白いものがある)のが気象庁の8階建てのビルだ。

このように高いビルに取り囲まれてしまえば、風速や風向はもちろん、気温も、そして日照時間さえ無茶苦茶なってしまうのが、写真を見れば、明かだろう。 なお、都庁から気象庁までは 6.5 km ある。

(撮影機材はPanasonic DMC-FZ20。右上の写真は、レンズは60mm相当、F4.6, 1/640s。2008年3月に撮影、左上の写真は、レンズは48mm相当、F4.6, 1/640s。2008年7月に撮影、右下の写真は2012年12月に撮影、カメラはDMC-G2、レンズは500mm相当)


41-42頁(この写真は本にはありません。深海軟泥を採取する機械です)

【『地球環境のしくみ』(さ・え・ら書房)本文から】
「昔からの気象観測があてにならないとしたら、では、どうやって、昔の地球の気温を調べるのでしょう。これには、海の底や氷河(ひょうが)を調べるのです。

 たとえば深い海の底には、深海軟泥(しんかいなんでい)という、どろのようなものが、何百メートルも降り積もっています。この深海軟泥を特殊な機械を使って取ってくると、地球の昔がわかるのです。

 この深海軟泥は、ほんとうはどろではなくて、ほとんどは、海の中にいるプランクトンなどのごく小さな生物の死骸です。また、はるか遠くの陸地から飛んできた細かい土や砂や植物の種や花粉や、これも遠くの火山が噴火したときの火山灰もまじっています。

 この深海軟泥は、陸地から離れた深海では、とてもゆっくり、降り積もります。その早さは、一〇〇〇年に一ミリほどしかありません。ですから、深海に機械を下ろして一メートルぶんの軟泥を取ってくると、百万年のあいだに降り積もった軟泥を取ってきたことになります。

 そして、持ち帰った研究室でこの軟泥をしらべると、昔の地球にはどのくらい二酸化炭素や酸素があったかがわかるのです。

 また、昔の地球がいまより暖かかったか、寒かったかもわかります。これは、そのときの温度によって、酸素の同位体(どういたい)というものが、酸素全体の中にどのくらい入っていたかがちがってきますので、その同位体の量をはかることによってわかるのです。」

 
 本文にある「特殊な機械」というのが、左の写真にある「ピストン・コアラー」というものだ。

写真に見られるように、この機械は、長さが5メートルからときには20メートル近い長いアルミのパイプの頭に、軽自動車一台分、数百キログラム、場合によっては1トン近い重さがある金属の錘を取り付けた道具だ。

これを、海底に突き刺して、パイプの中に深海軟泥を取ってこよう、という仕掛けである。深海軟泥がある海の深さは何千メートルという深海が多いから、この道具を、海の深さよりも長い鋼鉄のワイヤーの先に取り付けて海底近くまで下ろす。

そして、海底までの数十メートルを自由落下させて、海底に突き刺すのである。

なんとも荒っぽいやり方である。海底の生物にとっては、迷惑至極に違いない。

ところで、海底がどのような状態なのか、分からないまま、この道具は海底に刺さろうとする。十分柔らかければ5メートル分の深海軟泥がとれるが、海底がもし砂地だったら、ほとんど刺さらない。

また、海底にだけ深海軟泥があって、そのすぐ下がやや硬いものだったときには、この写真のように、パイプが曲がったまま回収されることが多い。じつは、こうなってしまうことは、よくあることなのである。

観測船にとって鋼鉄のワイヤーは、たった一本しかない、高価な宝だ。これを操作する責任者は上の写真に写っている操機長である。船では「ナンバン」と呼ばれる職名である。ナンバーワン・オイラーの略だと言われている。

ワイヤーが切れたりねじれたりしないで帰ってきたから一応ほっとはしているが、また曲がってしまったか、と腕組みをしてがっかりしているのは、東京大学海洋研究所の観測船『白鳳丸』の操機長、久保田衛さん(1985年に定年で船を下り、1995年に亡くなった)だ。久保田さんは、海軍水路部から戦後、海上保安庁水路部に移り、『白鳳丸』に来た人で、とてもいかつい顔と姿ながら、じつは、とても親切で心優しい人だった。研究者がなにをしたいのか、いつも考えて協力してくれた船乗りだ。

しかし、すぐ近くでもう一度試みても、やはり曲がったり刺さらない可能性も高い。 また観測船がこの作業に使える時間も限られている。

このため、曲がって上がってきたときには、パイプの中に、たとえわずかでも入ってきた深海軟泥を、慎重に取り出す作業が必要になる。

まっすぐのパイプならば、「ピストン」状のものを上部から入れて、中の深海軟泥を下に押し出すことができる。しかし、まがってしまったときにはこの「ピストン」は使えないので、右上の写真のような作業になる。これは、パイプを金鋸(金属を切る手動ののこぎり)で、輪切りにしているところだ。

つまり、パイプの値段よりは、深海軟泥の学問的な価値の方が、ずっと高いのである。


49-50頁(この写真は本にはありません。カンアオイの葉の写真です。下の桃色のものは大きさの比較のためにおいたボールペンです)

【『地球環境のしくみ』(さ・え・ら書房)本文から】
「寒い北海道よりも、温かい九州の方が、一般に、植物の発育がよいので、温暖化するのは、悪いことではないと思うかもしれません。しかし、そうではないのです。現在は、その土地の気温に適した、たくさんの動物や植物が、おたがいに助け合いながら、バランスよく育っているのです。これが生態系(せいたいけい)というものです。

 それが、急に、温度が変わると、生態系が崩れてしまい、大半の植物や動物は、減ってしまいます。ごく一部の、もっと高い温度を欲しがっていた植物や動物だけが、増えることになります。

 たとえば気温が2℃上がることは、植物が生える場所が、150キロから550キロほど、赤道のほうにずれることになります。また、もし山地ならば、150メートルから550メートルもふもとのほうに下がることになります。植物は育つのに適した気温の方に、だんだん移住していくのですが、成長が遅い植物では、この気温の移動に追いつかないことがあります。つまり、その植物は枯れて、その場所では絶えてしまうのです。

 生態系が変わると、特定の植物しか食べない動物や昆虫は、生きのびられないかもしれません。たとえば、蝶の多くは幼虫が食べる食草(しょくそう)というものがきまっていて、それ以外は食べません。本州の里山に住む美しい蝶ですが、近頃は数が減って心配されているギフチョウは、カンアオイという草の葉しか食べられないのです。」


66頁:「ドイツ北部、北海沿いにあるリゾート地、ドーラムにも多くの風車が立っています。いまでも高いクレーンを使って増設しています」。

ドーラムはブレーメンの北方、北海岸にある小さな町です。ドイツの人たちは、ここで、短い北国の夏を楽しむのです。

なお、ドーラムの海岸の風景は、島村英紀が撮った海の風景にあります。

(2004年8月。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは187mm相当、F5.6、1/640s)



右の写真は、もう一つの候補だった写真。やはりドイツ北部の田園地帯に立つたくさんの風車。結局、上の写真を使うことになった。

【『地球環境のしくみ』(さ・え・ら書房)本文から】
 ドイツの風力発電は、日本の風力発電の一四倍もたくさん電気を作っています。(中略)

世界の風力発電の70%以上がヨーロッパにあるのです。

 ドイツは2007年現在、風力発電で2225万KWHを発電していて、これは世界一です。世界全体では、風力発電で作っている発電量は9411万KWHになります。

 風力発電は世界中で増えていて、2007年だけで前年よりも27%も増えているのです。じつは、いちばん増えた国は米国で一年で524万KWHも増やしました。これは14万KWH増えた日本の38倍にもなっています。(中略)

 島国で山もけわしくて海岸線が長く、風が強い日本は、風力発電に適しています。しかし、電力会社も政府も、風力発電にはあまり熱心ではありません。たとえば日本の電力会社は、民間が風力発電で作った電気を、あまりたくさん買い取ってくれないのです。これは、原子力発電を推し進めようとしている日本の政策のせいなのです。

(2004年10月。ドイツ、ハンブルグの郊外で。撮影機材はPanasonic Digital DMC-FZ10。レンズは132mm相当、F2.8、1/160s)


95頁:「米国西部、アイダホ州の灌漑農業。長さが数百メートルもある装置が回転しながら水や肥料をまきます。しかし地下水から塩分が出てきて畑が使えなくなってしまったので、白くなった部分の畑(右のほう)は捨てられてしまっています。」

これは、島村英紀のホームページ「定期旅客機から見た下界」に載せた写真です。

(2004年9月。米国西部アイダホ州の上空で。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10。レンズは109mm相当、F4.0, 1/800s)


105頁:「南米パタゴニアにあるペリトモレノ氷河。先端部分は幅5キロメートルあり、高さは50〜60メートルあります。この先端がつぎつぎに崩れていっています。」

島村英紀が撮ったパタゴニアの写真に載せた写真です。

その説明: ペリトモレノ氷河 Perito-Moreno Glacier の動く速さは1日に2mもあるから、昼も夜も、雷のような氷河崩壊(Calving)の音が轟く。

ペリトモレノ氷河の面積は257平方キロ。流れ下っている速さは中央部で2m/日、両端では40cm/日。押し出しの幅は5kmもある。

崩壊した氷河は、氷山となって氷河湖(ラゴ・アルヘンチーナ Lago Argentina)を下っていく。

氷河の下端の(海面からの)標高は180mほど。この辺での年平均気温は4-6℃。それでも氷河はゆっくりとしか溶けない。目の前に緑の木が茂り、花が咲いている目前に氷河が迫ってきているのは異様な風景だ。

モレノ氷河の(末端より数キロ上での)底、つまり基盤岩は700-800m。スイスのチームが制御震源地震学(人工地震)で決めた。つまり氷河の底は海面より低い。

この氷河の「舌」はこの写真を撮った2002年末以後、どんどんせり出してきて、手前の水面を完全に覆ってしまった。 そして、予想されていたように、2004年3月12日に、いままでにない大崩壊を起こした。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。レンズはTokina 19-35mmf3.5-4.5、19mmで撮る。フィルムはコダクロームKR64)

105頁:「南米パタゴニアにあるウプサラ氷河。面積は900平方キロ、淡路島の倍近くもある大きな氷河です。手前の氷河湖は1966年にはじめてできて、その後、年々、ひろがっています。」

島村英紀が撮ったパタゴニアの写真に載せた写真です。

その説明「ウプサラ氷河 Uppsala Glacier は、長さは60km、面積は902平方キロもある、見渡すかぎり拡がっている大きな氷河で、写真に見られるように左手奥と右手奥の両方から合流している。」

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。レンズはTokina 19-35mmf3.5-4.5、24mmで撮る。フィルムはコダクロームKR64)

【追記】このペリトモレノ氷河が2008年7月に、冬としてはきわめて珍しいことだったが、大崩落した


108頁:「北極海のスピッツベルゲン島(スバルバール諸島)にある氷河。真ん中の岩を氷河が削って、黒い粉にしながら流れ下っています。」

島村英紀が撮った北極海の写真に載せた写真です。

その説明:「 これも、ホルンズンドの氷河だが、小山の両側を流れ落ちてきた氷河が、写真中央の山を削って「黒い岩の粉」にして流れ落ちているのが分かる。

氷河が岩を削る力はすさまじく、それが氷河擦痕として、各地に残されている。そのひとつは南米大陸のパタゴニアにある。」

(撮影機材はOlympus OM4Ti。レンズはTokina 80-200mm f4.0、フィルムはコダクロームKR。 1998年7〜9月、ノルウェーの観測船『ホーコンモスビー』の航海で撮る。


123頁:「アッシュールバニパル王のライオン狩り(紀元前七世紀、大英博物館)」

英国、ロンドンにある大英博物館にはアッシュール・バニパル王のライオン狩りのレリーフ(浮き彫り)がいくつも展示されている。どれも、巨大な石の板に精緻に彫ったものだ。

アッシリア王国はチグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄えた。その首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェ(ニネベ)に遷都した。ニネベは、いまのイラク北部のモスルである。

(撮影機材はOlympus OM4Ti。レンズは Zuiko 40mm f2.0、フィルムはコダクロームKL。1992年3月、大英博物館にて撮影)

右の写真は、もう一つの候補だった写真。やはりアッシュールバニパル王のライオン狩り。結局、上の写真を使うことになった。

【『地球環境のしくみ』(さ・え・ら書房)本文から】
  英国のロンドンにある大英博物館には、アッシリア(いまのイラクの北東部)で、ライオン狩りをする当時のアッシリアの王族たちを石に彫った彫刻があります。

  これは紀元前一世紀ごろ、つまりいまから2600年以上も前に作られたものですが、ライオンや人々の動作が、生き生きと、みごとに描かれているすぐれた彫刻です。

 この彫刻が作られた紀元前一世紀には、アッシリアには森もあってライオンがいたころのですが、いま、この辺はいちめんの砂漠になってしまっているのです。

  人々は森の木を切り倒して家を作ったり食事を作るときの燃料にしてしまったので、森の木がなくなり、生態系が変わってしまって、砂漠になってしまいました。

 文明が進むと、農業や牧畜がさかんになります。また、それまでは石器だったのに、ずっと切れ味がいい鉄を刃物にすることによって、森の木々は次々に切り倒されていったのです。

 これらの木々は、家や家具を作ったり、燃料としてもやされたり、船を作るための材料にされました。それだけではありません。鉱石から金属を取り出すための精錬(せいれん)にも、また陶器や磁器を窯(かま)で焼いて作るためにも、木々は次々に使われ、森はどんどん破壊されていったのです。
 森は「緑のダム」ともいわれます。木の葉や木のまわりの地面が降った雨をダムのようにためこんでくれるからです。しかし森の木をこうして切ってしまうと、降った分だけの雨がいきなり流れ出すようになってしまうので、洪水がよく起きるようになります。

 また、森がなくなると、地面の表面にある土が流れ去ってしまって農業ができない土地になってしまいます。これを砂漠化といいます。

 森の木を切ることによって文明がさかんになったことはたしかでしょう。しかしその後、森がなくなってしまって文明も滅んでしまう、という皮肉なことが起きたのです。

(撮影機材はOlympus OM4Ti。レンズは Zuiko 40mm f2.0、フィルムはコダクロームKL。1992年3月、大英博物館にて撮影)


この本の目次と前書きと後書き
出版後に気がついた訂正(ミスプリント)


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