島村英紀の裁判通信・番外編

志村康之検事の雑誌論文への感想(滝澤睦夫


 島村英紀君を取り調べた志村検事が書いた、<ある「国際的」詐欺事件の捜査について>(『捜査研究』2007年6月号(東京法令出版)【実例捜査セミナー】 「ある「国際的」詐欺事件の捜査について」 前東京地方検察庁検事・志村康之)を読みました。

 「捜査研究」と言う仲間内の雑誌とはいえ、でっち上げともいえる事件について、よくも恥知らずに、臆面もなく解説したものだと、怒りより、むしろ呆れてしまいました。

 以下は私の感想です。

 論文では、事件になるかどうか内容的にも不確かで、期限的には時効が成立している過去の事案を、更に、事件の発生場所が外国の大学にまたがっていて、しかも必ずしも好ましい証言が得られないという悪条件にも拘わらず、立件して有罪を獲得したと、自分の実績を誇示している感じが強く、何のためにこの論文を書いたのか真意を疑います(勘ぐれば、こうすれば、同じようにできるよと自慢しているのかもしれません)。

 そこには、本来検事といえども法を預かるものとして、職業的な倫理観もなければ、事件の本質を探ろうとする必要な正義感も感じられません。

 日本の裁判制度の最近の傾向が、(神ならぬ)人が人を裁くしかない裁判では、最低限の条件である「疑わしきは被告人の利益」と言う原則をどんどん踏み外してきて、「国策裁判」とも、「人質司法」等とも国際的にも批判されている裁判結果が横行し、裁判制度そのものに対する国民の信頼が全く薄れている現状があればこその、検察のやり方の誇示としか思えません。

 そもそも、あの事件では、詐欺容疑というが、騙されて被害を受け人は誰もいないことは裁判の中でも明らかになりました(検察は証明できませんでした)。

  また、受け取ったお金を個人の自由に使ったとはいっても、(それは研究を進めるために使ったのであり)世間で言ういわゆる私的な用途に使ったという事実もありませんでした(もしそんな事実があったならば簡単に証明できる筈のことも、検察は証明できませんでした)。

 これらを総合して判断すると、「国家のある力が、(多分、国立大学を独立法人化してその経営を自分たちの勢力下に置こうとした一部の文部官僚でしょうか)、自分達の力を誇示しようとして、自分達の意に添わない突出して目立った一人の研究者を槍玉に挙げ、仲間の研究者の嫉妬心、部下の理不尽な恨み等を利用して、仕掛けた」といのが事件の本質であろうことは、第三者から見れば明らかです。

 検察は、立件したのは「正義のため」と言いたいでしょうが、何のための正義かは、なはだ疑問です。

 少なくとも、学問的にはもちろん、社会的にも、また国益からみても、正義はどこにも見あたりません。

 学問的には、国際的にも実績がある有名な、また何時起きてもおかしくない大地震対策を検討するために社会的にも貴重な一人の地震学者を、自分たちに都合が悪い主張をしていることから葬ろうとした、このでっち上げ事件には、正義はどこにもないはずです。

 また、この論文には、「はじめに」の中で、「読者の理解を容易にするため、事実の事例を一部省略したり、若干の変更を加えていること、意見にわたる部分は筆者の個人的見解である」と、もっともらしく一応、断ってはありますが、正義に反する立件だったのではないかという印象を持たれないように、事実をぼかしたり、都合の良い面だけ取り上げて述べている箇所が随所に見受けられます。

 このことをみても、何のためにこの論文を書いたかは、大いに疑問があります。

 

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