島村英紀の裁判通信・その14
(2006年12月5日に配信)

民事裁判の和解


11月初めに裁判が結審して、判決まで2ヶ月あると油断したわけではありませんが、編集部も徘徊ボケ老人にふさわしい野暮用に追われ、しばらくご無沙汰してしまいました。

刑事裁判とは別に、民事裁判でも北大と争っていたのですが、その結果と見解をお知らせしたいと思います。
<編集部> 


民事裁判「和解」について

05年8月12日、北大は、島村英紀を被告として、札幌地方裁判所に対して損害賠償請求訴訟を起こしました。

具体的には、島村英紀が無権限でベルゲン大学に対して海底地震計5式分の部品を売却し、その代金を得たということです。

06年10月25日、北大が島村英紀に対し2200万円を要求していたこの民事裁判で和解が成立し、島村側が1850万円の和解金を支払うこととなりました。

新聞記事などをご覧になった方々から、「刑事裁判で無罪を主張するなら、民事でもお金を払うことなんかないじゃないか」とのご意見もいただきました。新聞各紙の論調も同様でした。

そこで今回は、この「民事和解」について、私たちの見解をまとめました。

参考資料 新聞記事

地震計無断売却、元教授と北大が和解  朝日新聞 2006年10月25日

 海底地震研究の第一人者として知られる前国立極地研究所長で元北海道大学教授の島村英紀被告(64)が、北大教授時代に大学の備品である海底地震計をノルウェーの大学に売却し、代金約2000万円を自分の口座に振り込ませたとして、北大が同額の損害賠償を求めた訴訟の和解が25日、札幌地裁で成立した。島村被告が約2000万円を支払うことで合意した。

 この問題では、北大が05年4月、島村被告を業務上横領の疑いで札幌地検に告訴。同地検は06年2月、詐欺の疑いで逮捕、起訴した。刑事裁判では、島村被告は無罪を主張しているが、検察側は懲役4年を求刑、来年1月12日に判決が言い渡される予定だ。

私たちの考え方

編集部の一員もマスコミの片隅に席を置いたことがありますが、新聞や雑誌なんていい加減なものです。

島村側の取材もせずに北大の言い分ばかりを記事にしています。正確に書けば、北大の請求は2200万円、島村が払ったのは1850万円。

その差額はどうしてなのだ? と考えれば、次の取材が始まりますが、記者にいちばん大切な「WHY」と考える力が稀薄なのでしょう。

裁判で「和解」というのは、「争っている当事者が互いに譲歩して、争いを解決すること」をいいます。

一方が相手方の主張を全面的に認めた場合は「和解」とはいいません。

互いの譲歩できる所だけをピックアップして、それで折り合えれば「和解」となるものであり、従って、両者の言い分(対外発表を含めて)は最後まで食い違っていて当たり前なのが「和解」といえます。

その意味で、北大側としては、自分達の主張である「海底地震計の売却」分2200万円を今回の民事訴訟の対象としています。

しかし、島村側としては、ベルゲン大学からの共同研究分担金の受領はその以前から実施しており(金額としては約7600万円)、北大がいう海底地震計売却は、ベルゲン大学の依頼で(研究仲間であるベルゲン大学を助けるため)形式上売却の形をとっただけと主張しました。

そして、今回の逮捕・起訴で、島村グループとして続ける予定だった海底地殻の研究が継続できなくなったので、今後も研究を続けてもらうため、精算して残った研究費1850万円を北大に返却するという主旨です。島村英紀は最後の公判でこういいました。

「私は、いま、刑事被告人になったばかりか、研究を続けられなくなったことを、なんとも無念に思います。いま願っていることは、残っている研究をぜひ、ノルウェー側でも日本側でも続けてほしい、それが科学の人類に対する貢献だ、ということです」(島村英紀最終陳述)

民事では、北大側は迷走しました。はじめは「島村英紀に海底地震計の処分権限がないから」というのが主張の根拠だったのに、それを途中で取り下げただけでなく、要求していた北大あての謝罪文も、理由を明らかにせず、突然、取り下げてしまいました(弁護団の話によると、なぜか北大側が取り下げてきたのです)。

和解に応じたことも含めて、あわてて和解に持ち込みたかったよほどの事情があるのかもしれません。

あるいは内部告発のやり方やその後の恣意的な調査に対する北大内部での批判を怖れたのかもしれません。

裁判を振り返ります

北大は2005年3月、島村英紀を業務上横領の疑いで札幌地検に刑事告訴しました。

北大によると、ノルウェー・ベルゲン大との共同研究は1987年から2002年にかけて北大西洋などで行われ、島村英紀が開発した海底地震計を使用。この間、ベルゲン大から12回にわたって総額約7600万円が島村英紀に送金されたといいます。

ところが札幌地検は島村英紀を北大の求めた「業務上横領」では起訴できず、06年2月、「権限がないのに売却するといって相手を欺いて財物を交付させた」という奇妙な「詐欺」の疑いで起訴しました。

この裁判のおかしなところは、告訴した北大が、刑事事件では、被害者ではなくなったこと、そしてなぜか告訴も異議も唱えていないベルゲン大が被害者に祭り上げられたことでした(検察によって!)。

しかも「詐欺」の被害者とされたベルゲン大教授は公判で「だまされた認識はない」と証言。そして「売った」とされる海底地震計がベルゲン大に留まらず、その後もフランスや日本で使われていた事実も判明しました。

これはベルゲン大の事情による「形式的な売買」であることの証明であると考えます。

検察側は論告求刑で、「それが被告人が行う海底地震の研究費用として費消する目的であったにせよ」として、当初の「被告人は、自己が自由に費消する目的で取得したもの」を証明することができない論告となってしまったのです。

繰り返しますが、北大は「業務上横領」で告訴しました。

しかし長期間に亘る検察側の調べにもかかわらず「横領」の事実は出てこなかった。振り込まれた研究費は、研究以外に使われた痕跡が発見できなかったのです。だから「詐欺」という名目で起訴になったわけです。

検察の横暴がなければ、民事も島村側の勝訴で終わるはずでした(06年3月11日に編集部・川戸康暢が札幌に行き尾崎英雄弁護士から聞いた話。6/2発信「島村英紀裁判通信1」の<4 民事訴訟>参照)。

だからこそ、「島村も弁護団も、検察による逮捕という事態が起こったとき、何が起こったか、事態を掌握するのに時間がかかった」(尾崎弁護士)のです。これだけ優秀な弁護団にしても、「油断していた」と尾崎弁護士は述べました。

島村英紀に落ち度があったとするなら、事務手続き上の問題、つまり振り込まれた研究費を自分の口座に入れたことです。大学ではそれが長い間の慣例だったとしても、です。

ごく最近まで、外国からの研究費を北大が受け入れる仕組みがなかったことは、ある北大教授から島村に寄せられたコメントでも明らかです。

その教授は、外国からの研究費を、知り合いの会社を使って迂回して研究費を処理したそうで、「私は工学部の教授だったから、そういうルートが作れたが、理学部の先生である島村さんにはむりでしょうね」というものでした。

また北大の別の教授も、北大本部から「米国からの研究費は北大では受け取れないので、個人口座に入れよ」といわれたために、米国の研究相手に疑われて研究ができなくなってしまった、ということを島村に話してくれました。これらのコメントは裁判の中で明らかにしました。

この島村英紀の落ち度、脇が甘かったという件に関しては、最後に触れます。

島村弁護団の主張は、すべて最終弁論に記してあります。

島村英紀は研究から身を引くので、島村グループとして受け取ってきた研究費用で、島村が退官後もまだ使わずに残っていた研究費を返却しようということです。「裁判通信13」で添付した「最終弁論」のその部分をもう一度、掲載します。

最終弁論 第2-2-(5) 北大との民事事件の解決

ア 訴訟上の和解の成立

被告人は、民事訴訟において、平成18年10月25日、北大との間で1850万円の和解金を支払うことで訴訟上の和解が成立し、11月1日に同額を支払っており、北大との間の紛争は解決している。

イ 被告人が訴訟上の和解に応じた理由
(ア)本件契約の対価の趣旨

ベルゲン大学から送金された金員は、被告人をリーダーとする研究グループの研究資金(より具体的に言えば、将来にわたる海底地震計の性能維持・改良開発のための研究資金)であり、これまで長年にわたりベルゲン大学から提供されてきた研究資金と同様の性質を持つものである。

これらについては、被告人の執筆活動や幅広い研究活動と同様、北大教授という地位に付随して得られるものではなく、ベルゲン大学と共同観測を行っている研究者グループの長として提供を受けたものである(ベルゲン大学は、被告人が北大教授だから資金提供をしてきたのではなく、被告人が共同観測を行っているからこそ、資金提供をしてきたことは明白である)。

そのため、被告人には本件対価を北大に納入すべき義務はない。

(イ)被告人の落ち度

本件以外にベルゲン大学から提供された資金も含め、その額が多額に及ぶことから、これらの金員を委任経理金として処理をした方が、後の紛争を予防しつつ、自らの身を守るという点では、優れた方法であったということはできる。

そして、被告人もその方法を探ったことはあるが、経理担当者から適切な回答を得られなかったこともあり、これを断念している。

しかし、そのような場合においても、被告人としては、提供された資金を自らの個人資産とは区別して管理をし、後難を避けるべき道義上の義務があった。これを怠り、個人資産をも管理する銀行預金口座で、個人資産と混同して管理をしてしまったという点において、被告人にも落ち度は認められる。

(ウ)和解の趣旨

そして、このような落ち度が災いして、被告人は北大の告訴を受け、国立極地研究所所長の地位を辞することになったばかりか、刑事被告人として裁かれることになり、北大退官後も継続しようとしていた海底地震計開発の研究に従事することが事実上極めて困難となった。

このような状況下において、被告人は、受領した金員の一部を北大に返還することで、これら金員の本来の趣旨である研究費として活用される道が開かれると考え、和解に応ずることとしたのである。

なお、和解の金額は、民事事件の受訴裁判所の和解勧告に従って定められている。

最後に「学者バカ・島村英紀」について書きます。

この「学者バカ」という言葉は、研究者を敬愛して使っているものですので、どうかお間違えのないように。

「利口な」人間が北極海のマントルの研究などに一生を捧げるなんてできません。こういう「学者バカ」がいるからこそ、学問が進歩していくのです。

人生を「利口に」生きた私たちは、島村はじめ多くの「学者バカ」に感謝しなくてはいけないでしょう。

島村英紀は「脇が甘かった」のか?

島村英紀が研究を進めるためにいろいろと知恵を出して、それも身の危険も顧みず、かなり強引に試行錯誤しながら進めたやり方は、他人が真似できるような生半可なことではなかったと思います。

つまり、研究内容以外で他人、それも身内に、足を掬われるかも知れないと警戒する余裕などなかった、ということを少しでも理解してもらいたいと考えています。

「島村君は脇が甘かった。今回のような事件に巻き込まれないために、もっと気をつければよかったのに」というご意見もかなりいただきました。

「脇が甘い」とは、どんなことでしょうか? 自分の脇を固める方法には、何か原則はあるのでしょうか?

私の記憶にある脇を固めていた人の代表は、1960〜70年代にアメリカで消費者運動の旗手だったラルフ・ネイダー氏、台湾の選挙で選ばれた初の総統である李登輝氏です。

ラルフ・ネイダー氏については、彼を黙らせようとした反対勢力が彼の身辺を徹底的に調べたが、遂に、つけいる隙を探せなかったと聞いています。

また、李登輝氏については、彼の側近ともいうべき友人が、利権が絡む畏れのある場へは決して彼を近づけなかったから、歴史的に利権が幅を利かしてきて現在も変わらない中国(台湾)で、彼だけにはその痕跡さえなかったと、何処かで読んだことがあります。

しかし、初めから敵を想定していない、普通の人間である我々には、そんなことはできないし、また、その必要もないでしょう。

一般的に言って、「人は皆、自分の体験から得た知識が、一般の常識」と思ってしまう傾向があります。「脇が甘かった」と指摘しているのは、企業等の組織に所属している(いた)方々が多いように思います。

私自身の場合を考えれば、この危険予知能力ともいえる「脇を固めるための知識」のほとんどは会社に入ってから学んだことです。

それに、組織がしっかりした会社(日本の一流企業はほとんど同じですが)では、組織的に内部牽制制度がしっかりしていて、新入社員でも容易にその意義がわかる仕組みになっていますし、上司、先輩からもOJTで教わります。

たとえば、外部からものを購入するとき、発注、納品、検収、支払いのそれぞれの機能を担当する部門は、組織的に別になっています。

これは、業務が不定期で、仕事が通常の流れに乗り難い研究・開発部門に関しても、上記の部門が兼務するなどして、同じ形態をとっています。

また、研究・開発部門ではときどき起こる、今まで経験していない変則的な事態が生じても、経理、購買など上記担当部門が自分たちの責任において何らかの知恵を出して処理してくれます。つまり、支援組織が有り、きちんと機能してくれているわけです。

では大学の研究者の場合はどうでしょう。

物品購入などの通常の事務処理業務に関しては、もちろん、きちんと処理してくれる担当部門があるでしょう。

しかし、各研究者が、いわゆる事務処理関係の業務について、企業内のように仕事を通じて「脇を固めるための知識」の教育を受ける機会は、ほとんどないといってもよいでしょう。

また、今回の事件の場合(海外からの送金の受け入れ)のように変則的な事態となると、北大の経理部門が責任を回避して、自分たちでは知恵も出さず処置も採らなかったように、支援組織はないといった方がよいようです。

前に島村英紀本人から聞いた話ですが、海底地震計を海外の観測地へ観測の期日に間に合うように送る場合、「航空便か船便か、また、安い帰りの便をよく使うが、どの便を使って何処経由で送れば、いちばん安くて確実か、日本中でそのノウハウがいちばんあるのは自分たちではないかと思う」と笑って話してくれたことがありました。

私の在職中の経験では、海外でしか耐久試験ができない超大型の建設機械の海外での試験中に、緊急に不足部品を現地に送らなければならないことが何度かありました。

しかし、そんな場合でも、部品リストを添付して担当部門宛に依頼書を書くだけで、後は、専門業者の選定、見積もり、輸出手続、発送まですべて担当部門に任せればやってくれる仕組みになっていました。

しかし、大学の研究室ではすべて自分たちで手配しなければならないようです。

つまり、大学の研究者は、研究を進めるため何か従来と違うことをやろうとすると、支援組織もほとんど機能せず、すべて自分たちで試行錯誤しなければならず、「脇を固める」などということに気を遣っている余裕はないのだろうと同情します。

むしろ、研究者として脇を固めなければいけないのは、熾烈な先陣争いをしている分野、即ち研究に関する範囲でしょう。

その点、競争相手を騙したり、陥れかねない研究の先陣争いについては、島村英紀の著書『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』(1988年12月(株)情報センター出版局)や『日本海の黙示録―地球の新説」に挑む南極科学者の哀愁』(1994年3月(株)三五館)などの随所に出てきます。

島村英紀は、研究に関する範囲では、隙を狙っている相手に対しては「きちんと脇を固め」て防御してきたばかりでなく、ベルゲン大学の前教授セレボール氏などの信頼できる相手とは良い関係を築き、日本はおろか世界中の研究者が真似ができないほど研究の幅を広げてきたからこそ、世界的な評価を得たのだろうと思われます。

研究の範囲を広げるためには、事務手続きの面まで何から何まで自分たちが試行錯誤で処理しなければならない大学の研究者に、「そこでも脇を固める必要がある」と要求するのは、酷というものではないでしょうか。

問題は大学の研究者に対する支援機能の欠陥であり、政府が唱える技術立国を進めるためには、その改善こそ必要であるという良い例でしょう。

研究支援についての今の状態は、今回の教育基本法改正と同じく、まさに「仏作って魂を入れず」の典型的な見本で、「技術立国」などお題目に過ぎません。

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