
1:写真は2008年6月。新緑の桐陰寮の入り口。
桐陰寮は、私が卒業した高校の山の寮だ。
もともとは1929年に開かれ、いまだに、その当時作られた、築80年にもなる老朽化した木造の建物を使っている。
開寮当時はいまの高校の前身である東京高等師範学校附属中学校(高師付中)が「高原寮」という名で作ったものだった。当時の地番は長野県芦田村(いまは長野県北佐久郡立科町)であった。
最近は周囲には慶応大学、愛知学院大学、東京都清瀬市などあまたの保養施設があるが、開寮当時は、まわりにはなにもなかった。生徒たちも、数時間歩いて、寮に入ったのであった。
写真に見られるように、現在はバスが開通している。だが、バスは、上り下りとも、一日2本しかない。
【追記】その後、佐久平行きの千曲バスは、この一日二便から、2009年になって撤退してしまった。いまは、岩村田行きの岩村田町営バスがあとを継いでいる。
(撮影機材は Panasonic
DMC-FZ20、レンズは36mm相当、ASA150、f6.5、1/80s)
。

2:写真は2009年3月。八子ヶ峰(やしがみね、約1880m)から八ヶ岳を望む。
中央でひときわ高いのは八ヶ岳連峰のうちで最高峰の赤岳(2899m)。
ここからは富士山は八ヶ岳の右側の裾野の陰になってしまっていて見えないが、この写真の右手にある霧ヶ峰からは見える(下の写真:5)。
(撮影機材は Panasonic
DMC-FZ20、レンズは36mm相当、ASA80、f5.6、1/1000s)
。

3:写真は2009年3月。霧ヶ峰・車山から八ヶ岳の主峰を望む。
中央は赤岳、その右は阿弥陀岳(あみだだけ)。2805m。八ヶ岳では横岳に次いで3番目に高い山だ。
国道299号は、長野県茅野市から、群馬県多野郡上野村を経由して埼玉県入間市に至る国道である。その一部は、かつて武州街道と呼ばれた。
この国道は日本の国道で二番目に標高の高い峠(標高2127m)を超える。この峠は写真の八ヶ岳を超える(長野県茅野市と佐久穂町の境である)麦草峠だ。なお、日本の国道の最高地点は国道292号渋峠の2172mである。
(撮影機材は Panasonic DMC-FZ20、レンズは250mm相当、ASA80、f5.6、1/1600s)

4:写真は2009年3月。桐陰寮近くの南平(なんだいら、標高は約1500m)から見た蓼科山(2530m)。
(撮影機材は
Panasonic DMC-FZ20、レンズは157mm相当、ASA80、f5.6、1/1300s)

5:写真は2009年3月。霧ヶ峰・車山から富士山を望む
このように、北西側から見た富士山は、東京など東側から見たときと違って、”おでき”のような宝永火山の出っ張りがないので、左右対称で美しい(積雪は左=北側のほうが多いが、形としては対称である)。
(撮影機材は Panasonic DMC-FZ20、レンズは413mm相当、ASA80、f5.6、1/1600s)
6:写真は2009年3月。南平の展望台から木曽御岳山(3,067m)を望む。
この山は死火山だと思われていたが、1979年に噴火して、活火山だったことが判明した。その後、死火山、休火山、活火山という区別をなくした契機になった噴火である。
(撮影機材は
Panasonic DMC-FZ20、レンズは350mm相当、ASA80、f5.6、1/1600s)

7:写真は2009年3月。南平の展望台から北アルプス・槍ヶ岳(左のピーク。3180m)を望む。
槍ヶ岳の右側には大天井岳(おてんしょだけ。2922m。常念山脈の最高峰)が見える。
手前の山は霧ヶ峰・車山。
(撮影機材は Panasonic DMC-FZ20、レンズは432mm相当、ASA80、f5.6、1/1600s)


蓼科山(標高2530m)の西南の山腹には南平と呼ばれる標高1500mほどの高原が広がっている。季節のそれぞれで豊かな表情を見せるが、秋はことさら美しい。
写真は、山道に舞い降りたヤマブドウの紅葉。
(撮影機材は
Panasonic DMC-FZ20、レンズは36mm相当、ASA200、f2.8、1/25s)
。
右の写真は霧のカラマツ林。やはり秋の光景。
カラマツの紅葉は、落葉樹の紅葉の最後になる。カラマツが葉を落とすと、雪が訪れる。
(島村英紀が撮ったシリーズ「道」
から)
(撮影機材は Panasonic DMC-FZ20、レンズは54mm相当、ASA200、f2.8、1/100s)
。
蓼科山は八ヶ岳火山列の最北部の山である。
その蓼科山のすぐ北に、トキン岩という奇岩がある。写真のように鋭く聳えたっていて、頂上には小さな社(やしろ)がある。標高は2013mある。
この岩は硬い岩脈だけが浸食されずに残ったもので、いわば、まわりの柔らかい岩がなくなった”ハダカの骨組み”である。その意味では、岩頸(英語ではプラグ)と似たようなものだ。
地下のマグマが噴出して岩脈になったのは数十万年前だと思われている。
この岩は蓼科山の北側にぽつんと飛び出しているために、佐久盆地とその先にある浅間連山を目の前に眺めることができるほか、北アルプスをはじめ北信の山々、関東北部、妙義・荒船山系までもよく見える。しかし、高所恐怖症気味の人は登らないほうがいいだろう。
写真中央部先方の馬の背は蓼科山と横岳の間にある大河原峠(標高2093m)、その先に見えるのは八ヶ岳の一部である。
(2009年11月。初雪後の晩秋に撮影。下に見えるカラマツはすっかり葉を落としてしまっている。撮影機材は Ricoh Caplio R1、レンズは28mm相当、ASA100、f3.3、1/190s)
。

蓼科山の山腹は、自然林と、一部のカラマツの植林による森に覆われている。
森の中には、この写真のような、見事なモミ(樅)の木も、所々に生えている。樹齢が150年を優に超えるような大木である。
しかし、この写真の大木をはじめ、8本のモミの木が、2010年の春に切り倒されることになっている。それは7年に一度行われる、長野県諏訪市にある諏訪大社の御柱祭(おんばしらさい)のためである
。
この御柱祭のために使われるのは、巨大なモミの木と決まっている。山の中で候補になるモミの木を探して、写真のように”予約”の木札を取り付けてあるのだ。
写真はナンバー1のモミ、以下8番目までのモミが、蓼科山腹で予約されている。この8本を見て回るのには、ほぼ半日を要する。つまり、かなり広い範囲で探して、太くて高い木を選んで印をつけたということだ。
ところで、この御柱祭は、日本でもっとも野蛮な祭りである。これらの木を切り倒した巨大な丸太に男たちがまたがり、斜面を滑り降りる、というものだ。
この天下の奇祭には、もちろん多数の観光客が集まる。長野県は、これも7年に一度だった2009年の長野市の善光寺の開帳に続いて、観光客の誘致に力を入れている。
しかし誰が考えても危険なもので、近年を含む過去に、多数の負傷者と死者を出してきた祭りである。平安時代以前から続いている、昔からの祭りだ。
森の中で切り倒された大木は、神事の一部として人力で運んだ昔と違って、森からは重機で運び出される。もちろん、森も傷むし、そもそもモミの大木を森は失うことになる。
切り方は、まず「よき」という薪割りに似た斧(おの)である程度切り、その後大きな鋸(のこぎり)で切る。昔ながらの方法である。
じつは、この写真のモミから約1kmほどのところでも、一回前の御柱祭のために、巨大なモミが切り倒されて、無惨な切り株が残っている。
(2009年11月。撮影機材は Ricoh Caplio R1、右上の写真はレンズは28mm相当、ASA150、f3.3、1/15s、左の写真はレンズは28mm相当、ASA150、f3.3、1/18s)
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