北海道新聞・文化面、2003年9月30日夕刊

マグニチュード8 十勝沖地震 発生周期に残る謎
---- 52年下回った津波被害 震源海域の水深が影響

 去る9月26日早朝、マグニチュード8の巨大地震「2003年十勝沖地震」が北海道を襲った。

 この2003年十勝沖地震は、起きた場所も、地震のメカニズムも、1952年3月4日に起きた「1952年十勝沖地震」と同じである。いわゆる海溝型大地震であった。

 じつは、1968年5月16日に起きた「1968年十勝沖地震」は、起きた場所が違う。マグニチュード8クラスの巨大地震にはそれぞれの縄張りがあり、その縄張りの中で地震のエネルギーが貯まっていって、貯まったエネルギーがやがて巨大地震で解消される、という繰り返しがある。

  1968年の十勝沖地震は、今回の地震や、1952年の十勝沖地震のすぐ西隣の縄張りで起きた地震だった。ちなみに、今回の地震の東隣の縄張りでは根室半島沖地震(1973年)が起きている。

 縄張りの中に地震エネルギーを貯めていく元凶は太平洋プレートである。厚さ150キロほどあるこの岩盤は東太平洋で生まれ、1億年あまりの旅をして北海道沖にある千島海溝に達し、そこで、北海道を載せているプレートと衝突をしている。

  太平洋プレートは毎年10センチほどの速さで動き続けているから、衝突のエネルギー、つまり地震のエネルギーが貯まり続ける、というわけなのである。その意味では、今回地震が起きた場所に、いずれ巨大地震が起きるのは時間の問題であった。

 しかし、私たち地球物理学者にとって意外だったのは、この地震が起きた時期であった。いままでの地震学の常識によれば、マグニチュード8クラスの巨大地震が起きてから、次の巨大地震が起きるまでには、短くても80年、長ければ120年以上の時間が必要だと思われていたのである。今回の地震は51年しか経っていない。

 なぜ、こんなにも早く、「次」が起きてしまったのだろう。もしかしたら、1952年の地震では壊れ残った部分があって、それが今回、壊れたのか、あるいは、地震のエネルギーが貯まっていくメカニズムに何かの変化が起きていたのか、これから解かなければならない謎である。

 1952年の地震では、津波の高さは厚岸(釧路管内)で6.5メートルに達するなど、津波でも大被害を生んだ。今回は、マグニチュード8という海溝型の巨大地震が起きたにもかかわらず、津波の被害が前回ほど大きくなかった。

 今回の地震は1952年の地震の再来とはいえ、震源の広がりが微妙に違った。今回の方が震源がわずかに深く、わずかに陸寄りの海底下で起きたのである。津波は震源の真上の海底で生まれて四方八方に伝わっていくが、深い海で生まれるほど、陸地に向かって増幅される、

  つまり波高が高くなる性質を持っている。前回は4000メートルを超える水深のところ、今回は2000メートルから1000メートルという水深のところで津波が生まれた。この違いが明暗を分けたのである。

 マグニチュード8とは、日本を襲う可能性がある地震のうちでも最大級のもので、地震のエネルギーからいえば、6400名余の命を奪った阪神淡路大震災を起こした兵庫県南部地震(1995年)の20個分、230人の死者・不明者を出した北海道南西沖地震(1993年)の2個分にもなる大地震であった。

 今回の地震は、最大級の地震だったわりには被害が限られていた。1952年の地震のときは早春で、道東の霧多布(釧路管内浜中町)では津波が運んできた厚さ2メートルもの流氷で家が壊される大被害を被ったり、災害復旧が雪解けまで遅れた。

 しかし、マグニチュード8の地震があんなものか、とは決して思わないでほしい、それが地震国日本に生きる知恵のはずだ、と地球物理学者である私は思う。

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