島村英紀『夕刊フジ』 2015年6月12日(金曜)。5面。コラムその106 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

震源の深さに救われた過去の首都直下型

 先月の末、首都圏直下型地震があった。埼玉県北部が震源で、最大震度5弱を記録した。

 マグニチュード(M)が5.6、震源の深さが60キロメートルと、小さめの地震でしかも深かったから被害はほとんどなかった。

 震源は首都圏の「地震の巣」のひとつで、茨城県南西部と千葉県北部と埼玉県北東部が近接しているところだ。茨城・鹿島神宮や千葉・香取(かとり)神宮が地震ナマズの頭と尻尾を重ねて、そこに「要石(かなめいし)」を置いているように、昔から地震が多い場所として知られている。

 首都圏は北米プレートに載っているが、その地下に東から太平洋プレートが衝突し、さらに南からフィリピン海プレートがぶつかってきているところだ。しかもすぐ南西にはユーラシアプレートがあり、その上には西南日本が載っている。これほど複雑なところは世界でもまれだ。

 このため、それぞれのプレートが固有の地震を起こすほか、複数のプレートの相互作用でも地震が起きる。つまり首都圏は「地震が起きる理由」がとても多いところなのである。

 19世紀以後だけでも1855年の安政江戸地震(M7.1)は日本の内陸で起きた地震としては最大の1万人近くの死者を生んだ。1894年の明治東京地震(M7.0)は死者31、1895年の茨城県南部地震(M7.2)は死者6。そのほか1921年の茨城・竜ヶ崎地震(M7.0)、1922年の浦賀水道地震(M6.8)も起きた。

 いずれも首都圏を襲った直下型地震だ。しかし安政江戸地震以外は幸いにも震源は深く、明治東京地震は50-80キロメートル、茨城県南部地震は75-85キロメートル、竜ヶ崎地震は53キロメートル、浦賀水道地震は50キロメートルであった。つまりこれらM7クラスの地震は直下で起きたにもかかわらず、幸いにも震源が深かった。それゆえ、地震の規模の割には被害が限られていたのである。

 いままで日本で起きた地震のなかで震源がもっとも深くて被害を出した地震は1952年に奈良県で起きた吉野地震である。震源の深さは70キロメートルだった。9名の死者のほか負傷者139名、住宅全壊20棟など、被害は近隣の和歌山県から遠くは石川県まで10県に及んだ。東京でも震度1-2だった。Mは約6.8とされているが、もっと大きかったという説もある。これ以上深い地震で大きな被害を生んだことはない。

 首都圏でこの200年間に起きてきた直下型地震の多くは、この5月に埼玉県北部で起きた地震と同じく「深さ」に救われてきた。

 だが、これから起きる直下型地震がいつも震源が深いわけではない。

 もしかしたら安政江戸地震のように震源が浅く、たとえ同じMでも震源の真上では大変な被害を生んでしまうかもしれないのである。

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