島村英紀『夕刊フジ』 2015年9月18日(金曜)。5面。コラムその120 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

最前線の研究者も大地震の前には無力だった

 トルコを東西に走る北アナトリア断層は、長さ1000キロもある活断層だ。

 1939年にこの断層の東の端で大地震が起きたあと、約60年間にマグニチュード(M)7 〜8の大地震が西に移動しながら7つも起きた。

 この「西方移動」ゆえ、1967年の大地震の西に次の大地震が起きるにちがいないと各国の地震学者の注目を集めていた。

 その東隣ではその10年前、さらに東隣ではその13年前にそれぞれ大地震が起きていたから、次の地震は70年代か遅くとも80年代だと考えられた。地震予知のデータを集めるために1980年代になってからドイツ、英国、そして遅ればせながら日本の地震学者も参入した。科学は、その最前線で闘っている学者にとっては「競争」なのである。

 しかし1980年代まではなにごともなく過ぎた。このため1990年代の始めに英国は研究費が尽きた。撤退したのだ。

 この大断層は一本の帯としてトルコを横断しているが、西端だけは南北に枝分かれしている。

 どちらに地震が起きるかは予想出来なかった。これは賭けだった。ドイツが先に断層の北の枝に展開し、遅れて南の枝に日本は観測網を敷いた。

 そして1999年、予想された大地震が起きた。M7.6のコジャエリ地震。45000人もの死者が出た。

 大地震が起きたのはドイツの観測網のすぐ近くだった。地震の直後に欧州での学会で私に会ったドイツの観測の責任者Z先生は「勝った。これで16年も待った甲斐があった」と言った。

 不謹慎に聞こえるに違いない。だがこれは、結果を予測して現象が起きるのを待っていた自然科学者としての率直な感想なのだろう。

 物理学や天文学ならば、同じことを言っても天下に恥じることはない。ほかの科学ならば幸運を喜ぶべき場面でも、素直に喜んではいけないのが地震や火山や台風など、災害に関係する科学者なのである。

 ドイツはそれまでに地震、地殻変動、地球電磁気、地下水の化学成分など、考えられるあらゆる観測を展開していた。それまで世界各地で各国の地球物理学者が地震の前兆を捕まえたという報告があった観測のほとんどすべてであった。ドイツ流の完璧さだった。

 だが事態は一挙に暗転した。地震後に調べたどの自記(機械が自動的に記録する)観測器にも前兆は記録されていなかったのだ。日本の観測網も同じだった。

 その後、Z先生はドイツで針の筵(むしろ)に座ることになった。研究費は打ち切られてしまった。

 ドイツのZ先生と日本の観測の責任者であるH先生のトルコでの評判は地に墜ちた。地震予知の研究というのでトルコを地震から救ってくれる救世主に見えたのに、二人とも事前にはなんの警告も出してくれず、午前3時という人々が寝静まっていた最悪の時刻に、大地震が人々を襲ったからだった。そもそも、ともに自記記録でリアルタイム記録ではなかった。

 さて、どこで、いつ次の大地震が起きるのだろう。それは、誰にも分からない。

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