島村英紀『夕刊フジ』 2015年10月30日(金曜)。5面。コラムその126 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

宝永地震で300年の時を超えた新事実 大阪だけで死者21000人

 10月28日は宝永(ほうえい)地震(1707年)が起きた日だ。

 この地震は恐れられている南海トラフ地震の「先祖」の超巨大地震だった。

 300年も前の地震だったのに、ごく最近も発見があった。大阪だけで21000人もが犠牲になったというのだ。いままでは全国での死者数が2万人以上と考えられていたので、全体で倍になる数字である。

 当時、大阪は天下の台所と呼ばれ栄えていた。当時人口約35万人あったが、死亡率6%というのは大変な数字だ。日本の地震史でも例が少ない高い数字である。

 宝永地震は学問的に研究途上で学説は定まらないことが多く、新しい説が次々に出てきている。

 地震計のない時代だったから、震源の位置や広がりが正確にわかっているわけではない。

 たとえば震源が駿河湾に入っていたかどうか、つまり以前から発生が懸念されている東海地震の領域も含んでいたかどうかは学説が分かれている。恐れられている南海トラフ地震への対策のためにも、震源の特定は重要なことだ。

 南海トラフ地震には、分かっているだけで13回の「先祖」があった。分かってきたことは、その先祖には大きさも震源の広がりも、いろいろあったことだ。

 最後に起きた東南海地震(1944年)と南海地震(1946年)は大きな被害を生んだものの、地震としては明らかに小さめのものだった。

 その前は1854年に32時間おいて起きた安政東海地震と安政南海地震。1940年代の地震より大きかったが、宝永地震よりは小さかった。

 宝永地震の約200年前の1498年に起きた明応(めいおう)地震も、いまの三重県にあった大きな港町がすべて消えてしまったほどのとてつもない大津波を生んだ。以後200年間も人が住めなかったほどだ。

 宝永地震は潰れた家が6万軒以上、津波で流出した家が3万軒にのぼった。いままで死者は全国で2万人以上とされていたが、大阪で新史料が見つかったので倍になった。

 地震による震害は東海、近畿、中部、四国、信濃(いまの長野県)、甲斐(いまの山梨県)の国々で甚大で、さらには北陸、山陽、山陰、九州にも及んだ。

 また津波は関東から九州までの太平洋沿岸や瀬戸内海を襲って甚大な被害を生んだ。津波は八丈島も襲って被害を生んだ。

 津波の被害が一番多かったのは高知沿岸や紀伊半島や伊豆半島西岸だった.。震源から離れた伊豆半島の東岸にある伊豆下田でも912戸のうち9割以上が流失した。

 また、地震の翌朝には静岡から山梨に被害が出た誘発地震も起こした。そして49日後には富士山が噴火した。現代に至るまでの最後の噴火で、富士山の三大噴火のひとつだ。

 最近の学説では約200年ごとに大きな地震が起きるのではないかと言われている。宝永地震はもっとも大きなものだった。

 さて、今度来る南海トラフ地震はどうだろう。近年のものより大きくて2011年の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)なみの影響を及ぼす大地震かもしれないのだ。

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