島村英紀『夕刊フジ』 2016年7月15日(金曜)5面。コラムその159「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

巨大地震でダムは凶器と化す
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「巨大地震でダムは凶器と化す 老朽化したダムの耐震性を再点検する必要」

 さる4月に起きた熊本地震で、山中にある水力発電所・黒川第1発電所(熊本県南阿蘇村)の貯水施設が壊れ、大量の水がふもとの集落に流出した。

 このため、集落では、少なくとも民家9戸が壊れ、2人が亡くなった。水は4月16日のマグニチュード(M)7.3の地震直後に流出し、推計で約1万トンにもなった。

 この問題で5月24日、発電所を運転する九州電力の熊本支社土木部門の技術部長ら幹部2人が、地元の新所(しんしょ)地区の区長の避難先を訪ねて謝罪した。同社が住民に謝罪するのは初めてだった。

 しかし九電は斜面が崩落して新所地区の2人が死亡したことと水の流出との因果関係は「調査中」としている。

 大量の水を湛えているダムが地震で崩壊したら、この熊本黒川第1発電所に限らず、大きな被害を引き起こすことがある。

 2011年の東日本大震災のときの福島県須賀川(すかがわ)市にある藤沼ダムの例がある。震災と原発事故の報道の陰に隠れてしまったが、地震直後にダムが決壊して大量の水が下流を襲った。

 濁流が家屋をのみ込んで7人が死亡、1歳の男児1人が行方不明になった。また家屋19棟が全壊・流失し、床上・床下浸水した家屋は55棟にのぼった。水だけではなく流木による破壊も激しかった。

 このダムは太平洋から内陸に約75キロ入ったところにある。ダムの高さは18メートル、幅は133メートルだったが、地震とともにダムが全幅にわたって決壊してしまったのだ。

 当時、ダムは田植えの時期をひかえてほとんど満水だった。このため約150万トンもの水が、多くの樹木を巻き込んだ鉄砲水となって下流の集落を襲った。ダムの下流約500メートルのところにある滝地区でも高さ2メートルを超える泥水の痕跡が残った。

 しかも地震後約一時間後に襲ってきた東日本大震災の津波と違って、ダムの決壊による鉄砲水は、地震後すぐに襲ってくるものだから恐ろしい。

 ダムにも「設計基準」というものがある。1957年に制定され、以後、改訂が続いている。

 だが藤沼ダムは最初の制定前、1949年に完成した古いダムだった。灌漑(かんがい)に使う農業用水のためのもので、土を台形状に固めた「アースフィルダム」である。

 日本には農業用に作られた古いダムも多い。たとえば1854年に起きた巨大地震、安政南海地震でいまの香川県にあった満濃池(まんのういけ)が決壊した。これも高さ15メートルを超す大きなダムだった。安政南海地震は、恐れられている南海トラフ地震の先祖のひとつだ。

 水力発電所にも設計基準がある。通商産業省(現経済産業省)は、1965年に水力発電所の耐震性を定めた技術基準を作った。だが1914年から稼働している黒川第一発電所の貯水槽は、それ以前に作られていたために、適用外とされていた。

 老朽化したダムの耐震性を再点検する必要があろう。地震のときのダムは凶器になるのだ。


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