島村英紀『夕刊フジ』 2016年11月11日(金曜)5面。コラムその173「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

安政江戸地震と天才絵師
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「安政江戸地震と天才絵師・国芳 幕府を風刺」

 11月11日(新暦)は安政江戸地震(1855年)が起きた日だ。この地震は江戸の中心部に甚大な被害を生み、日本の内陸で起きた地震で最大の死者を出してしまった。震源は隅田川の河口付近だった。

 だが、これだけの大被害を生んだ都市直下型地震だったのに、被害が集中したのは比較的狭い地域だけだった。

 埋立ての歴史の浅い隅田川東岸の深川などでは、甚大な被害を生んだ。また、日比谷から大手町、神田神保町、現在の皇居外苑である西の丸下といった谷地や川を埋め立てた地域でも、建っていた大名屋敷が軒並み全壊してしまった。

 現代の地震学の知識からすれば、被害が集中した地域は沖積層が厚いところだったのである。

 他方、山手地区は台地の上なので被害はそう多くはなかった。意外なことに日本橋地区の大半や銀座などでは元は海だったのに被害が小さかった。これは埋没した洪積台地が地表面のすぐ下にあったためだと考えられている。

 これらの「教訓」は、これから襲って来る首都圏直下型地震にも、もちろん当てはまるにちがいない。

 ところで、歌川国芳(1798-1861年)がブームだ。庶民に受ける錦絵(色鮮やかな多色刷りの浮世絵)を多数描いて一世を風靡した。江戸時代末期の浮世絵師。江戸時代末期のスターだった。

 だが、天保の改革で風紀粛清が謳われて浮世絵も役者絵や美人画が禁止されてしまった。これは画家にとっても大打撃だった。

 しかしその後も国芳は、いろいろな手法を使って禁令を巧みにくぐり抜けた。幕府を風刺する国芳に江戸の人々は大きな喝采を浴びせた。

 その国芳を見込んで、新吉原の岡本楼の主人が浅草寺に奉納するための絵馬を依頼した。出来たのは「浅茅が原(あさじがはら)の一つ家」。縦228センチ、横372センチの大きなもので、桐板に金箔押し地の豪華な絵だ。いまでも浅草・浅草(せんそう)寺が持っている。

 江戸浅草の橋場町あたりは、かつては浅茅ヶ原と呼ばれたさびしい場所だった。旅人たちはここの唯一の人家に宿を借りた。家には老婆と若く美しい娘の2人がいたが、じつは老婆は非道な鬼婆だった。旅人を泊めて、寝床を襲って石枕で頭を叩き割って殺害し、亡骸(なきがら)は近くの池に投げ捨て、奪った金品で生計を立てていた。

 ある日、稚児(ちご)が宿を借りた。老婆は寝床についた稚児の頭をいつものように石で叩き割った。だが亡骸をよく見ると自分の娘だった。娘は、自分の命をもって老婆の行いを諫めようと稚児に変装したのだった。

 岡本楼の主人がこの絵馬の礼に国芳を招き、一夜の泊を勧めたが、国芳は固辞して帰った。

 その晩に起きたのが安政江戸地震だった。岡本楼は倒壊してしまった。

 なぜ、国芳が宿泊を拒否したのか、大地震の虫の知らせがあったのかは記録に残っていない。

 結局、国芳は難を逃れたことになる。そうでなかったら、国芳の一生はこの地震で終わっていたかもしれない。

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