島村英紀『夕刊フジ』 2016年12月9日(金曜)5面。コラムその177「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

三原山に迫る”次の噴火”
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「三原山に迫る“次の噴火” 全島避難から30年」

 伊豆大島の火山・三原山が噴火して全島避難をしてから11月末で30年になった。

 三原山はこの200年間、36〜39年の周期で中規模の噴火を繰り返してきているから、次の噴火が近づいている可能性がある。全島避難を想定して、住民4000人が参加して避難訓練が行われた。

 伊豆大島は東京から南西へ110キロ、直径10キロほどの楕円形の島だ。最高峰三原山は758メートルだが、見えていない海中部分を入れれば2000メートルを優に超える火山の頂上部分だけが顔を出している島なのである。

 関東地方から南へ「東日本火山帯」が延びている。富士山や箱根もその一部だが、伊豆大島、三宅島、八丈島といった離島をはじめ、西之島新島など、多くの火山がこの火山帯に属している。

 火山の山頂部分だけが海上に顔を出している島は、どれも噴火があったら逃げ場がない。

 東京から580キロ南にある鳥島では、かつて島民125人全員が噴火で死亡しているのが見つかったことがある。1902年8月のことだ。島民は、アホウドリを捕獲するために移住していた。

 そのあと鳥島は無人になり、気象庁の観測所が置かれて、その職員だけが常駐する島になっていた。ここは南方海域での重要観測点だったのだ。

 だが1965年になって地震が頻発しはじめた。また火山が噴火するのではないかとの恐れが強まった。ここでは、記録に残っているものだけでも1871年、1902年、1939年に噴火した。その後も1998年、2002年に噴火している。

 このため気象庁の気象観測船「凌風丸」が荒天の中を近づき、気象庁の職員全員を救出した。大変な作業だった。鳥島はコップを伏せたような形で断崖に囲まれていて、大型船が着ける埠頭はない。

 その後も安全が確認されないので観測所を廃止して、以後、島は再び無人になっている。職員が退避したときに置き去りになっていたニワトリが野生化して、空を飛ぶようになっているという。

 話は伊豆大島に戻る。1986年当時約1万人いた全島民は都内23区の避難所などに分散して島外避難を余儀なくされた。この避難は約1カ月間続いた。

 じつは11月に始まった噴火の初期には、噴火を見ようと5000人を超える観光客が伊豆大島に押し寄せた。観光以外には目立った産業がない島は歓迎ムードに包まれた。立ち入り禁止区域に指定されて営業できなかった商店では、営業許可を求めて町役場に陳情したほどだった。

 だが、このとき噴火はたまたまの小康状態だった。そして11月20日には科学者も予測できないまま、爆発的な噴火が始まった。犠牲者が出なかったのは幸運だった。

 そもそも、中規模の噴火を繰り返してきたというのも、近年だけのことだ。伊豆大島では過去、もっとずっと大きな噴火もあった。たとえば1777〜1778年に起きた「安永の噴火」は火山からの噴出量が東京ドーム250杯分を優に超える大規模な噴火で、1986年の噴火よりもはるかに大きかったのである。

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