首都圏の地震 少ないのは異例
人は一生の間に何度の大地震を体験するものだろうか。
大正時代までの首都圏では、人々は四、五回以上の大地震を経験することが多かった。
私の友人は何世代にもわたって東京の下町に住んでいるが、その家には曾祖母の言葉が言い伝えられている。「大正関東地震(1923年)の揺れは大したことはなかった、前々回に書いた安政江戸地震(1855年)のほうがよほどすさまじかったよ」という言葉だ。曾祖母はこのほか前回に書いた東京地震(1894年)も体験していた。
曾祖母は関東地震のあと、東京が炎上するさまを見ながら「安政のときは揺れはすごかったのにこれほど燃えなかったのにねえ」と言っていた。都市化することは、たとえ同じ大きさの地震に襲われても「震災」が大きくなることなのである。
たしかに、東京の下町の揺れは、直下型地震である安政江戸地震のほうがすさまじかった。また直下型ゆえ、短周期の強い揺れが特別に大きかった可能性が高い。
当時はいまよりも日本人の平均寿命ははるかに短かった。それでも一生の間に何度も大地震に遭ったのである。
じつは首都圏の地震は、大正関東地震以来、不思議に少ない状態が続いている。
厳密に言えば、大正関東地震後6年間だけはM6クラスの地震で東京で震度5の地震が3つあった。
しかしそれから大地震がぱったりなくなった。約60年後の1985年の茨城県南部に起きたM6.0の地震まで震度5を感じたことは一度もなかったのである。その後も2011年の東日本大震災のときの5強まで2回しか震度5がなかった。
だが大正関東地震以前は違った。江戸時代から大正時代には、地震ははるかに多かった。江戸時代中期の18世紀から24回ものM6クラス以上の地震が襲ってきていたのだ。平均すれば、なんと6年に一度にもなる。
以前、元禄関東地震(1703年)の話をした。大正関東地震の「先代」で、同じ海溝型地震である。じつは、この地震の後も数年の間だけ大地震が続いた後、ぱったり地震がなくなった期間が約70年ほど続いたのだった。
そして、その「休止期間」のあと地震が増えて、24回もの大地震がたびたび襲ってきたというわけなのである。
大正関東地震から90年たった。もし元禄関東地震のあとで何かの理由で「休止」したとすれば、やはり海溝型地震である大正関東地震でも同じ理由で「休止」した可能性がある。今は「休止」がそろそろ解けだしたとしても不思議ではない時期に入っているのである。
地球物理学的に考えれば、首都圏が大正関東地震以来「静か」なのは異例だ。むしろ、もっと地震が多いのが普通なのである。
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