島村英紀『夕刊フジ』 2017年8月4日(金曜)。4面。コラムその209「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

東京湾を津波が襲う 文明が進み、湾岸が一層弱く
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「大被害の可能性!東京湾を津波が襲う 文明が進み、湾岸がいっそう弱く 」

 東京に津波は来ないと思っている人は多い。

 だが、「大正6(1917)年の大津波」と書かれた看板がある。東京に隣接する千葉県浦安駅近くの左右天命弁財天にある教育委員会の看板だ。人々でにぎわう海際の東京ディズニーランドから内陸へ3キロほど入ったところにある。

 この年、浦安での潮位は通常の満潮時より4.1メートル高くなった。海水は川をさかのぼり、船橋や市川など内陸部まで浸水させた。

 死者行方不明者は千葉県だけで313人。また横浜港でも3100隻以上の船やはしけが風浪で転覆するなど、首都圏で1324人にも及ぶ犠牲者を生んでしまった。

 大津波なみの災害。だがこれは、津波ではなく、9月に東京湾に入ってきた台風が吸い上げた海水による高潮災害に大雨が加わったものだった。だが、海が襲ってきたという意味では津波と同じものだ。

 このときの台風は首都圏を直撃せずに西側をかすめたが、気圧が上陸時よりも低くなった。ちょうど満月だったから引力が強く、台風が近づいたときには満潮だったのが不幸だった。

 これ以外にも「東京大水害」と呼ばれる大きな水害もあった。明治43(1910)年夏に起きた大水害で、東京府と東日本の15県に被害が拡がった。これも、台風と高潮が起こした水害だった。

 8月5日ごろから続いた梅雨前線による大雨に、11日に房総半島をかすめて太平洋上へ抜けた台風と、14日に沼津に上陸して甲府から群馬県西部を通った台風が重なって関東各地に集中豪雨をもたらしたのだ。

 この水害では関東平野では一面の水浸しになり、利根川、荒川、多摩川水系の広範囲にわたって各地で堤防が決壊して河川が氾濫した。関東地方だけで犠牲者は800人以上にも及んだ。東京でも下町一帯が冠水して、盛り場浅草も水没した。

 東京を襲った水害はこれらだけではなかった。写真家長野重一が撮った「海抜ゼロメートル地帯の洪水」は、1959年、江東区大島で撮られたものだ。赤ん坊を背負った少女2人が膝上まで水に浸かっている。

 東京23区の東部や、江戸川をはさんだ千葉県浦安市や市川市行徳地区は旧江戸川の河口近くで三角州が拡がっている。水害が起こりやすい低湿地帯なのである。

 東京湾は入り口が狭くて中が広い「フラスコ型」をしている。そのため、外から入ってきた津波は、幸いにして中に入って来て大きくなることはない。東日本大震災(2011年)のときの三陸などのリアス式海岸とは違う。

 だが、東京湾の中で地震が起きたら別だ。もし湾内の浅いところで地震が起きれば津波が湾岸を襲うことになる。

 東京湾岸は水に弱いところに都会が拡がっている。しかも文明が進んで、一層弱くなっている。埋め立てや人工海岸化が進んだ東京湾の沿岸には、火力発電所や製鉄所や精油所などの工場が立ち並んでいる。

 ほかではそれほどの被害を生じない高さの津波でも、大被害を生じる可能性があるのが東京湾なのだ。

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