島村英紀『夕刊フジ』 2018年2月9日(金曜)。4面。コラムその235「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

沖縄を襲った4回の大津波
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「沖縄を襲った4回の大津波、石垣島に運ばれてきた1000トンの岩」

 日本人が知らない過去の大地震や大津波はまだ多い。

 日本人が日本に住みついてからの歴史は、日本をめぐるプレートの歴史と比べて、はるかに浅い。まして、書き残した歴史はさらに短く、京都や奈良でも千数百年、東日本や北海道では100〜300年もないことが多い。

 草津白根山で今回噴火した本白根山(もとしらねさん)でも、じつは3000〜10000年前までにはさかんに噴火していた。このことは地質学の調査から分かっていたが、噴火を見て書いた歴史は300年あまりしかなく、その間の噴火は草津白根山の北部、湯釜付近に限られていた。それゆえ草津白根山の北側だけが監視されていて、南部はノーマークだった。

 このたび、沖縄県・先島諸島で、過去二千数百年に大津波が4回あったことがわかった。先島諸島とは宮古島や石垣島などの島々である。

 1771年に大津波が襲ってきたことはすでに知られていた。八重山地震による津波「明和の大津波」だ。日本で知られた最大の津波だった。

 揺れによる被害はほとんどなかったところに、いきなり襲ってきた津波の被害は甚大だった。全滅した村も多く、石垣島が津波前の人口を回復したのは、140年後の大正時代になってからだった。この津波で宮古・八重山の両列島で死者行方不明者が12000人以上にものぼった。

 今回、地質学的な調査から分かったのは、この1771年の津波なみ、あるいはもっと大きな津波が3回も襲ってきたことだ。調査は海底の砂が陸地深くまで運ばれていたことを調べた。

 じつは、過去に1771年のよりもっと大きな津波があったことはうすうす分かっていた。それは石垣島の東海岸に途方もない大きさの岩が残っているからだ。サンゴが沖合で作った石灰岩である。この岩はかつての大津波が海底から運んできたものだ。大きなものは大型バス二台が並列駐車したくらいで、重さは1000トンもある。

 今回の調査では、過去二千数百年間に大津波が4回あったことが分かった。1771年は最後になる。もし大地震が繰り返すならば、そろそろ次が来ても不思議ではない時期になっているのだ。

 さる1月に報じられた北海道の東方沖、千島海溝での過去の大津波も知られていなかった。先住民族が文字を持たなかったこともある、

 北海道東部でも地質学的な調査から分かった。海底の砂が陸地深くまで運ばれていたのだ。北海道沖の大地震も、近々また襲ってきても不思議ではない時期に、すでに達している。

 このほか、西日本の日本海側でも、かつては大地震や大津波がないところといわれたが、それは日本人の知識が足りなかったせいだったことが明らかになりつつある。

 原発銀座といわれる若狭湾の内陸でも、地質学的な調査がようやく始まったばかりだ。

 過去に起きた大地震や噴火を知らなかったことは、将来、また起きる可能性が大きい大地震や噴火を知らないことでもある。

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