島村英紀『夕刊フジ』 2018年8月24日(金曜)。4面。コラムその262「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

地震発生の「時刻」が引き起こす悲劇
「夕刊フジ」公式ホームページの題は「地震発生の「時刻」が引き起こす悲劇… 季節や時間で異なる被害の大きさ」

 いまからちょうど122年前の1896(明治29)年8月31日に「陸羽(りくう)地震」が起きた。直下型地震としては最大級のマグニチュード(M)7.2 で、209人の犠牲者を生んだ。

 震源はいまの秋田県と岩手県の境だったが、被害は秋田県南部に集中した。秋田の被害は死者205人、住家の全壊5682軒、山崩れ9899ヶ所と、いずれも被害の9割以上を占めた。

 震源が浅い内陸直下型地震ゆえ、震源の真上での震度は大きかった。秋田県・千屋(せんや)などいくつかの集落では、全戸数の7割以上が全半壊するほどだった。

 明治4年に「廃藩置県」が行われて、それまでの藩が県に再編されたが、その後も実質的には藩体制が続いていた。東北地方はかつて陸奥国・陸中国・陸前国・羽後国・羽前国の5つからなっていた。この地震名は、藩の名前の「陸」と「羽」から来ている。

 陸羽地震が起きたのは午後5時6分だった。まだ明るい夏の夕方だったから、多くの男たちは畑仕事をしていて外にいた。一方、多くの女たちは家庭で夕食の準備をしていて、家が潰れて被害に遭ってしまった。

 もし、地震が発生したのが多くの人が家にいる夜だったら犠牲者はもっと多かったに違いない。

 兵庫県北部に起きた北但馬(きたたじま)地震(1925年)でも、女たちの被害が多かった。M6.8の地震だったが、死者は430人にもおよんだ。

 この地震が起きたのは5月23日の午前11時9分。昼食の準備の時間だった。各家庭で火を使っていて、大火が起きてしまった。犠牲者の大半は炊事中に倒壊した家にはさまれたまま火災で焼死した女たちだった。

 地震が起きた時刻ゆえの悲劇は近年にも起きている。M7.3の阪神淡路大震災(1995年)が起きたのは午前5時46分。6400人以上が犠牲になった。

 神戸大学の学生の死者は39人、うち37人は下宿生だった。

 神戸大学が特別に下宿生の割合が高かったわけではない。下宿生は古い木造家屋に住んでいることが多く、それゆえ午前6時前の大地震で、学生は下宿で寝ていて、多くが犠牲になってしまったのである。

 ちなみに、地盤がいい高台にあり、建物も強い神戸大学では建物はひとつも倒壊しなかったから、もしこの地震が昼間だったら、これらの学生は命を落とさずにすんだだろう。

 他方、この地震が起きた時刻は新幹線が走り出す十数分前だった。地震では落ちないと言われていた新幹線の鉄道橋がいくつか落ちた。もし新幹線が走っていたら大事故はまぬがれなかっただろう。

 地震が起きた時刻は被害の様子に大いに影響する。首都圏でいずれは起きる大地震や、恐れられている南海トラフ地震の被害想定も、季節と時間で大いに違う。いちばん被害が多いのは冬の夕方だし、一番被害が少ないのは夏の昼間だ。

 同じ大きさの地震が起きても、被害は十倍以上も違うのである。


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