島村英紀『夕刊フジ』 2020年7月17日(金曜)。4面。コラムその357「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

火山ガスが引き起こす殺人
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「噴火しなくても…火山ガスが引き起こす殺人」

 噴火しなくても火山は人を殺す。火山ガスである。有毒な火山ガスが日常的に出ている火山は、日本で60以上もある。

 温泉は冷水を火山ガスで暖めているものが多い。たとえば群馬・草津白根山では、沢の水をためた水槽に火山ガスを入れて温泉にしている。だが1971年に、水が飽和して多量の火山ガスが溢れ出し、谷にあるスキーコースに滞留して6人が犠牲になった。

 現場になれているはずの温泉業者でも事故に遭う。2015年には秋田・乳頭温泉で3名が死亡した。作業が終わった業者が荷物を取りに帰った林の中の窪地に滞留していた火山ガスで命を落とした。

 これらはいずれも火山が噴火していないときの事故だったが、噴火しているときは、もちろん危険だ。

 伊豆諸島・三宅島が2000年に噴火したときには大量の有害ガス、二酸化硫黄が出てきた。その量は1日に20万トン。これは日本のすべての火山から出る二酸化硫黄の30倍以上にもなる。人体の許容限度2ppm(1ppmは100万分の1)を島中で超えてしまうために全島避難になった。

 噴出量が1日に1000〜2000トンに下がったので4年半後に場所によって帰島が解除されたが、いまでも1日数百トンが噴出している。

 一方、二酸化炭素による事故もある。1997年青森・八甲田山麓で起きた。これは夜間訓練中の自衛隊員3人が高濃度のガスが滞留していた深さ約8メートルの穴に入って犠牲になったものだ。二酸化炭素ガスは空気より重く、死に至る高濃度でも無色無臭だから気がつかないことが多い。

 世界的には、1986年に発生したアフリカ・カメルーンにあるニオス湖の事故で住民1800人と家畜3500匹が犠牲になった二酸化炭素ガスの事故が有名だ。周囲の長さ2キロ、深さ200メートルほどの火口湖。湖底から定常的に二酸化炭素が供給されていて、事故が起きる前の湖底は二酸化炭素ガスが飽和に近い濃度だった。当時の湖周辺は雨季で、冷たい地表水の流入で深部湖水が上昇し、溶けていた二酸化炭素が湖面で一挙に発泡した。放出された二酸化炭素ガスは膨大で、約100万立方メートルもあった。

 日本でも、量は少ないが湖底から二酸化炭素が供給されている火山の湖もある。しかし日本には四季があるので、少なくとも年に1回は湖水が循環する。だから湖水中に大量の二酸化炭素が蓄積されることはない。

 日本では、火山ガスを定常的に放出している火山の多くは観光地で、多くの観光客や登山者が火山ガスの発生場所の近くに立ち入っている。
また、ほとんどの火山の火山ガス中に硫化水素が比較的多く含まれている。

 日本での火山ガス中毒事故の80パーセント以上は硫化水素で、次に二酸化硫黄によるものだ。

 硫化水素の事故が多いのは、極めて低濃度でも「タマゴが腐った臭い」を感じるが、高濃度になると鼻がマヒしてしまって感じなくなるためだ。

 他方、二酸化硫黄は刺激臭があり、咳込みや目に刺激を感じるので死亡事故は起こりにくい。

 毎年のように人がなくなっているのだ。火山は噴火していないときでも十分怖い。

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(写真は八甲田山。島村英紀「今月の写真」から)


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