島村英紀『夕刊フジ』 2021年1月22日(金曜)。4面。コラムその382「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

浅間山の噴火が起こした欧州の「皆既月食」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「浅間山の噴火が起こした欧州の「皆既月食」 天文学的には起きるはずのない日、長らく謎だった原因が明らかに」

 長らくナゾの皆既月食だとされてきた月食がある。それは、欧州で西暦1110年に起きた。

 この月食はイングランド史を記した『ピーターバラ年代記』に書かれている。5月5日の晩、明るく輝いていた月が、にわかに陰りはじめて消えた。それどころか、ぼんやりながら見えるはずの月の輪郭や星の光が一切消えてしまったのだ。

 天文学的には、この日に月食は起きるはずがない。このため、アイスランドのヘクラ火山の大噴火によって大量の硫酸塩エアロゾルが噴き出して月の光をさえぎったのではないかというのがもっともらしい説明だった。またグリーンランドの氷河のボーリングから、それらしき硫酸塩エアロゾルが見つかっていた。

 たしかにヘクラ火山はこのころに大噴火したことが分かっている。ヘクラは同国南部にあり、同国で最も活発な火山だ。少なくとも16回の噴火が知られている。

 ところが、2015年に精密な「グリーンランド・アイスコア・クロノロジー2005」が発表された。氷河のボーリングで見つかった火山灰などの精密な年表である。

 これによれはヘクラ火山の噴火は4年から7年ほど後に起きたことがわかった。つまりヘクラ火山の噴火と「皆既月食」とを結びつけるのは、時間的に無理になった。

 その「クロノロジー」によれば、硫酸塩エアロゾルの堆積が始まったのは1108年から1109年で、1113年まで続いた。この層は過去1000年の間では最大のものだった。

 さて、アイスランドの火山ではないとすると一体、どこだろう。

 日本にある浅間山がこの研究で脚光を浴びた。昨年の英国の科学誌に発表された。浅間山は1108年に数ヶ月におよぶ大噴火が起きているのだ。

 『中右記』(ちゅうゆうき)には「浅間山が7月21日になって突然、大噴火を起こした。噴煙は空高く舞い上がり、噴出物は上野の国(いまの群馬県)一帯に及び、田畑がことごとく埋まってしまった」と記されている。『中右記』は中御門右大臣だった藤原宗忠が1087年から1138年に書いた日記だ。当時の政治や社会の情勢を知るための院政初期の大事な史料だ。正確で有用なものとして知られている。

 この浅間山の大噴火に違いない。欧州での研究では1109年が異常なほど寒い年だったことが分かっている。このほか、1109年から始まった異常気象で、数年にわたって西ヨーロッパが不作と飢饉に苦しんだ記述が、さまざまな歴史的文献に残っている。もちろん当時の日本人は欧州への影響など、知る由もない。

 じつは浅間山は1783年にも大噴火して、天明の飢饉(ききん)を引き起こしている。全国で十数万人が死亡した。死んだ人間の肉を食い、人肉に草木の葉を混ぜ犬肉とだまして売るほどの惨状だったと伝えられている。天明の飢饉は江戸時代の四大飢饉の1つで、日本の近世で最大の飢饉だった。

 1783年の浅間山の火山灰はグリーンランドの氷河からすでに見つかっている。今度の研究によって、浅間山では約700年前にも世界に影響を及ぼした大噴火があったことがわかったのだ。

(写真はアイスランドのヘクラ火山。島村英紀撮影。島村英紀が撮ったアイスランドの写真から。浅間山の写真は島村英紀が撮った定期旅客機から見た下界」から
 

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