島村英紀『夕刊フジ』 2021年3月12日(金曜)。4面。コラムその388「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

東日本大震災の余波 アウターライズ地震の恐怖
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「東日本大震災の余波、アウターライズ地震の恐怖 津波は大きく、数年から数十年以内に起きる可能性」

  2011年3月11日に起きた東日本大震災から10年がたった。甚大な津波被害を生み、2万人以上が犠牲になった現地には空き地が目立つなど、まだ復興が終わっていない。福島原発ではいつ終わるか分からない混乱が続いている。

 マグニチュード(M)9.0という大地震では余震が長く続く。数年や十数年で終わるものではない。地震が少ない米国では200年も続いている例もある。

 また、経験的には余震の最大のものは本震からマイナス1の地震が起きたことが多い。だが、2016年の熊本地震(Mは7.3)の例もある。あとからの地震の方が「本震」よりも大きかった。

 だが余震のほかに、じつは「アウターライズ地震」の危険が残っている。

 アウターライズ地震とは東日本大震災(地震名は東北地方太平洋沖地震)で太平洋プレートとユーラシアプレートの境界が滑ったために、その下にある太平洋プレートが重さに耐えきれなくなって起きる地震だ。東北地方太平洋沖地震では、南北400キロ、東西150キロのプレートが数十メートルも太平洋プレートにのし上がった。その途方もない重みがアウターライズ地震を引き起こすのである。いわば「組み」になって起きる地震だ。「アウターライズ」とは太平洋プレートが東北日本が載っているユーラシアプレートと衝突する前に、少し盛り上がっている場所を指している。

 前例がある。1896年に起きた明治三陸地震の「組み」となって1933年の昭和三陸地震がアウターライズ地震として起きて、また被害を出した。この間は37年だったが、破壊の常として、この期間が次に適用されるわけではない。

 明治三陸地震では2万人以上の犠牲者を生んだ。東日本大震災以前にも最大の津波被害者を生んだ。綾里(りょうり)湾(現岩手・大船渡市)では38メートルの津波に襲われた。当時、住民に津波は恐ろしい災害だと理解していた人はほとんどいなかった。

 昭和三陸地震でも綾里で28メートルを超える津波があり、明治の経験があったのにもかかわらず、死者行方不明者は3000名を超えた。だが田老町(現岩手・宮古市)は1896年の経験から高い防潮堤を作り、この津波を防いだ。しかし2011年の東日本大震災ではこの防潮堤は乗りこえられた。1933年の昭和三陸地震よりも大きな津波が来てしまったのだ。

 明治三陸地震、昭和三陸地震、ともに地震動の被害は海岸近くでもそれほどではなかったが、津波の被害が大きかった。

 アウターライズ地震については分かっていないことが多い。そもそもアウターライズ地震がどういう条件のときに起きるのか分かっていない。本震との時間間隔も例数が少なく不明だ。

 また、アウターライズ地震は、千島海溝では数は多くて浅い地震が多いが、日本海溝では数は少ないが深くまで発達している。なぜかは分かっていない。

 震源は陸から遠いが、津波は大きいアウターライズ地震。数年から数十年以内に起きるかもしれない。地震学者たちは固唾を呑んで見守っているのである。

この記事
このシリーズの一覧


島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ