島村英紀『夕刊フジ』 2021年9月17日(金曜)。4面。コラムその413「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

房総半島を襲った未知の大津波

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「房総半島を襲った未知の大津波 三重点で起きた大地震が原因か」

 いままで首都圏を襲ってきた房総沖の大地震の歴史は、房総半島の海岸段丘の隆起から分かっていると思われていた。海岸段丘が大地震のたびに飛び上がって土地が増えていったからである。

 大きな地震ほど段丘の面積が大きい。具体的には1923年の関東地震(マグニチュード(M)7.9)、その前は1673年の元禄関東地震(Mは推定8.2)。その前は約2900〜3000年前、約4400〜5000年前、約6200〜7000年前。地震はいずれもフィリピン海プレートが首都圏の下に潜り込むことによって起きるものだと考えられてきた。

 海岸段丘からはその間には大きな地震はなかったように読みとれる。だが繰り返し起きる海溝型地震なのに間隔が開いていたのは不思議だった。

 海岸段丘の隆起は、房総半島南西部の館山(たてやま)でも、南東部の千倉(ちくら)でも同じように見られたから、首都圏を襲ってきた房総沖の大地震に一般的なものと考えられていた。

 しかし、同じ房総半島でも付け根の東側、九十九里浜(くじゅうくりはま)ではこのような海岸段丘は見られない。

 そこで海岸近くの陸上約140カ所を掘ってみたらリストにはない大地震が見つかった。海の砂が3キロ以上内陸まで上がっているから大きな津波とそれを起こした大地震があったのに違いない。

 海の砂が上がっている地層は2つ見つかった。新しい方は江戸時代の既知の地震のものだが、古い方が約1000年前の知られていなかった津波だった。鎌倉時代から平安時代のことで、当時はこの辺に人がほとんど住んでいなかったから古文書も残っていない。

 房総半島の南部に大きな海岸段丘を残さなかったことから、津波がとくに大きかったが、地震は津波ほどは大きくはなく、陸上の隆起も限られたものだった。

 さてこの地震はどういうものだったろう。

 じつは南北に走る日本海溝から枝分かれして相模トラフが延びている。房総沖は、日本列島が載るプレートの下に、日本海溝から潜り込む太平洋プレートと相模トラフから潜り込むフィリピン海プレートがあって「三重点」になっている。この両方のプレートとも首都圏の下に入っている。

 三重点の大地震はまだ分かっていないことが多い。世界でも三重点はそう多くなく、地震も限られていることが大きい。

 この新しく見つかった約1000年前の津波は、この三重点で起きた大地震である可能性が大きい。ひとつのプレートが潜り込むときは海底面が上がって津波を起こす。陸上も隆起する。しかし、二つのプレートが潜り込んでいる三重点では大きな海底面の沈降が起きて大きな津波を生む。こうして津波が大きくて、その割には隆起が大きくはない地震が三重点で起きたということだろう。

 もちろん震害も大きかったに違いない。この地震の大きさはM8.5と推定される。10万人以上の死者を出した関東地震よりも大きい。この地震は繰り返す。いまこの地震が襲ってきたら大被害を生むに違いない。

 首都圏を襲う大地震のギャップがひとつ埋まり、地震の候補が、またも増えたことになる。

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図は島村英紀のホームページEarthquake Research in Japan」から


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