島村英紀『夕刊フジ』 2022年1月21日(金曜)。4面。コラムその429「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

深発地震後のプレート上のつながり

『夕刊フジ』公式ホームページの題は「深発地震後のプレート上のつながり 700キロメートル地下で起きた世界一深い大地震≠ェ浅い地震を引き起こした?」


 2015年5月にマグニチュード(M)7.9の世界一深い地震が起きた東京・小笠原諸島で、今度は正月早々の1月4日に浅い地震が起きた。

 2015年の深い地震はMが大きく、初めて日本中で有感地震になり、首都圏と長野、山梨では広く震度4から5だった。夜8時過ぎの地震でエレベーターが19000台も止まり、高層階では多くの人々がエレベーターが止まったために床に座り込む画像が流れた。

 この正月の地震では震源は海底だったが、震源に近い小笠原・母島で震度5強の揺れを観測したほか、父島で震度4の揺れを記録した。Mは6.1だった。現地では鏡が倒れたりコップが落ちて割れたりした。1000キロメートルも離れた首都圏でも震度1から2を記録した。

 2015年の地震は深さが700キロメートルを超えたが、今回は深さは77キロメートルで、ずっと浅かった。二つの地震は、同じ太平洋プレートに載っている。このため、深い大地震が、今回の浅い地震を引き起こしたのではないかという学説が強まっている。

 もともとこの説は1952年に起きた十勝沖地震(M8.2)で唱えられたものだ。1950年にM7.5の地震が343キロメートルの深さで起き、それが引き金になって十勝沖地震が起きたのではないかというものだった。太平洋プレートの上どうしで、プレートが潜り込んでいるところだ。

 その後、関東地方の 浅い地震が、岐阜・高山地方を中心にした飛騨の深い地震の起きた後で起きた例が多数あることが発表された。40年あまりにわたっての気象庁のすべての地震を統計的に調べ上げたものだ。ここも潜り込んでいる太平洋プレートの上どうしだ。

 さらに2003年9月に起きた十勝沖地震(M8.0)でも、先駆けとして深い大きな地震二つ(1990年、M7.2、深さ約500キロメートルと2003年7月、M7.1、深さ487キロメートル)が同じ太平洋プレートで起きていたことが報告されている。

 深発地震が起きてから浅い地震が起きるまでの期間は2ヶ月〜13年とばらつきがある。このばらつきでは、いずれ起きるかも、は分かっても、当面の地震の予知には役立たない。だが、ひとつながりのプレートの上で起きる地震だから、あり得る話だ。

 ところで今回の地震では幸い津波はなかった。しかし津波の情報が出るまでに、発生から8分かかった。これは気象庁のいまの基準よりも遅い。

 父島と母島に観測点が1点ずつしかない。島嶼(とうしょ)部は、観測点が限られるから遅れたためだ。

 日本海中部地震(1983年、M7.7)では北海道・奥尻島や東北地方では津波警報より早く津波が襲ってきて、大きな被害を生んだ。津波警報が発表されたのは地震発生から14分後だった。

 このときの津波警報の遅れは問題になり、気象庁はそれ以来、津波警報を早く出すようにしたが、それでも今回のように遅れることもある。

 揺れが大きかった海岸近くの人々は、気象庁の津波情報が出なくても高台など安全な場所に避難することが必要だろう。

 先週のトンガの海底噴火でも、気象庁の津波警報が出なくても津波が来れば避難することが大事なのだ。

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